1987年を振り返る(その1)

先月、旧一等展望車マイテ492が、京都鉄道博物館に収蔵されたとのことである。もともと大阪弁天町の交通科学館で展示されていたのだから元に戻ったというべきかも知れない。
1987年(昭和62年)10月4日、このマイテ492を繋いだ特別列車「同志社大学鉄道同好会30周年号」が走った。その時、私は3回生だった。この列車には、OBも大勢乗っていただき、後にOB会、クローバー会発足のきっかけの一つとなった、とも伺っている。当時、現役生としてこの列車の運行に少し関わった者としては、よかったと今でも思っている。ただ私は、この特別列車走行の企画運営の主軸として関わったのではなく、当日運営要員の1人として居たに過ぎない。このツアー列車の運行の記録は、昭和63年(1988年)発行の青信号57号に詳しく書かれている。今読み返しても、事前の各種準備から当日の仕切りまで主導的な役割を担った会員と、その取り組みに助言をし、見守ったOBの熱い想いが伝わってくる。これ以上の記録はないと思っているので、私が担当した宮原区から京都駅までの送り込み回送添乗のみ少し後で触れたい。

1987年10月4日 宮原客車区

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青春18で巡る四国3日間(その6最終回)

キハ32の4918Dと交換、伊予上灘。

(青春18でひたすら帰る)

今回、初日はキハ40系、2日めはとさでん交通、そして3日めの8月15日はキハ185系3100番台と決めていました。北伊予で3100番台628Dの回送を撮ると、もはや特に狙うものはありませんが、せっかくのなので、松山地区でしか見られないキハ54型と宇和海の2000系を撮ります。月曜日なので、新装なったキハ185の2代目の伊予灘ものがたり号を見ることが出来ないのが残念です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その5)

宇和島駅へ進入。

(キハ185系3100番台)

8月15日の早朝、宇和島6時9分発の628Dを撮りに出動します。出庫は5時53分とのことですが、その時間にはまだ駅構内に入れないので駅手前の跨線橋から駅進入を撮ります。架線がないのでいとも簡単に撮れてしまいます。この松山行の628Dと、途中で伊予大洲で交換する松山5時51分発宇和島9時10分着の911Dの1往復が、キハ185系3100番台の定期運用です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その4)

735D、吾桑。

(予土線へ)

高知駅の高架下でそそくさと昼食を食べ、暫しとさでん交通を撮影してから、高知14時35分発の735Dで終点の窪川まで1000型ディーゼルカーに約3時間乗ります。3連で出発しましたが途中の須崎で2両を切り離し、30分停車した後、4735Dとなって1両で窪川まで向かいます。高知から窪川まで直通する普通列車は下りで5本しかなく、「特急にのってください」ということなのでしょう。もっとも高知―須崎の区間運用の普通列車は1時間に1本程度はあるので、輸送密度に応じたダイヤになっているのだと思います。

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青春18で巡る四国3日間(その3)

とさでん交通800型、はりまや橋

(8月14日、とさでん交通)
8月14日、日曜日は、とさでん交通の郊外区間に乗るのが主な目的です。これまで、高知駅前からはりまや橋、桟橋通五丁目までは乗ったことがあるのですが、東の後免、西の伊野まで郊外線は乗ったことがないので楽しみです。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その2)

国鉄時代の塗装のキハ185系剣山6号と交換、阿波川島。

(徳島から普通で高知へ)

徳島からは11時38分発の449D阿波池田行きに乗ります。JR四国の1200型ディーゼルカーの4連です。この1200型は、もともと1000型でデビューしたものを、後で出てきた1500型と併結が出来るように改造したものだそうです。特急剣山なら徳島―阿波池田を1時間10分ほどで走破するところ、鈍行なら倍の時間かかりますが、平成の新造車なので空調付きの空気ばね車で、固定クロスだが国鉄時代の直角シートと比べるとかなり上等です。 続きを読む

青春18で巡る四国3日間(その1)

最終23時35分難波発のサザン号(別日に撮影)

