京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [4]

廃止直前の加悦鉄道(4) 大阪・京都から企画列車が走った① 

加悦鉄道について、私が体験した珍しい企画列車を紹介します。昭和45年の鉄道記念日の前後、大鉄局では10月14日、18日、25日の3日間、大阪~京都~綾部~西舞鶴~丹後山田~加悦を往復する企画列車「蒸機の旅」を運転しました。愛称のとおり、大阪~丹後山田は、すべて蒸機の牽引、途中、京都、綾部、西舞鶴は向きが変わるため、牽引機も代わって都合4種の蒸機が牽引、なかでも大阪~京都を蒸機が走るのは、昭和31年の東海道線完全電化以降は初めてのことで、そのあとの東海道・山陽筋の蒸機イベント列車の端緒にもなりました。しかも蒸機だけではなく、それに続く客車編成もクセの強い車両ばかり、〝SLブーム〟の渦中でも、ひときわ趣味性に富んだ列車となりました。

ここまで書くと、加悦とは一切関係がないのですが、丹後山田からは加悦の古典客車を連ねた特別列車に乗り換えて加悦へ行き、車両を見学するのが最終の目的でした。この日は朝からDRFCメンバーにクルマで追い掛けてもらい、たいへん収穫の多い一日でした。撮影順に見ていただきます。東海道本線大阪~京都に14年ぶりの蒸機の牽く企画列車「蒸機の旅」9921レが走った。しかも牽引するのは、梅小路区の花形C57 5だった。しかもまだ現役で京都~園部で列車を牽引していた時代、大阪~京都の牽引に抜擢された(昭和45年10月、神足~山崎)。

この日は、まず一人で京都駅へ行き、車両の撮影からスタートした。111系電車のなかでわずか2両だけのステンレス車、サロ110-902がまず目に入った。国鉄初のセミステンレス車サロ153 900番代として急行に使われていたが、のちに格下げされて、サロ110900となった。当初は無塗装の銀色だったが、のちに湘南色に塗られた。京阪神地区の113系快速電車に組み込まれていた。

クモハ51062先頭の西明石行き緩行、これを撮ってから山崎へ行き、DRFCメンバーと合流したようだ。

名神クロス北の佃踏切へ。EH106の牽くク5000の回送、車運車による自動車輸送はピークを迎えていて、国内生産のうち約30%の輸送は国鉄が担っていたと言う。昭和40年代後半になると、急速に縮小する。 緩行電車は、まだ旧型国電が優勢で、103系は、その前年から京阪神地区に投入され始めたばかりだった。後ろから28・58系DCが迫って来る。新大阪行きの急行「べっぷ」が、向日町運転所への回送列車として通過する。牽引のEF58 29[関]は、ヒサシ付きの大窓車。青森発大阪行き特急「日本海」が、EF65 510に牽かれて通過、湖西線がまだ開業していない時代、米原区から65Pが牽いた。山陽ブルトレはEF58が多く、65Pのブルトレは関西では貴重な存在だった。スカ色113系の快速が外線を飛ばして行く。この年、大阪万博があり、その前月に6000万人余りの入場があって終わったばかり、横須賀線用の113系は、応援のため関西地区に配転、2週間前の10月1日こ「新快速」として、新たなスタートを切った。新快速は昼間のみ運転のため、朝には快速にも使われていた。

 京都のローカル私鉄 昭和の時代をしのぶ [4]」への1件のフィードバック

  1. 前2両は35系ですがオシ17と次位はオハネ17(スハネ16)でしょうか。急行の予備車を集めたみたいですごく楽しい編成。それとスロ51か53も入っていますね。
    急行「べっぷ」は大分観光人気時代らしい列車で、他に大分駅で低屋根化していないスロ54の26か29を見た記憶があります。日豊線急行にスハ44がずらっと入っていたり、「ことぶき」のオールA寝台が走る風景を眺めたりと、東九州観光ルートが特待されて関西から夢のような車両が入ってきていました。大分区の配置車両も黄金時代でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください