沖中・湯口 両先輩を偲んで

1961(昭和36)年、浪人中だった私は、模型も写真もやめて趣味の鉄道は読書のみに縮小していました。11月下旬に鉄道ピクトリアルを買ってくると、同志社大学鉄道同好会による私鉄車両めぐり48・京阪電気鉄道が掲載されていました。戦時中に空襲をのがれ大阪市から先祖の地である京都府宇治市に疎開していて、京阪電車は幼いときから身近な電車だったのはさておき、こんな記事を掲載させる実力のある鉄道同好会があるんや!これは何がなんでも同志社大学に合格せんとあかんと年末年始も猛勉強して1962年度生として入学できました。入学式を終えるや鉄道同好会を探し回り無事入会できました。
京阪電車の記事の主筆、沖中先輩・湯口先輩は大学入学の恩人です。円山公園の長楽寺でのコンパをはじめ、同好会では鉄道を種に広く雑学なるものを学ばせてもらえ、その後の人生に少なからず役に立ったと思っています。早いもので入学してから60年余り、仲良くお二人、ご逝去の2022年は感慨深い年になりました。
沖中忠順さん湯口徹さん、本当にありがとうございました。

鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり48 京阪電気鉄道の一頁目と編集後記です。難産のうえ、お二人を中心に4回にわたって掲載された大作であることが分かります。

 

沖中・湯口 両先輩を偲んで」への1件のフィードバック

  1. 大阪通信員さんも、この記事がDRFC入会の発端ですか。私もそうでした。私の場合は、最初に買ったピクが「京阪電鉄」の最終回でした。身近な京津線の内容で、読もうとするのですが、とにかく難解な内容で、中学一年生の身には、ほとんど理解できません。しかし逆に、高度な研究なサークルという印象に残りました。ぜひ、同志社大学鉄道同好会とやらに入って、活躍してみたいと思うようになりました。ウンよく学内高校へ行くことができて、高校三年間、受験とは無縁で、趣味に励み、難なく大学、そして待望のDRFCに入れたのは、実に、この「京阪」記事のお蔭と思っています。

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