(8月13日、徳島)
青春18と切り出して、いきなり看板に偽り有りですが、徳島に渡るのに「南海好きっぷ」を使って23時35分難波発最終の特急サザン号に乗ります。この好きっぷは南海電車の難波から和歌山港までと徳島フェリーを併せて2200円です。もし、これをばらばらで買うと3130円なのでお得感があります。 続きを読む

徳島の現況

この3月12日のダイヤ改正は、全国で見るとコロナ禍の利用実態をふまえた減便或いは国鉄時代からの車両や小田急VSEのようなフラッグシップとも言える車両の引退が話題になったように思います。JR四国も鳴門線でのパターンダイヤ導入のように利便性向上の施策が打ち出される一方、利用実態に応じた見直し、すなわち減便も実行されました。JR四国のキハ47系(ここではキハ40も含めて47系としています)は、昨年末に初代伊予灘ものがたり用のキロ47の2両が現役引退しましたが、この3月改正では徳島運転所に残る20両の動静に変更はなかったようです。しかし、昨年の3月にJR四国が策定した中期経営計画2025では、「新型ローカル気動車導入による検査内容の削減、電車との部品の共通化」が明記されており、国鉄時代からのキハ47系の引退を指しているものと考えられます。前置きが長くなりましたが、さる4月2日に徳島を訪問しましたので、現況をリポートします。徳島線には朝一往復、徳島と穴吹にキハ47系の運用が設定されていましたが、この3月改正で消滅しました。 阿波山川ー川田 2021年の撮影です  続きを読む

国鉄岡山

2022年3月12日のダイヤ改正で、おおさか東線の201系、奈良線の103系が引退するなど国鉄時代の車両の勢力図が縮小した。JR東海に至っては、211系0番台の引退をもって国鉄時代から引き継いだ車両がついに消滅したという。JRが発足してもう35年経つので、国鉄時代に登場した車両が走っていることはもはや当たり前ではなくなりつつある。そんな中、伯備線の381系の一編成6両が、国鉄時代の特急色に塗り戻され3月19日から走り出したとあって翌20日、早速伯備線へ向かった。

やくも8号、木野山-備中川面。

当初、備中川面-方谷の高梁川第3橋梁のたもとで撮る予定だったが、撮影者がたくさん居て定員オーバー状態だったので急遽場所を変更した。ぴかぴかの車体が眩い。絵入りヘッドマークが登場して高揚感を覚えた中学生時代を思い出した。

 

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琴電旧型車最終走行

去る11月3日、高松琴平電鉄の旧型車両120型と300型の最終走行がありました。もともとは8月9日の設定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大により各地で緊急事態宣言、まん延防止措置が発出されたため、延期になっていたものです。長尾-公文明

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四国松山のディーゼルカー ~その3

下灘で2時間弱滞留した後、12時31分に出る八幡浜行きの4917Dで伊予大洲をめざします。今回の一番の狙いは、キロ47の伊予灘ものがたりです。47系での運行は令和3年末までと報じられています。後継は、四国まんなか千年ものがたり(多度津-大歩危の特急グリーン車)、志国土佐時代の夜明けのものがたり(高知ー窪川の特急グリーン車)のようにキハ185が改造種車になるようです。そうです。四国でキハ47系のジョイフルトレインに親しむのは、今しかありません。

下灘駅に入る伊予灘ものがたり

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四国松山のディーゼルカー ~その2

松山周辺のディーゼルカーは、国鉄時代からのキハ54、キハ32、キハ185の3100番台、JRになってから就役した2000型。加えて2021年末での引退が報じられている、伊予灘ものがたり用のキロ47となります。キハ54は、国鉄最末期の昭和61年に登場したローカル用のステンレスカーで全車両運転台車です。他の国鉄ディーゼルカーと同じく21.3m、ロングシート、2枚折戸で250psのDMF13エンジンを2基積んでいるのでなかなか鋭い加速をします。12両全車が松山運転所に配置されています。

