DF50思い出写真(5)北陸本線

北陸本線と仰々しく書いたが実は機関区のはずれで撮ったもの1枚だけである。1965年2月10日京都駅で同学年のTさん、Sさんの見送りを受けて21時12分発521列車新潟行きに乗車。翌11日8時15分曇り空の筒石駅で下車。灰色の日本海はすぐ横で、客貨ともに糸魚川区のD51牽引だったが長野発米原行き611列車1本だけC57が牽いていた。筒石12時5分215列車直江津行きで直江津まで行く。ここで機関区を物色。この時に目的のD50183[直江津]と1両だけいたDF50515[富山]を撮影。この後は直江津15時30分発長野行きに乗車しスイッチバック駅二本木で下車し投宿。雪の中でD51重連急行「白山」等を撮影して東京に向った。

ということで有名な敦賀一区時代のDF50の活躍は逃してしまい直江津区で撮ったこのDF50515だけである。急行「日本海」、「黒部」、「北陸」等を牽引したものと思われる。同機は1970年に高松に転属し1977年に廃車されている。▼

DF50思い出写真(5)北陸本線」への3件のフィードバック

    • 米手作市様
      ありがとうございます。お目覚めが早いのかいつも要所を押さえた写真に感心致しております。杉津線は海がきれいなところもあり狩勝同様に撮影できた人は今や貴重です。

  1. 準特急様、今回は515号ですね。北陸線は日立MANの世界でした。川崎MANは東芝製の509号が敦賀時代に1年ほどいただけで、541、542号の増備で米子へ転出しています。
    標識燈掛が、前照燈用が貫通扉下部に移設、尾燈用が操車掛用手摺の間に新設されています。亀山の車では見られなかったので、富山で何かあったのだろうと思いますが、詳細は不明です。以前のコメントで、548号の事故復旧を浜松で行ったのではと書いたのは、この前照燈用の標識燈掛がなくなっていることが理由です。
    また、車体下とエプロン上部の間にある1/4円の当て板のようなものも浜松工場特有の改造なのですが、改造の経緯等については全く不明です。こちらは、亀山の車にも同様の改造車が多くありましたので地域的な問題ではなさそうですが、他工場では見られません。
    浜松工場は、新幹線開業で在来線車両の検修を移管しましたが、MANについては移管先がなく、昭和44年の直江津電化までMANのDF50の検修を行っていました(Sulzerについては昭和41年度から鷹取工場へ移管されています)。貼付写真は、浜松工場の入口にあるモニュメントです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください