大阪通信員だより 浜大津の巻

日本晴れの10月27日、浜大津スカイプラザへと向かう。一年ぶりの再訪である。京阪電鉄京津線開業百周年の写真展と模型運転会が行われているのだ。訪れた目的は、クローバー会西村雅幸氏の新作による江若鉄道・京阪電鉄京津線の浜大津駅の精巧なジオラマを見学するためと会場警備である。

昨年は、江若鉄道三井寺下駅構内の忠実な再現と今津駅にいたるジオラマであったが、多数の要望に応えて今年は浜大津駅が主役となった。昭和中期の複雑な浜大津の駅と線路はもとより周辺の街並みを細かく再現したものである。江若線・京津線の車輌も在籍車をほぼ全て揃えてある。江若の車輌は狭い窓が多くならび、それも二段窓だ。カッター片手に奮闘される老眼を寄せ付けない西村氏の姿とあきれを通り越した奥様の様子が浮かぶ。
十人近い江若OBの古老やご家族も見えられ、回転する転車台や開閉とともに警手が飛び出してくるカラクリ踏切を見て、警手は?ちゃんやったなあ!このあたりで大ケガをした仲間がいたんや!など話の花が咲いていた。この後でOB昼食会があるとのこと、これも昨年の催しが種をまいたのだらう。もちろん通信社の取材もあり、京都新聞社をはじめとして数社の小姐記者が西村氏をアタックしていた。当クローバー会会員もヒマのある方が随時来場され、感心している様子だった。

通信員も、警備をお手伝いすることで、西村氏の楽屋裏をのぞくことができ、ジオラマ製作途上の走り書きから経費明細まで雑多な資料を几帳面に保存されたファイルを拝見した。エンジニア気性がほとばしるものであった。
なお、昨年の江若展をご覧になった「レイル」誌の前里孝編集長が、是非とも江若特集をと企画されクローバー会福田静二氏の暗躍を得て、「レイル84号」として今月発刊されている。江若鉄道の記録の集大成として、クローバー会会員の記事や写真の実力をめでるものとして、是非一家に一冊購入いただき書架のこやしとしていただきたい。

催しは11月3日4日にもおこなわれるので、詳細は掲示板25486号を精読ください。
「そうだ浜大津いこう!」

 

猛暑をくぐり京都の写真展へ

 お盆休みの13日を利用して、大文字でスカタンな話題を提供する京都へと向かう。烏丸御池で開催の福田静二さんの写真展「市電の記憶 昭和の京都」ならびに五条河原町で開催の佐竹保雄さんの写真展と津田雅司さんの模型運転会共催の「東北を旅して」を鑑賞するためだ。一日に二度楽しめるコスパ満点の機会だ。
 大阪市営地下鉄堺筋線日本橋駅から堺筋線に乗る。途中の市営と阪急の運転手が交代する天神橋六丁目駅のすぐ上にある大阪くらしの今昔館では世界的な鉄道マニアと云われる原信太郎翁92歳の特別展示「鉄道模型と極める-関西の鉄道-」が9月4日まで開催されている。ちょうど今日の日経夕刊に原信太郎さんの自作や収集された鉄道模型約六千輛のうち一千輛を順次展示する鉄道模型博物館が横浜市みなとみらい21地区に来年7月を目途に開設されるとの記事が載っていた。天六駅から昔の新京阪線となる。新京阪の旧天六駅ビルは解体中で高層マンションになる。立体交差工事がすすみ三階ぐらいの高架橋が散見する淡路駅で特急?に乗り換えるが盆休みでか混雑していて烏丸駅まで立ち席。しかし良く停車駅がある。京都市営地下鉄にひと駅乗って烏丸御池ギャラリーへ。
 写真展の写真はすべてモノクロで福田調ただよう素晴らしいものである。安全地帯に溢れんばかりのお客が市電の到着を待っているのは微笑ましいばかりだ。今でも正月の初詣のときに阪堺電車の住吉大社停留所の安全地帯で、同じ光景が見られる。鉄道写真としてはもちろん、街の情景や服装・建物など記録写真としても貴重なものだ。少し奥まったとこにあるので多くの人に見て貰えないのが惜しい。
 過剰装備の背の高い豪華ホームドアが設置された大赤字の地下鉄東西線と馴染めない配色になった京阪電車に乗って清水五条駅へ。地上へ出ると猛暑。報道に寄りますと、この日の京都市は全国二番目の暑さだったとか。二つめの目的地に着くと佐竹さんご夫妻・福田さん・津村さんのお顔を拝することができ、幸運だった。暑さにも負けず佐竹さんはお元気で、直々に写真の説明をしていただけた。懐かしい蒸気機関車や旧型客車列車、大好きだった薄幸のキハ55系準急色の写真を見る。また福田さんには阪堺電車撮影会など情報提供をいただきながら音信不通のお詫びをする。大阪通信員というのに通信しないと風評が立っているとお叱りを受ける。よってこの一文を熱帯夜のなかで発信する次第である。今春定年を迎えた津村さんは模型鉄道の社長に就任し悠々自適とのこと、ご要望があれば出張運転会が可能のようだ。キハ17系気動車・焦げ茶のDF50の牽くスハ32系客車などお若いのに通信員好みの渋い車輌があり気分良好。なお滞在中に、はるばる伊丹市からご婦人がトランクを引いて来場される。朝日新聞の紹介記事を見て、鉄道資料のチャリティに役立てて欲しいと「日本の電車」などの書籍と記念乗車券や東北新幹線開業メダルなどを持参されたのだ。最近お亡くなりになったご主人のものだとか。ちょうどお盆で旦那さまへの良き供養となれば幸いである。通信員のみならず、OB皆様もお盆を機会に、ご家族には収集品を安易に片付け屋などに渡さぬよう一言云っておかれることも肝要ではありましょう。
 大谷廟へのお盆のお墓参りなのか五条大橋の東行きは長い渋滞。京阪電車に乗って丹波橋でこれまた良く停まる特急に乗り換える。やってきたのは生き残った8000系。淀駅は高架駅となったが引き込み線などの工事は残っている。高架になったので淀城跡が上から良く見える。また橋本駅横では遊郭だった建物がまだ見える。途中すれ違う旧色の列車がすっかり少なくなっと嘆いているうちに北浜駅から日本橋駅へと戻る。

