DF50思い出写真(4)奥羽本線

これは再度申し上げるが蒸機の撮影の合間に撮ったDF50の気まぐれ写真である。カラーの変色、ピンボケを敢えて出したがお許し願いたい。秋田にもDF50マン形が集中配属され、奥羽本線、羽越本線の優等列車牽引等に活躍していたが、羽越本線では撮る機会がなかった。今回はやや日誌風にし、番号の分かる機関車はその変遷を記した。

1965(昭和40)年8月31日急行「八甲田」で早朝の青森に下り立ち、初めての東北の爽やかな空気を吸った。キューロクの入れ換えやC60の上野行きを撮ったあと奥羽本線の列車に乗った。一人旅で気の向くまま鶴ヶ坂で降りた。そこでC60、C61、D51の旅客列車とDF50を撮った。

8時40分大館発青森行きを牽引する秋田区のDF50549が鉄道防雪林の横を青森を目指してやってくる。

11時45分502列車急行「日本海」大阪行き。上の写真と同じDF50549が青森区で暫く休憩した後再び現れる。当機は1960年の新製後秋田に配属、1970年に高松、1978年に高知に転属し、1979年廃車となっている。▼

翌9月1日は青森機関区で大型蒸機を撮影。その中で珍しく単機DF50508を写している。当機1958年の新製後米子に配属され1963年に秋田に転属、その後1967年に大分に移り、1年後の1968年に古巣の米子に戻り1976年に廃車となっている。▼

 

鶴ヶ坂の1年後の1966(昭和41)年8月30日急行「第1津軽」で4時50分院内駅で下車。この列車はEF5715、ED7547とバトンタッチしたが福島からの機関車の記録はない。

6時50分院内始発のDF50559牽引青森行き443列車が出発していく。同機は1962年の新製後秋田に配属、1968年に米子、1977年に宮崎に転属し1979年に廃車となっている。▼

山形、秋田県境の雄勝峠を越えて来たDF50547牽引青森行き急行403列車「第2津軽」が7時42分院内駅を通過する。当機は1960年新製後秋田に配属、1968年に米子、1977年に宮崎に転属し1978年に廃車となっている。▼

 

朝の撮影を終えて院内8時15分発新庄発623Dで後三年に移動し横手寄りに歩く。10時18分大館発434列車福島行きが長い12両編成で現れる。3両目はダブルルーフのスハ32か。▼

11時25分DF50545牽引秋田発1402列車上野行き急行「たざわ」が現れる。オロ61、オシ17が入っている。この写真はデジ青に2回目の登場と思う。当機は1960の新製後秋田に配属、1968年に米子に転属し1977年に廃車となっている。▼

暑いので木陰で休んでいたら12時14分DF50538牽引の弘前発福島行き436列車が現れる。DF50538は1959年の新製後秋田に配属され1068年に米子に転属し1976年に廃車となっている。▼

この後は後三年12時46分発C5767[米沢]牽引2043列車横手発秋田行きに乗車。秋田で「日本海」に乗りかえて鷹ノ巣で下車。阿仁合線(現秋田内陸縦貫鉄道)のC11を撮った後投宿。

 

翌8月31日は碇ヶ関に向う。途中陣馬ではDD5132牽引上野行き422列車と交換。

碇ヶ関から津軽湯の沢方向へ勾配の始まる手前まで歩く。

11時43分403列車急行「第2津軽」が下ってくる。急行列車らしい編成であるが、先頭の客車は格下のオハフ33ではないか。機関車に柱がかかってどうしようもない写真であるが編成が写っているので掲載した。▼

12時47分502列車急行「日本海」大阪行きである。DF50541に続く客車の中にはオシ172002大ミハも含まれており最後部にはD511087[弘前]が補機についていた。先輩の皆さんには関西から北海道への往復にはこの「日本海」を利用した方も多かったのではないか。当機は1959年の新製後敦賀第一、1963年富山、1966年秋田、1967年大分、1969年米子、1977年宮崎と流転し、1978年に廃車されている。なお、この写真は鉄道ピクトリアル2018年8月号DF50特集32頁に掲載された。▼

 

DF50思い出写真(4)奥羽本線」への9件のフィードバック

  1. 準特急さま
    奥羽本線のDF50を、旅日誌風に楽しませていただきました、秋田区のDF50は、最盛期24両が配置されたとピク特集に書かれていました。奥羽本線の青森~米沢だけでなく、羽越本線の全線、新潟まで顔を出したと言い、かなり広範囲に運用されていたのですね。私が初めて奥羽本線へ行ったのは、ヨンサントオの直前で、すでにDD51が幅を利かせていて、ほとんど見る機会がありませんでした。そんななか、矢立峠へ行くと、お書きの「日本海」はDF50牽引で、しかもD51の後補機付きで感激しました。DF50541の写真、ピクの掲載も確認しました。このグループから側面上部に小窓が付いたと書かれていました。

    • 総本家青信号特派員様
      DD51が投入されDF50と混在した例は篠ノ井線でもありましたが、DF50が大移動する時期だったようですね。ピクトリアルDF50特集71頁を見ますと総本家さんの写真の方がずっといいです。こういうのを撮りたかったです。

