2023年夏、台湾再起動(その3、西部幹線)

7月30日(日)
朝、中壢駅まで歩く。駅前はMRTの工事中であった。MRTが中壢まで延びれば桃園空港に近い在来線の駅まで直結するのでもっと便利になる筈である。中壢駅でTRパス3日券を6,000元(約8100円)で購入する。今回は乗車の比重も高いので元は取れるに違いない。

莒光510次 斗六進入 新しい自動ドア車とはいえ客車列車の魅力は十分

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2023年夏、台湾再起動(その2、東京)

7月29日(土)東京の1日
なかなか東京へ行く機会はない。出張もなくなった。大阪から東京は運賃が高く、夜行快速ムーンライトながら無き今、安く行こうとすると高速バスの青春ドリーム号か青春18切符発売時期の鈍行乗り継ぎであるが、気力体力乏しい身にはどちらもこたえる。そこで、今回、東京乗り継ぎをむしろ積極的に活用し、伊丹からは朝の羽田行きを選び、夕方の成田発桃園行きまで東京の電車を楽しむことにした。

京急1500型 京急川崎 昭和60年が製造初年とまだまだ新しいのだが、もう廃車が始まった。関西なら昭和40年代の車が珍しくないのだが。この1500型、昭和の終わりから平成への移り変わりを体現するように、制御方式が界磁チョッパから途中でVVVFインバータに変わった。なかなか好ましいスタイルと思うが如何?

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2023年夏、台湾再起動(その1、序章)

3年ぶりの台湾である。前回、2020年1月の台湾行では、コロナ禍により3年にも渡って渡航が出来ず、しかも今だ新型コロナウイルスを駆逐する特効薬もないことは想定しえなかった。とにもかくにも、大手を振ってどこにでも行ける状態になった。
日本に外国人がやってくるインバウンド、これは見ての通りの勢いがあり、中国大陸からの団体客もまもなく解禁されるそうで訪日客は復活するであろう。ところが日本人の出国には、コロナ禍があったにせよ勢いがないのではないか。

変わらず活躍する台湾鉄路局のTEMU2000型、プユマ号 2023年7月30日 斗六

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1987年を振り返る(その4)

10月4日、同志社大学鉄道同好会30周年記念号では、宮原客車区から始発の京都駅までの送り込み回送の添乗を担当した。ここでの用務と言えば、荷物の積み込み、確認と向日町区でのサボ取り付けくらいしかない。これを同じ85年度生のK氏と一緒に行うのが仕事であった。

1987.10.4 宮原客車区

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1987年を振り返る(その3)

9月6日、秋田の大学の友人を訪ねることになり、青春18利用なので、大垣夜行340Mで東京まで出て、上野から常磐線に乗り換え、北上する。日立電鉄に乗るため、大甕で降りる。上野から鈍行では約2時間半の道のりである。

1987.9.7 鮎川から大甕まではほぼ常磐線と並走

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1987年を振り返る(その2)

この年の春、鉄道界にとって大きな出来事があった。日本国有鉄道がJRグループに生まれ変わったのである。ところが、私はというとこの頃、鉄分が限りなく薄まっていた。
4月1日は、JR発足の記念すべき日だが、私のところにアルバイトにいそしんで買った中古のセダンがやってきた。余談だが、このセダンにはターボがついており、ターボチャージャーが過給すると、誇張もあるがジェット機が離陸するように加速した。この車を乗り回すことに夢中になり、ターボが「ヒューン」と音を立てて、景色が飛ぶのと同じく、私の「鉄道」も後ろに飛んで行った。(ような気がした。)
5月、もう一つ京都の鉄道界にとって大きな出来事があった。京阪電鉄の京都地下線開通である。当時の青信号56号を読み返すと、構想以来半世紀、工事着手以来丸8年、総事業費650億円をかけて~と書かれており、まさに大事業だった訳である。私はというと、鉄道同好会とは別に、テニスのサークルにも入っており、地上線最終運行の23日は、こちらのサークルの新歓コンパが三条河原町であり、最終運行どころではなかった。ということで、この年の春先から初夏にかけては全く鉄(写真撮影や乗りに行くこと)をしていない。
このように、鉄分は薄まっていたが、本能というか本性が呼び覚まされると立ちどころに元に戻るものである。読者のみなさんの中にも、鉄に出かけているのでなく、出張などの用務で遠出した際、線路や駅舎を見ただけで興奮した経験をお持ちの方は多いだろう。
テニスのサークル夏合宿は、河口湖だった。その下見に行った際、時間を見つけて富士急行の電車を撮影した。春から夏にかけて、いろいろなことがあったが、私は鉄道に回帰した。