雪景色・花輪線に想う

turukame先輩の投稿「雪景色・花輪線」の素晴らしい列車寫真に混じってヒュッテの室内画像がありました。ヒュッテはダブルルーフのオハ31系客車4輛ほどを、台車代わりに積み上げた枕木のうえに線路横にならべたものです。やまぶき色車体に窓周り青色に塗ってあり、遠目には側線に列車が停まっているように見えます。一輛は食堂、他は宿舎としてスキーや八幡平の観光に供されていたのです。竜が森は1960年代に数回同好会合宿が行われています。
1967年正月休みを利用し、一年先輩のローズ山下氏とともに大阪から米坂線・八郎潟を撮影し竜が森へとたどり着いたのです。スパッツを着けカンジキを履いた雪装備で線路脇をとぼとぼと歩いていると、ドケーと大きな声が聞こえました。雑誌鉄道ファンの撮影地ガイドにも載った好適地なので正月の雪のなかにも先客があったのです。掃き溜めではなく、雪の中にturu一羽というところです。雪深い東北の片田舎でバッタリお会いするとは思いもしませんでした。ヒュッテに戻り、縄張りを荒らしたことを詫び、一献をかたむけ手打ちを期して記念に撮った写真です。網棚からはローズさん愛用の望遠付ザンザブロニカが吊され、卓上には通信員愛用のペンタックスSV・SPが見え、コニパンSS・サクラカラーが装填されています。「彼らは雪に消えていった」と腹立ちが44年後もまだおさまらないように愛想無く記述いただいていますが、竜が森を後にしたふたりはその後常磐線の平と四ツ倉の間で大型蒸機大好きのローズ氏とC62を撮影しました。ローズ氏は全国各地で蒸機を沢山撮り溜めされてるので発表いただきたいものです。
なお、投稿のなかに総天然色画像で到着した気動車(キハユニ26他)に乗り込むスキー客を撮ったものがありますが、そのとき通信員は先頭車を正面線路上から撮影していました。その一枚が2006年10月のクローバー会写真展「鉄路輝く・記憶に残る昭和の鉄道風景」に「全員乗せてくださいね」の題名で展示いただきました。マイカーや宅配便の無かった時代に、スキー場で過ごした人々がスキーを抱えて14:27発の列車に殺到しているところです。次の盛岡行きは16:51分で積み残されると大変です。日帰りの人は随分早い列車で来たのでしょう。
また写真展が開催されるそうですが、準備いただく方々はもとより力作をお持ちの方々よろしくお願いいたします。

教えて下さい!

