追悼 湯口徹先輩が亡くなりました

以前から静養中だった湯口徹先輩が、12月11日に逝去されました。
脳梗塞の再発によるとのことです。心よりご冥福をお祈りすると共に、鉄道趣味界、同志社大学鉄道同好会OBクローバー会へのご尽力に感謝申し上げます。
2015年12月15日 広島電鉄1911号車内にて車内にて

追悼 湯口徹先輩が亡くなりました」への10件のフィードバック

  1. 最近は体調もよくなり、外出もされていたようなので、一度、お目に掛かろうかと思っていた矢先でした。
    今年は6月に沖中先輩、12月に湯口先輩と、DRFCクローバー会を代表する鉄道趣味界の大先輩が旅立たれ、寂寥感が漂う年の暮れとなりました。
    残念、残念、残念

  2. 湯口さんも逝去されましたね。ご冥福をお祈りします。今年は沖中さんも亡くなられ、後を追うように何かのご縁のようです。
    2006年10月14日鉄道記念日の写真がありました。DRFCクローバー会が初めて大阪駅前の丸ビルで開催した写真展「鉄路輝く」の一齣です。現クローバー会会長の福田静二さんが写っておられるのも、当会を代表して弔意を表しているようです。
    沖中忠順さま湯口徹さま、楽しい同志社大学鉄道同好会を始めていただき有難うございました。浄土OB会の創立もご準備お願いいたします。

  3. 18きっぷでご一緒させていただいた福井鉄道や琴電、米手さんの案内で行った韓国旅行が懐かしく思い浮かびます。お身体の具合が良くなられたらまたご一緒したいと思っておりましたので残念です。DRFC-OBクローバー会では自慢の方々が相次いで逝ってしまわれました。今までいろいろと教えていただきましてありがとうございました。もう当分はお会いすることは叶いませんがゆっくりとお休みになってお待ちください。

  4. 謹んでお悔やみ申し上げます。関東でも湯口さんのお名前は皆さんよくご存知で、中でも鉄研三田会会長を務められた高井薫平さんとは軽便等で情報交換され時々お会いされていたようです。また、デジタル元祖青信号では三田会の方との訪欧旅日記「おじん二人」シリーズが印象に残っております。貴重なお写真やウイットに富んだ研究論文を有難うございました。ご冥福をお祈りいたします。

  5. 湯口さんのお名前は、中高生時代から江若鉄道の記録など鉄道雑誌で存じ上げておりましたが、DRFC 入会後、会の黎明期のOBであらせられたことを知りました。クローバー会の集まりでも、私のような者にも気さくに声をかけてくださったことが思い出されます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

  6. 当時現役生だった約10年前に、ホームカミングデーで湯口先輩のご講演をお聴きしました。

    ご講演の中でDMV(デュアル・モード・ビークル)に触れられ「DMVよりかは、ホームトゥホームで列車からバスに簡単に乗り換えられるよう、ホームを整備した方がよいのでは。」と仰っていたことを今でも覚えております。確かにその通りだと思いましたね。

    DRFC創世期のお二方が同じ年に居なくなるのは寂しい限りです。

    諸先輩方が名付けた鉄道「同好会」でこの先も引き続き、楽しませてください。改めて、DRFCを創ってくださり、ありがとうございました。

    ご冥福をお祈り申し上げます。

  7. 湯口先輩のお名前はDRFC在籍時代にもお聞きしていましたが、初めてお会いしたのは、私が退職前にクローバー会に入会した10年余り前のことでした。その後ホームカミングデー、イベントなどでお会いする機会がありましたが、一番記憶に残っているのが2014年5月に行われた北近畿タンゴ鉄道支援ツアーというイベントでご一緒したことです。気さくにお声をかけていただき、加悦鉄道の見学の折には車両の解説などをされ、湯口先輩の博識にあらためて感心致しました。もっといろんな話をお聞きしたかったのに誠に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

  8. 残念な事です、ご冥福を祈ります。
    いつかお会いできたらよいな・・・ と思っていたのですが、とうとう叶いませんでした。
    「簡易軌道見聞録」に驚き、レイルの「私鉄紀行」を毎号楽しみにしていた事、RM LIBRARYで再び活躍されて喜んでいました。次は???
    と待っていたのですが・・・「鞆鉄道」が最後だったのでしょうか?
    まだまだ、活躍を期待していたのですが、残念です。
    残された、写真などは、永遠に我々趣味者の宝となる事でしょう。
    有り難うございました。

  9. ご闘病中と伺っていましたが、本当に残念なことですね。
    心からご冥福をお祈り申し上げます。
    湯口大先輩のお名前は有名で、お話しするには躊躇する存在だと勝手に思っていましたが、本当に気さくにお接し頂いたこと、北近畿タンゴ鉄道(当時)で親切にご説明いただいたこと、お酒を愛されたこと等々を思い出します。
    今年は当会の巨星お二人を失うという大変な年になってしまいました。
    湯口大先輩のご功績の数々を偲びながら年を越すことになりますね。
    残念でなりません!

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