1987年6月11日 富士急行5700型(元小田急2200) 河口湖

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1987年を振り返る(その1)

先月、旧一等展望車マイテ492が、京都鉄道博物館に収蔵されたとのことである。もともと大阪弁天町の交通科学館で展示されていたのだから元に戻ったというべきかも知れない。
1987年(昭和62年)10月4日、このマイテ492を繋いだ特別列車「同志社大学鉄道同好会30周年号」が走った。その時、私は3回生だった。この列車には、OBも大勢乗っていただき、後にOB会、クローバー会発足のきっかけの一つとなった、とも伺っている。当時、現役生としてこの列車の運行に少し関わった者としては、よかったと今でも思っている。ただ私は、この特別列車走行の企画運営の主軸として関わったのではなく、当日運営要員の1人として居たに過ぎない。このツアー列車の運行の記録は、昭和63年(1988年)発行の青信号57号に詳しく書かれている。今読み返しても、事前の各種準備から当日の仕切りまで主導的な役割を担った会員と、その取り組みに助言をし、見守ったOBの熱い想いが伝わってくる。これ以上の記録はないと思っているので、私が担当した宮原区から京都駅までの送り込み回送添乗のみ少し後で触れたい。

1987年10月4日 宮原客車区

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青春18で巡る四国3日間(その6最終回)

キハ32の4918Dと交換、伊予上灘。

(青春18でひたすら帰る)

今回、初日はキハ40系、2日めはとさでん交通、そして3日めの8月15日はキハ185系3100番台と決めていました。北伊予で3100番台628Dの回送を撮ると、もはや特に狙うものはありませんが、せっかくのなので、松山地区でしか見られないキハ54型と宇和海の2000系を撮ります。月曜日なので、新装なったキハ185の2代目の伊予灘ものがたり号を見ることが出来ないのが残念です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その5)

宇和島駅へ進入。

(キハ185系3100番台)

8月15日の早朝、宇和島6時9分発の628Dを撮りに出動します。出庫は5時53分とのことですが、その時間にはまだ駅構内に入れないので駅手前の跨線橋から駅進入を撮ります。架線がないのでいとも簡単に撮れてしまいます。この松山行の628Dと、途中で伊予大洲で交換する松山5時51分発宇和島9時10分着の911Dの1往復が、キハ185系3100番台の定期運用です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その4)

735D、吾桑。

(予土線へ)

高知駅の高架下でそそくさと昼食を食べ、暫しとさでん交通を撮影してから、高知14時35分発の735Dで終点の窪川まで1000型ディーゼルカーに約3時間乗ります。3連で出発しましたが途中の須崎で2両を切り離し、30分停車した後、4735Dとなって1両で窪川まで向かいます。高知から窪川まで直通する普通列車は下りで5本しかなく、「特急にのってください」ということなのでしょう。もっとも高知―須崎の区間運用の普通列車は1時間に1本程度はあるので、輸送密度に応じたダイヤになっているのだと思います。

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青春18で巡る四国3日間(その3)

とさでん交通800型、はりまや橋

(8月14日、とさでん交通)
8月14日、日曜日は、とさでん交通の郊外区間に乗るのが主な目的です。これまで、高知駅前からはりまや橋、桟橋通五丁目までは乗ったことがあるのですが、東の後免、西の伊野まで郊外線は乗ったことがないので楽しみです。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その2)

国鉄時代の塗装のキハ185系剣山6号と交換、阿波川島。

(徳島から普通で高知へ)

徳島からは11時38分発の449D阿波池田行きに乗ります。JR四国の1200型ディーゼルカーの4連です。この1200型は、もともと1000型でデビューしたものを、後で出てきた1500型と併結が出来るように改造したものだそうです。特急剣山なら徳島―阿波池田を1時間10分ほどで走破するところ、鈍行なら倍の時間かかりますが、平成の新造車なので空調付きの空気ばね車で、固定クロスだが国鉄時代の直角シートと比べるとかなり上等です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その1)

