車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈13〉

ナンバーの話 ①

続いて“37枚目”の別テーマに飛びます。今までの「駅」では、鉄道車両は脇役でしたが、やはり車両は欠かすことができません。37枚目のあれこれ、車両ナンバーの話です。われわれの習性として、車両で真っ先に見るのは、形式、製造番号のナンバーでしょう。数字の羅列ですが、得られる情報は無限にあり、趣味活動を深化させました。トップナンバーやラストナンバー、また切りのいい数字が写せると、内心ほくそ笑んだものです。もうひとつ“ゾロ目”のナンバーもありました。京阪や阪急でも“2222”や“3333”があり、割と身近なナンバーですが、これが蒸機となると、制式蒸機では、形式も含めて数字が並ぶのは、1並びと5並びしかあり得ず、実際にはC11 1、C11 11、C11 111、C55 5、C55 55と、5両しかありません。私はうち3両だけは写していました。初期の時代で、キズ付きのひどい写真ですが、見ていただきます。皆さんもゾロ目にこだわらず、ちょっと面白いナンバーが見つかれば、ぜひコメント・写真お願いいたします。

米子区のC11 1、入換用として、米子駅で黙々と働いていた。ごく当たり前のC11だが、昭和40年には植樹祭でお召列車を米子~境港で牽いた実績がある。やはり、1並びのナンバーが買われたたのだろうか。昭和46年に廃車になっている(昭和42年8月)。

C55 5は吉松で入換中を撮影、吉松区にいて、肥薩線、吉都線で客貨を牽いていたが、C55・C57ブームの起こる前の昭和43年に廃車されていて、それほど目立たずに一生を終えている(昭和42年3月)

5が4つ並んだC55 55、こちらも撮影時期には、本来の列車牽引の役目を終えて、機関区の代用ボイラーとして使われていた。鳥栖区の配置だったが、当時はC55とは縁のない、後藤寺機関区に貸し出されていた。自力では動けず、区へ行った時も、9600に牽かれて、構内をゆっくり移動していた。昭和43年に廃車(昭和42年)

 

 

 

 

大した写真も残せていないので、Nさんのコレクションから一点拝借、福知山区のトップナンバーのC11 1と、これも製造輌数が少ないC10が顔を合わせた。絶妙な組み合わせで、思わず、ある雑誌の表紙に使ってみた。

つぎに、蒸機以外で見た珍しいナンバーを2つ、いずれもDRFCの活動のなかで見ることができた。夏合宿で阿仁合線へ行った際に、蒸機通過までに間があるので、メンバーとともにキャンプ地から当時の終点の比立内までDCに乗った際、編成のなかに組み込まれていた、1が5つ並んだDC、キハ11 111 (昭和46年)。こちらは、近鉄高安車庫の見学、ちょうど竣工したばかりの、12200系のNS45編成のなかにあった12345号車、5ケタの「12345」は、かなり稀有だと思っていたが、JR西日本の訓練車として最後まで残ったオハ12に、ハイフン入りながら「オハ12-345」があるそうな(昭和46年5月)。上は最盛期、原型の12200系スナックカー編成。

 車両のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈13〉」への2件のフィードバック

  1. 今回は「数字」ですか! そうですね、車両を見ると番号を確認したくなります。ただ、近頃は番号を読みにくくなってしまい、JR西日本の電車を少し離れて写すとさっぱりわかりません!
    京都市電の888号、末広がりの「8」が三つ並んだ電車です。1971年5月22日、場所はわら天神前です。

  2. 「1234」の並びが見つかりました。南海時代の貴志川線で、正々堂々と正面に番号をつけています。
    1993年6月20日、貴志駅にて。

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