検索サイトのストリートビューを覗いていましたら、こんなお家がありました。こんな田舎まで町並みを撮影しに行ってるのか?と思いましたが、だれが撮ったかは差し置いて何てお家なのでしょう。家のすぐ裏には線路があるようです。

日本橋だより

 
27日に近畿日本鉄道と国立文楽劇場が企画した文楽列車が走った。大阪難波駅を9:38に出発した列車は車体を平城遷都1300年仕様に装飾した6輛で、前部のみ洋食皿ぐらいの大きさのヘッドステッカーが貼り付け。前5輛に文楽友の会会員150名と一般募集客50名が乗車する貸切列車である。乗り込むには二千円が必要であるが、弁当飲物はもとより乗車券も別途購入という厳しいもの。文楽劇場もよりの日本橋駅に停車し人形二体が最後部一輛に乗り込む。

奈良駅へは10:27到着という各停並みの所要時間。奈良駅では着ぐるみ人形のせんとくんが文楽人形をお出迎え。遷都1300年を記念し文楽劇場が奈良猿沢池を舞台にした出し物「妹背山婦女庭訓」を上演するのに乗じたイベント列車である。
大阪難波駅で写真を撮っていたのは劇場の職員と特派員と参加者の3人だけ。駅員は昨今の鉄ちゃん騒ぎを予想してか多勢が待機。特派員は見送っただけで、売店で赤福を土産に買って日本橋駅まで阪神電車に乗って帰る。奈良行きの阪神電車なんて変な感じ。山陽電車も遠慮せんと奈良まできたらええのに。

新聞によりますと、大阪府知事が関西空港の活性化のため新大阪駅と南海難波駅を結ぶ鉄道を造れとか、寝屋川市長が京阪びわこ号を動態保存し寝屋川市の目玉にしたいといってるとか伝えています。びわこ号復活したら、もちろんクローバー会の貸切
列車でしょう。

500系・北陸・能登・阪急特急・キハ52と話題のつきなかった三月ももう終わり。東奔西走いただいたトップページ写真撮影隊のみなさま楽しませていただきました。500系は、こだまに格下げ。入口付近をロングシートにして走っているのかな。

ウインドウズ95でも投稿出来るか徹夜で勉強しました。

そうだ京都いこう。七条で写真でつづる京阪電車100年のあゆみ展だ。

通信員だより

小春日和の11月25日、商用で京都へ向かうことになり、その前に大長老佐竹翁の写真展を鑑賞すべく烏丸御池駅へと向かう。愛用の日本橋駅から大阪市営地下鉄堺筋線に乗車、乗車券は阪急京都線大阪市営地下鉄堺筋線相互直通40周年記念乗車券と称するスルッとKANSAIカードを使う。大阪地下鉄全線と阪急京都千里嵐山線が一日乗り放題というものです。日本橋駅は地下鉄堺筋線千日前線と近鉄難波線の駅であるが、電車は地下鉄と近鉄のほか阪急も乗り入れていたのが今春から阪神まで走り出しいろんな電車に乗れるし便利になりました。
さて阪急の優等列車に乗り換えるべく淡路へと向かうが、淡路駅の手前では高架化工事がおこなわれており、広い空き地が見えてくる。空き地のむこうに梅田からの電車も淡路駅に同時に入線するのが見える。扉が開くや鶯の谷渡りよろしく新型ロマンスシート電車に飛び移る。幸い車端8席のボックス席の一つが空いていたのでしめたと着席するが、7人はすべて女性で?と思うが調べ物の書類があったのですぐ目を通す。終わってふと貫通扉を見ると女性専用車となっていたのでさっそく茨木市で停まるやまたまた次の車輌へ谷渡り。特派員のほかに20代の男性がもうひとり乗っていたが彼がどうしたかはわからない。茨木市を発車して隣の専用車を覗くとオッサン二人が閉じこめられている。ほんの10分ほどの間に同好の士3人を見受けたが、真っ昼間に女性専用車を走らせる必要があるのか困った社会である。特急が淡路に停車するようになって喜んでばかりいられない、「女性専用車両の社会学」堀井光俊著秀明出版会刊などという本が新聞広告に載っていたが、思いがけなく読んでみたい経験をしてしまった。
帰途は四条烏丸より通勤特急に乗るが、大宮・西院と停まるのでてっきり淡路にもとまると思っていたのに十三まで運ばれてしまう。。綺麗なお姐さんの出勤退勤には合わないし、凡人の退勤には遅すぎるのに21時頃の通勤特急とはこれ如何に。準特急というハンドルネームの投稿者がおられるが特急急行準急各停と分かりやすかったのがなつかしい。

最後に、阪急京都線大阪市営地下鉄堺筋線相互直通40周年を記念した臨時列車が12日5日と6日に運転されます。市営地下鉄車輌が天下茶屋~嵐山を一往復します。往路は天下茶屋~天六がノンストップで、大阪の地下鉄が京都の街を走る珍しい光景が見られる。今秋さいごの紅葉狩りをかねて嵐山へ行ってみませんか。

往路 天下茶屋10:19→11:24嵐山   帰路 16:32→17:36