駅のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈2〉

駅の売店

かつては、地方の駅にも待合室の一角に売店があったものです。新聞・週刊誌、タバコは代表商品で、菓子・パン、飲料水や酒類、土産まで、数百アイテムはある商品が所狭しと並べられていました。販売員の素早い対応もよくネタになり、阪神タイガースが勝った翌日の朝、スポーツ新聞を買い求める客のさばき方は、まさに名人芸でした。それが、“駅ナカ”の様相がすっかり変わり、売店もコンビニが進出、地方の駅では売店が全滅。駅へ降りても、活字情報も食べ物も何も得られない時代になりました。山陰本線がまだ地上を走っていた時代の二条駅、列車の到着まで余裕があると、売店の商品を見ながら時間をつぶしたものだ。鉄道弘済会の売店は、昭和初期に、上野駅東京駅で始まったそうで、事故で亡くなったりした国鉄職員の遺族に働き口を確保する目的があった。昭和48年に、売店の愛称が、Kiosk(キヨスク、一部ではキオスク)になった。

地方の駅にも必ず売店があった(左:国府津、右:弥富)。待合室の中ではなく、駅前に向けて、売り場がある。駅の乗降客だけでなく、売店目当ての客への配慮なのだろう。▲▲駅舎に付属して小さな建物を設けた売店もあった(岩代川俣)。実際、駅の売店は、いまのコンビニそのものだった。

2010年、釧路駅改札口横のKiosk。まだ “なんでもあり”時代の売店だったが、新聞が見当たらない。北海道の事情かもしれないが、スマホの普及で、車内で新聞・雑誌を読むことが皆無になり、2017年にKioskの母体である鉄道弘済会が新聞取次から撤退した。雑誌も、ピーク時の1/10になったそうだ。

 

 駅のある風景  ~37枚目の写真から~ 〈2〉」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    1967年10月の上本町(現:大阪上本町)の8番線の車止めの先にあった「近鉄観光」の売店です。難波線の開通前は地上に8線あり、1~4番線は奈良線、5~8番線は大阪線が使用していて、8番線は近畿日本名古屋・宇治山田行の特急専用ホームとなっていました。
    観葉植物の上に伊勢志摩地区の電話番号が記載された旅館の案内看板がありますが、スマホやネット予約が存在しない当時は、週末この電話番号を見て駅の公衆電話から予約し、予約ができれば売店で買い物をして特急や急行に飛び乗るという旅行客が結構多かったようです。

  2. 高架になる前の二条駅にあったキオスク、懐かしく拝見しました。車両や駅舎は写していても、待合室や売店にカメラを向ける考えはありませんでしたねえ。ところが長い時間が過ぎて思い出すのは、記録しなかった風景です。
    昨日の京都新聞に、60代半ばの男性から冷凍みかんの思い出が寄せられました。小学生のころ小浜線の三方へ海水浴に出かけた時、敦賀駅のホームにあったキオスクで買ってもらう冷凍みかんが楽しみだったと回想されてました。子供のころの記憶は美化されているのかもしれません。しかし、私も懐かしく思いだすのは小中学生のころで、ゆで卵や冷凍みかんです。
    京都駅山陰線ホームの売店で買った缶コーラを、客車の中で友人と雑談しながら飲んだこと。加太からの帰りに、草津線貴生川駅ホームの売店で20円のソフトクリームを買うのが楽しみだったことなど、思い出は尽きません。
    添付の画像は柘植駅のホームで、加太寄りに待合室に併設された売店がありました。袋に入ったゆで卵を買い、友人と分け合ったのを覚えています。撮影は1992年5月で、伊賀上野名物「養肝漬」の看板が残っていました。

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