都電も定点対比してみる 2 ~路面電車あれこれ噺 (23)

上野駅前

昭和の時代、東北・北海道からの帰途は、必ず夜行に乗って上野に着いたものです。その日は帰るだけ、節約のため、在来線に残っていた急行で帰ったとしても、まだ時間の余裕があります。そんな時、上野駅の周辺で都電を撮るのが、格好の時間調整でした(以下、昭和46・47年撮影)。この時期、「上野駅前」では、浅草通り・中央通りを行く24・30系統と、昭和通りを行く21系統が交差していた。写真の中央2線が24・30系統で、手前方は中央通りを通って須田町方面に向かう。向こう方は右に折れていて浅草方面に向かっている。あと右に2線が見える。これは昭和通りを三ノ輪橋~水天宮を結ぶ21系統が発着していた。両系統を連絡する渡りはなく、交差したあと4線が並行して、3面4線の電停となった。

首都高速に覆われた「上野駅前」に停車する30系統、地下鉄銀座線との連絡口もあった。「上野駅前」の今昔対比 浅草方面からの24系統が左に曲がって電停に到着する。上野駅の正面が望めた。▲▲現在の同地点、首都高速は防音壁、耐震化の補強がされ、都電跡は資材置き場になり、鬱陶しい光景になった。上野駅舎も歩行者デッキに遮られて、わずかに見えるだけ。

首都高の橋脚を目印に対比を試みたが、都電跡は車道になっていて、全く近づけない。背後の歩道から、ズレを覚悟して写さざるを得なかった。

 

 

 

21系統の発着する電停は、首都高から外れて、太陽光のもとで写すことができた。

 都電も定点対比してみる 2 ~路面電車あれこれ噺 (23)」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    我々の先輩の関西の方は北海道・東北方面は急行「日本海」などを利用する方が多かったと思います。その後東海道新幹線もできたことで東北・常磐線を利用して東京で一休みされる方も出てこられたと思います。それにしても乗り換えなどの合間に上野駅界隈で都電を撮影され後年定点対比されるとは総本家さんにはとても足もとに及びませんが、上野駅南口のお別れ装飾電車6216号24号系統須田町行きを見つけましたので発表します。1972年11月11日でバックには国鉄上野駅の京浜東北線大宮方面行きの103系と思われる車両も写っています。

    • 準特急様
      上野の都電、ありがとうございます。長期の旅行を終えて、夜行で上野に着くと、疲れ、睡眠不足、空腹で、撮る意欲はもう残っていませんでした。たまたま京都までの列車に時間があり、ムチを打って駅前で写していました。準特急さんの写真、都電だけにスポットライトが当たり、しかも背後には103系、堪能させていただきました。

  2. 総本家青信号特派員様
    もう一つ1972年11月11日の須田町で撮った装飾電車6214号です。横断幕には24系統福神橋-須田町11月11日限りとあり最終日だった様です。

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