最終23時35分難波発のサザン号(別日に撮影)

(8月13日、徳島)
青春18と切り出して、いきなり看板に偽り有りですが、徳島に渡るのに「南海好きっぷ」を使って23時35分難波発最終の特急サザン号に乗ります。この好きっぷは南海電車の難波から和歌山港までと徳島フェリーを併せて2200円です。もし、これをばらばらで買うと3130円なのでお得感があります。 続きを読む

徳島の現況

この3月12日のダイヤ改正は、全国で見るとコロナ禍の利用実態をふまえた減便或いは国鉄時代からの車両や小田急VSEのようなフラッグシップとも言える車両の引退が話題になったように思います。JR四国も鳴門線でのパターンダイヤ導入のように利便性向上の施策が打ち出される一方、利用実態に応じた見直し、すなわち減便も実行されました。JR四国のキハ47系(ここではキハ40も含めて47系としています)は、昨年末に初代伊予灘ものがたり用のキロ47の2両が現役引退しましたが、この3月改正では徳島運転所に残る20両の動静に変更はなかったようです。しかし、昨年の3月にJR四国が策定した中期経営計画2025では、「新型ローカル気動車導入による検査内容の削減、電車との部品の共通化」が明記されており、国鉄時代からのキハ47系の引退を指しているものと考えられます。前置きが長くなりましたが、さる4月2日に徳島を訪問しましたので、現況をリポートします。徳島線には朝一往復、徳島と穴吹にキハ47系の運用が設定されていましたが、この3月改正で消滅しました。 阿波山川ー川田 2021年の撮影です  続きを読む

国鉄岡山

2022年3月12日のダイヤ改正で、おおさか東線の201系、奈良線の103系が引退するなど国鉄時代の車両の勢力図が縮小した。JR東海に至っては、211系0番台の引退をもって国鉄時代から引き継いだ車両がついに消滅したという。JRが発足してもう35年経つので、国鉄時代に登場した車両が走っていることはもはや当たり前ではなくなりつつある。そんな中、伯備線の381系の一編成6両が、国鉄時代の特急色に塗り戻され3月19日から走り出したとあって翌20日、早速伯備線へ向かった。

やくも8号、木野山-備中川面。

当初、備中川面-方谷の高梁川第3橋梁のたもとで撮る予定だったが、撮影者がたくさん居て定員オーバー状態だったので急遽場所を変更した。ぴかぴかの車体が眩い。絵入りヘッドマークが登場して高揚感を覚えた中学生時代を思い出した。

 

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琴電旧型車最終走行

去る11月3日、高松琴平電鉄の旧型車両120型と300型の最終走行がありました。もともとは8月9日の設定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大により各地で緊急事態宣言、まん延防止措置が発出されたため、延期になっていたものです。長尾-公文明

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四国松山のディーゼルカー ~その3

下灘で2時間弱滞留した後、12時31分に出る八幡浜行きの4917Dで伊予大洲をめざします。今回の一番の狙いは、キロ47の伊予灘ものがたりです。47系での運行は令和3年末までと報じられています。後継は、四国まんなか千年ものがたり(多度津-大歩危の特急グリーン車)、志国土佐時代の夜明けのものがたり(高知ー窪川の特急グリーン車)のようにキハ185が改造種車になるようです。そうです。四国でキハ47系のジョイフルトレインに親しむのは、今しかありません。

下灘駅に入る伊予灘ものがたり

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四国松山のディーゼルカー ~その2

松山周辺のディーゼルカーは、国鉄時代からのキハ54、キハ32、キハ185の3100番台、JRになってから就役した2000型。加えて2021年末での引退が報じられている、伊予灘ものがたり用のキロ47となります。キハ54は、国鉄最末期の昭和61年に登場したローカル用のステンレスカーで全車両運転台車です。他の国鉄ディーゼルカーと同じく21.3m、ロングシート、2枚折戸で250psのDMF13エンジンを2基積んでいるのでなかなか鋭い加速をします。12両全車が松山運転所に配置されています。

キハ54 0番台 松山駅

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