2013年 秋の丹後路一人旅 Part3 加悦鉄道(旧加悦駅(加悦鉄道資料館)、SL广場)

第1日目 11月30日 その2

15:24 着いた加悦鉄道の旧加悦駅は元あった位置よりも移動されて置かれていました。現在は、加悦鉄道資料館として在りし日の痕跡の資料を展示しています。早速入館(入場料は不要)してみることにしました。加悦鉄道資料館公式HPはこちらです。

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25▲ かつての加悦駅は商店街を進むとその先にありました。がっちりとした2階建の洋風駅舎は町の中心でした。私が学生時代にはまだ営業していて、撮りに行ったのは昭和48(1973)年初夏の頃です。

【 加悦鉄道 】
この地は300年来、丹後ちりめんの生産地として繁栄してきましたが、需要地の京都へ運搬する交通機関に恵まれず、鉄道建設が待ち望まれていました。大正13(1924)年4月に国鉄による西舞鶴~宮津が開業してからの鉄道建設は現実味を帯びて盛り上がり、多くの公募出資者により加悦鐡道㈱が創立されて工事が始まりました。
大正15(1926)年7月に国鉄宮津線が延伸され、宮津~丹後山田(現;野田川)が開通した後の同年12月5日に加悦鐡道国鉄
丹後山田~加悦、5.7キロが開業しました。国鉄宮津線はその後も延伸工事は進められて、昭和7(1932)年8月に全通しています。

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▲ 開業当初に走ったのは、明治6(1873)年に英国ロバート・スチーブン社製造の2号機関車です。最初の営業運転は、神戸~大阪の旅客列車だったそうです。その後は北陸各所に転属、大正には現在の木次線の簸上(ひのかみ)鉄道に払い下げました。
そして、加悦鉄道開業にあたって簸上鉄道から譲渡され、昭和31(1926)年に缶水水漏れ大のために休車となるまでこの地で働き続けました。日本に現存する唯一のスチーブン社製造の蒸気機関車です。国の重要文化財に指定されています。

後ろに連結されている客車はハ4995、デッキのない非貫通で、乗り降りは側面4ケ所のドアからという「マッチ箱客車」です。明治26(1893)年に鉄道省新橋工場製造、昭和3(1928)年に加悦鐡道に譲渡されて昭和44(1969)年まで使用されました。

34▲ 開業10周年を迎えた昭和11(1936)年には、初めての新車ガソリンカーキハ101が日本車両により製造されています。客貨物を牽引するために片ボギー構造、水津式自動連結器を装着となっています。
戦争時には木炭ガス発生装置を取り付けて走り、昭和43(1968)年にはディーゼルエンジン(三菱DB7・130PS)に換装されています。キハ083が稼動廃線まで39年間働き続けて、昭和49(1974)年休車となりました。
しかし、平成16(2004)年には加悦鐡道保存会の手によって動態化復元がなり、5月連休と11月3日には動かされています。日本で現存する唯一の片ボギー気動車です。

 昭和9年、大江山でニッケルが発見され、本格的生産を始めるために輸送機関として、加悦~鉱山(大江線;2.8キロ)と、岩滝精錬工場~丹後山田(岩滝線;2.9キロ)の工事が着工されました。昭和15(1940)年6月に大江線、昭和17(1942)年10月には岩滝線が開業となり、鉱土輸送が始まっています。
加悦鉄道は、旅客急増もあって開戦後にも関わらずに最盛期を迎えていくことになりました。当時の鉱土運送は年間20万トン以上もあったそうですから、1日平均では約548トンです。当時の一般的な10トン積み貨車で換算すると約55両は結構な量です。実際に約50両の無蓋貨車があったようです。何回かに分けて鉱山~工場までの11.4キロを運んだと思われますが、壮観だったでしょうね。蒸気機関車は、最盛期には6両が活躍したそうです。

▼ 現在地図に当時の路線を重ねた地図です。路線跡は現在サイクリングロードとして活用されています。
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終戦後はニッケル鉱山の採掘は休止され、国鉄丹後山田~加悦の5.7キロ営業に戻りました。最盛期は約150人も勤務した従業員も戦前と同じになり、経営も悪化となります。
しかし、昭和25年からの朝鮮戦争によりニッケル需要が増加、輸入先のニューカレドニアから宮津港に荷揚げされる鉱石の岩滝精錬所への輸送に、岩滝線は再び活用されました。加悦鐡道も活気を取り戻しました。

私が訪れた時は営業中の加悦駅構内で、他の貴重なDL・DCたちと一緒に留置・展示が行われていました。
36▲ キハユニ51は、日本車両製。芸備鉄道→国鉄→舩木鉄道→加悦鐡道
昭和37(1962)年にやってきました。荷物・郵便室は撤去され使われていませんでしたが、平成5(1993)年の大修理で復元されて、日本産業考古学会の産業遺産及び与謝野町文化財に指定されました。
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▲ ハ21 明治26(1893)年、鐡道省新橋工場にて製造。昭和3(1928)年に譲渡されて加悦鐡道にやってきました。かつてはハ4995と同様のマッチ箱客車でしたが、昭和10(1985)年に改造されてしまったのは残念です。日本産業考古学会の産業遺産及び与謝野町文化財に指定されました。動態保存車両です。
33▲ 戦後、加悦鐡道が新製したディーゼル機関車。昭和28(1953)年に森製作所にて製造、主に客車を牽引していたがキハ083の移籍によって役目を終えて昭和50(1975)年休車となりました。
現在は動態復元されてイベント時には走行しています。

26▲ 気動車不足時期(昭和35~38年)にオハ62130から改造されたキハ08-3号キハ10-18号と共に元気に働いていました。
駅構内はオープンにされていて、子供たちの遊び場でもありました。
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人や物の輸送が鉄道から道路へと時代が変わる中、細々ながら生きながらえた加悦鉄道でしたが、昭和60(1985)年3月の国鉄時刻改正により宮津線の貨物営業が廃止されたために収入の6割を占めていた岩滝線貨物収入が無くなり、同年5月1日に廃止が決まりました。

保存されていた貴重な車両は、そのまま加悦駅構内に保存・展示されていましたが、当時の加悦町庁舎建築・整備のために場所を譲り、大江山鉱山駅跡にSL广場として移設・再開されています。SL广場の公式HPはこちらです。
来年5月のDRFC-OB会主催の「北近畿タンゴ鉄道 あかまつ・あおまつ号に乗りに行こう」ツアーでは、庁舎前に保存されている加悦駅舎と共に訪れる予定です

▼ 旧加悦駅舎の内部は加悦鉄道で使用された機材等々が保存・展示されていました。まずは撮影しても良いかの確認を取った上で、シャッターを切りました。
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一人で見学していますと、加悦鐡道保存会の篠崎理事が出て来られましたので、来春にDRFC-OB会のツアーで参らせていただきたいと思っていますとご挨拶申し上げますと、丁重にご案内してくださいました。
18▲ 3室に分かれて展示されていました。外観同様に綺麗に内奏された室内には、かつて使用された備品類に至るまで充実した保存がなされていました。

16:27 夕闇迫るSL广場に参りました。17時で閉館とあってお客がおられるのは食堂だけでした。既に過去数回は訪れた事がありますので、今日はパスしました。22

今日はSL广場の向かいにある「道の駅 シルクまちかや」を宿営地に、温泉は天橋立駅すぐ横の「智恵の湯にしました。

明日の撮影地は迷いましたが豊岡の円山川鉄橋も撮ってみたくなっていましたので、ここにしました。 Part4へ続く

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