都電も定点対比してみる 4 ~路面電車あれこれ噺 (25)

「渋谷駅前」の今昔

延々のバスシリーズをいったん離れて、とれたての都電対比としました。毎年、趣味者の会合で渋谷へ行く用事があり、昨日も、会合の前に、56年前の都電時代との対比を試みました。その昔、都電の「渋谷駅前」は、現在のハチ公口にあって、スリバチ地形の底の狭隘な終端式のため、つねに渋滞していたと言います。そこで、昭和32年に渋谷駅東口に新しい都電ターミナルを造ることになりました。渋谷に下りて来る二つの坂、金王坂と宮益坂を活用して、下りと上りに分けた、ループ式の一方運転としました。電車は金王坂を下って「渋谷駅前」に着き、折り返すことなく、スルー運転で宮益坂を上って、青山方面に向かいました。渋谷のスリバチ状の地形をうまく活用したループ線の新設となりました(都電時代はすべて昭和43年8月)。

宮益坂を上がって行く都電、9系統の新佃島行き。9系統は浜町中ノ橋が終点だが、段落ちするため、途中の新佃島行きなどがあった。56年前の宮益坂にはコンクリートがむき出しの無機質なビルが続いていた。▲▲現在の宮益坂、56年前の右手に山手線のウグイス色の101系、「TOKYU」の看板が見える東急百貨店の位置から判断して、宮益坂の中間に今もある、渋谷郵便局前の横断歩道に定点を定めた。いまはケヤキ並木が続いて、旧景より道幅が狭くなった印象がある。

宮益坂上から線路は複線構造で青山方面に向かう。10系統の須田町を出た渋谷行きを歩道橋上から写している。ビルはほとんどなく、2階建ての商店が軒を連ねていた。▲▲宮益坂上に横断陸橋があり、上がって見た。もう街並みは全く変わっていて、手掛かりは一切ないが、付近に歩道橋もないので、ここで定点対比。メトロ銀座線、半蔵門線が通っているため、六本木方面のバスの頻発に較べて、青山通りは都バスがなかなか通らない。たまたま来たオープントップバスを都電代わりに入れてみた。「渋谷駅前」の前後は、単線式のループ状になり、都電は折り返すことなく、スルー運転ができた。「渋谷駅前」電停には3線になった乗り場があって、いつも発車を待つ都電がいた。特徴ある東急渋谷駅のカマボコ屋根とクラム型の壁も見える。▲▲渋谷には高層ビルも次つぎ建つが、駅も含めてまだ再開発の真っ最中、かつての都電乗り場は、上を行く銀座線・歩道橋の向こう側となり、定点とはならないが、次つぎ発着する都バスと対比してみた。

 都電も定点対比してみる 4 ~路面電車あれこれ噺 (25)」への1件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    「56年前の右手に山手線のウグイス色の101系」とありますが、これは103系ではないでしょうか。1960年に山手線に投入された101系電車には初めて「カナリア色」(黄5号)が採用されました。その後、経済性を重視して駅間距離の短い線区用の103系電車が開発され、1963年に山手線に登場した時の塗色が「うぐいす色」(黄緑6号)でした。103系電車は1969年にかけて順次投入され、余剰となった101系電車は1963年から「カナリア色」の外部塗色もそのままに中央・総武緩行線に転出し同線のラインカラーとなりました。一方置き換えられた103系電車の「うぐいす色」が山手線のラインカラーとなり、「丸いみどりの山手線」のCMソングも誕生しました。
    現在の中央・総武緩行線の主力車両となっているE231系500番台もE235系0番台への置き換えにより山手線から転出した車両です。(2024.3.13市ケ谷駅に進入するE231系500番台)

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