都電も定点対比してみる 6 ~路面電車あれこれ噺 (27)

都電「高田馬場駅前」 今昔

少し間が空きましたが、最近、現況を撮影した都電跡の今昔対比を続けます。前回の新宿からふた駅目、高田馬場駅前です。面影橋方面から路線が延長され、高田馬場駅前まで伸びて来たのが昭和24年のことでした。系統は15系統(高田馬場駅前~茅場町)一本で、電停は一線のみの終端式で、乗降を終えると、もと来た道を戻って行きました。 昭和43(1968)年8月、東北・北海道へ向かう途中、丸一日を都電撮影に当てた。昭和43年度の都電廃止予定の系統を写すため、前々回の渋谷駅前に続いて高田馬場駅前に来て、電停付近の様子を、一枚だけカラーに収めた。いまでも覚えているのは、写していると、掃除をしていた高下駄を履いた寿司屋の主人から“どっちから来たんだい?”と聞かれた。初めて江戸っ子訛りを聞いた気がした。“京都からです”と答えると、ずいぶん驚いていた。都電を写す人間など、ほとんどいなかった。高田馬場駅前は、その後、大規模な再開発がされて、ロータリーが広げられて、街並みもすっかり変わってしまった。横断歩道を定点の目安に写してみたが、改めて当時の雑誌を見ると、停留場はもっと山手線、西武線に近く、もう少し手前(左手)かもしれない。

高田馬場駅前を発車した15号系統、バックの看板を見ると、早稲田予備校は場所柄わかるが、その横の「婦人探偵社」とはどんな職種なのだろうか。

つぎの停留場は「戸塚二丁目」(現:馬場口)、左へ分岐して、明治通りに入り、面影橋方面に向かう。▲▲現在の同地点、都バスを入れるため、右も入れているが、中央のベージュの建物は、旧写真の佐久間良子の「富久娘」の建物と同じように見え、ほかも外装は変わっているが、55年前と変わっていないように見える。

この15系統の名物が、もと杉並線の2000形だった。狭軌1067mm軌間の杉並線(新宿駅前~荻窪駅前)の車両で、昭和38年の同線の廃止後、改軌して、他車庫へ転属、この頃は早稲田車庫にあって、15系統専用で使われていた。狭軌線車輛らしく、ちょっとスリムなスタイルに好感が持てた。なお一部は長崎電軌に移り、最後は都電カラーに塗り替えられた。これは、1067mm、1372mm、1435mmと3種の軌道幅を走ったことになる。明治通を高田馬場駅前へ向かう15系統、まもなく面影橋で、ここから早稲田方面はいまも現役の都電路線となる。中央の大きなマンションは「目白むさしのマンション」と読め、調べるとまだ所在していた。

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