キハ54 0番台 松山駅

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四国松山のディーゼルカー ~その1

十数年ぶりに四国松山へ行ってまいりました。四国でも高松や徳島へは年に最低1回は行ってきたのですが、松山は大阪から少し気分的にも遠かったのです。今回の狙いは、松山周辺で活躍するJR四国のディーゼルカー。新幹線+特急しおかぜでも航空機、バスでもなく、はじめて大阪南港から東予港までのオレンジフェリーを選びました。

大阪南港は22時出港ですが、20時から乗船することができます。早く入れば、ゆったりと船内のレストランと大浴場を楽しむことができ、出航後も船に乗っているのを忘れるほど揺れもなく、ホテルのように快適でした。2018年に就航したばかりの最新の船らしく、昔ながらの雑魚寝の桟敷はありません。最もリーズナブルな2等も個室で、誰に気兼ねすることなくゆったりと休むことができます。2等の片道で、乗船した日は7700円でした。2等のデラックスにすると料金は9600円になりますが、窓と洗面台が付き、部屋も広くなるので更にホテルのシングルルームと遜色ないゴージャス感が漂います。

大阪南港フェリーターミナル

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南千里折り返し運転

もう随分前のことですが、昭和58年、1983年の9月28日、阪急千里線山田ー北千里間が、台風10号による大雨のため、築堤の土砂が流出し、一時不通となりました。山田駅は交換ができないため、南千里で折り返し運転を行い、南千里ー北千里間は復旧までの時間、バス代行輸送となりました。阪急にはとんだとばっちりでしたが、割と早く復旧したと記憶しています。南千里折り返しは、昭和38年に新千里山(現南千里)が延伸開業し、昭和42年に北千里まで開通するまでの4年間になるのではないでしょうか。話しは脱線しますが、昭和40年の日活映画「青春のお通り」では、新千里山からP6に乗り込む吉永小百合が映っていました。 続きを読む

家の近くで撮る続

以前、みだしの題で城東貨物線神崎川信号場付近の写真をご覧に入れたが、今度は近い場所の東海道本線吹田ー東淀川間(吹田市南吹田一丁目)付近の写真をご覧にいれる。最近ではすっかりJR西日本の最新車輛と貨物のみとなり、撮影は遠ざかっているが、自分にとっては鉄道写真発祥の地ともいえる場所。優等列車は、新大阪駅に近づき、ラストスパートの高速走行区間で撮り易いとはいえない、と写真が上達しない言い訳を高速走行のせいにしてしまっているがご笑覧いただければ幸いである。今そのものでなく約10年前と40年前の比較にしたい。 続きを読む

家の近くで撮る

私、ブギウギ拙宅は、大阪メトロ御堂筋線江坂駅とJR西日本おおさか東線南吹田駅の間にあります。コロナ禍の散歩がてらですが、自転車で10分程度の城東貨物線神崎川橋梁での写真をご笑覧いただきたいと思います。

配1792レ 5月29日 EF65PF人気あります。このスジはPFなのでいつも複数の撮影者がいますが、大勢ではありませんので長閑なものです。 続きを読む

今どきの固定クロスシート

固定クロスシートといえば、113系や115系、キハ40系の直角シートが思い浮かぶだろう。その源流を辿れば戦前からのオハ35などの客車があり、今日、それらの客車は保存車や観光用に運行されているものだけになってしまったが、固定クロスシート車は今日なお、通勤電車から第3セクター鉄道のディーゼルカーまで多士済々、さまざまな種類のものが活躍している。その全てに乗ったわけではないし、紹介することは不可能であるが、現在運行されているもののうち、いくつかを車内に拘って紹介してみたい。(写真は大井川鉄道に残るオハ3522) 続きを読む

懐かしの下津井電鉄

下津井電鉄は、かつて岡山県南部で運行されていたナローゲージの鉄道である。大正2年、1913年11月に味野町(後の児島)-茶屋町14.5キロが開業。大正3年、1914年3月味野町―下津井6.5キロが開業。昭和24年、1949年5月全線電化、昭和47年、1972年3月児島―茶屋町廃止。平成2年、1990年12月児島―下津井廃止、となっている。 続きを読む