  2. 準特急様、
    今回は秋田の車をありがとうございます。郡山の時と違い、エプロン部の制御空気管(CP、次位補機の機関出力を制御します。)にはホースが残されています。重連運用を諦めていなかったのか、それともホースの種類がブレーキ管(BP)や元ダメ管(MR)と異なるので保管がたいへんだったのか、真相はわかりませんが。
    このCPとKE52をつなぐだけでも重連は可能です。前位または次位の調圧器のいずれか(一般的に考えて前位)が6.5kg/c㎡未満を検知すれば両機の空気圧縮電動機が動き、両機の調圧器がともに8.0kg/c㎡を超過すれば空気圧縮電動機は停止するだけのことです。ただ、前位の方が制動、警笛、雨天時のワイパーと圧縮空気を多用しますので、次位のE1安全弁が正常に機能することが前提とはなります。
    元秋田の540号を貼付いたしますので、ご笑覧ください(1976年、園部~船岡)。

    • 四方誠様
      DF50540は秋田→米子で一生を終えているのですね。園部-船岡間の俯瞰気味で好ましいカラー写真を有難うございます。ナンバーマニアではありませんが、転属した機関車を再び見るのは楽しいことだと思います。C57では福知山から九州に転属した例を見ていますが、私のDF50でそういう例があるのかこれから探してみます。

  3. 準特急さま
    今回は奥羽線ですね。奥羽線のDF50は馴染みがありませんが、70年頃に多くが米子区に転属して以降の山陰線でお世話になりました。掲載写真の中で特によく縁のあった機番が牽いていた編成をメモします(写真がないので)。Ⓑは近代化改修済のブルー塗装車。
    DF50545号機:
     ’74.03.08 於京都/327レ/Ⓑスハフ422106+スハ4273+スハ4298+スハ
          4264+スハ4277+Ⓑスハ43179+スハ4263+Ⓑスハ43207   
          +Ⓑオハフ452007(全車大ムコ)
     ’74.11.24 於滝部/821レ/Ⓑオハフ33397+オハニ3623+オハ46602+
          Ⓑオハ46693+Ⓑオハ47164+オハフ33334(全車広セキ)
                
    DF50547号機:
     ’73.10.10 於大田市/824レ/オハフ611022+オハ35738+スハ4258+
          オハフ61651(以上米イモ)+スユニ6125大ミハ+マニ60707福フチ
     ’74.09.22 於八木/326レ/オハフ61631福フチ+オハ61967福フチ+
          Ⓑオハ35(車番、配置区不詳)+オハフ33179米ハマ+
          オハ351116米ハマ+オハ35586米ハマ+オハフ33290米ハマ
    (注)327レは京都発園部行の夕方の通勤通学レで、翌朝戻って来るだけの 
      短距離運用なので向日町運転所のスハ系車両が運用されている。9両
      編成はDF50の限界に近いと思われる。
      821レも東萩発下関行のため荷物車の連結がない。
      824レは門司発福知山行の長距離レなので終着の福知山から翌朝レに 
      継されるスユニ、マニが連結されている。
      326レは朝ラッシュの園部発京都行で、京都~浜田間運用にフチ区の 
      付属編成が付いたもの。
    久しぶりに懐かしい形式、配置区に酔いしれながら書きました。ちょっと本題からズレて脱線しました。準特急さまゴメンナサイです。

    • !900生様
      急行列車を牽いていた懐かしい機番に懐かしい客車群、有難うございます。山陰、福知山線はDF50天下の時代には米ヨナ、福フチのオハ61系が多く、たまにオハ31なども見られましたが、晩年はさすがにオハ35系や急行用スハ43系などが多く、ブルー塗装も多く入っていましたね。それにしてもよくホームの中を歩きましたね。

      • 準特急さま
        ホームから調べたのは京都、大阪駅くらいで大半は交換駅での対向客レからの確認でした。乗車レのなるべく後部の客車に乗り、発車時のスピードが遅い間にすれ違う番号をメモるのですが、双方同時に発車されるとスピードが倍加して、動態視力の悪い小生では追いつかないことも度々でした。写真ではありませんが、これも自分なりの記録だと思っています。

        • 1900生様
          いやいや驚きました。1900生さんにこのような特技がおありとは思いませんでした。やはり客車時代ならではの思い出ですね。
          私も大阪駅や上野駅のホームで特にバラエティに富んだ客車急行の編成確認をしたものです。

    • 1900生様、
      山陰線の客レの編成表、たいへん懐かしいです。
      327レは、17時過ぎぐらいだったかに向日町操車場北側の深田川踏切でよく見送りました。同様に、21時過ぎの827レ山陰号も塾帰りによく見送ったものです。
      326レはオハ61967とオハ35の間にオハフが入ります。このオハ35とオハフの2両は米トリで折り返し837レの米子回転車です。
      山陰線京都口は有効長の関係もあり定数40でG2ぐらいまでですが、定数54でH2(Sulzerで貨物50両の場合と同じ速度)なんて客レもありました。

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