既報のとおり、クローバー会会員、湯口 徹 (ゆぐち とおる)さんが、去る12月11日に、お亡くなりになりました。享年86でした。当掲示板を通じて、会内外の皆様に、謹んでお知らせ申し上げます。
湯口さんは、昭和11(1936)年9月、佐賀県鳥栖市に生まれ、高校時代から京都市に居住、同志社大学経済学部に進学されました。在学中に、故・沖中忠順さんらとともに、鉄道同好会を設立され、初期段階に鉄道ピクトリアル誌上で私鉄車両めぐり「京阪電鉄」を発表され、斯界から注目を浴びました。OB会の設立後は、メンバーの中心として活躍され、当掲示板にも、多くの投稿をしていただき、会メンバーは多大な薫陶を受けるとともに、当会の名を広めていただきました。
活動は会だけに留まりませんでした。「一次資料しか信用しない」「他人の原稿も信用しない」、その強い意志で、数々の著書を発行され、鉄道趣味界、なかでも、内燃動車の研究においては第一人者の確固たる地位を築かれました。お上に汲みしない、歯に衣着せぬ明快な論理は、“湯口節”として、出版社や読者から信頼を得て、多くの湯口ファンも醸成されました。しかし、その影には、公文書館や図書館へ一週間続けて筆写に通うなど、地道な調査、ご自身の努力があったからこそ、なし得られた境地でした。
クローバー会にとっては、今年7月の沖中忠順さんに続いての悲報で、まさに“巨星墜つ”でした。謹んで、お悔やみ申し上げます。
ご逝去の報は、米手さんから第一報を入れていただきましたが、改めてご遺族の了解を頂いたうえ、掲示板でお知らせするものです。
金曜日から東京にいる娘に会いに行っていて、旅先で知りました。
心よりご冥福をお祈り致します。
九州の田舎に居た私は、小倉の古書店で購入した1962年のピクトリアル・ディーゼル車特集号で芳名を知り、数年後にDRFCに入り、OBと知っても、雲の上の存在に思っていました。やがて貴重な記録を元に沢山の著書を出され、それでも溜め息の出るだけで、ようやく近づけるようになったのは、1999年の大井川の行事と、翌年から個人的に参加が許された舞子の会からでした。大井川の時の良い写真が見つかりましたので、偉大なる大先輩の霊に捧げます。長い間ほんとうにありがとうございました。
僕の電車学の師匠の一人“沖中のおっちゃん”に続いて、湯口さんまで鬼籍に入られるとは! とただただ悲しみと喪失感に襲われています。ここ数年はお二人とも体調が良くないことは知っていましたが…。
僕個人としては、沖中さんとは日本路面電車同好会で、その後に高橋 弘師匠に連れられて行った関西鉄道研究会の場で、お二人同時にお会いすることになりました。その後の懇親会にも参加させてもらいましたが、このお二人の雰囲気はその後の自身の鉄道趣味の捉え方を大きくし楽しみ方を教えて頂いたように感じでいます。とにかく、ご一緒させて頂いて「鉄道趣味は楽しいもんや!」を地で行く陽気な姿に、自身も見習おうと思ったことが昨日のように甦ってきます。
なかでも印象に残っているのは、湯口さんに尋ねた質問のなかで、「同志社大学は、なぜ鉄道“研究会”とは名乗っていないのですか?」と言う問いに、「堅苦しいイメージやくて、活動そのものを楽しまな! と言う趣旨からなんやで!」と笑顔でお答え頂き、「湯口さんや沖中のおっちゃんを見ていたら、それが良くわかりますね! 僕もその仲間に入りたいです!」とお答えして、お互い笑いの渦に包まれたことを思い出します。それがきっかけか後にクローバー会の“準会員1号”へ推挙して頂けたのかも知れません。お二人には感謝しかありません。
もちろん、研究と言うに相応しい鉄道趣味の在り方もお二人はこれまでに示されていることは皆さんご存知のことですが。
今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。
長い間本当にお世話になり有難うございました。