924レ はやたま号

はやたま号には、昭和58年の3月と8月、2度乗ったことがある。といってもオハネフ12の寝台車ではなく座席車だけだったが。この頃、国鉄では鈍行列車で寝台車を繋いだ夜行列車として、この、はやたま以外にも、からまつ、山陰、ながさきを運行していたが、はやたま以外は乗ったことがない。昭和50年代の終わりにあれよあれよと無くなってしまった。後のブルートレインもそうだったが、そのうち乗っておこうと考えていたものが、消えるときはあっという間に消滅する。後で悔いても仕方ないのだが、今もってその教訓?は活かせていないような気がする。最後尾のオハネフ12

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山口線から山陰へ

今回のコロナ禍で、かれこれ1か月、カメラを持たず外出していない。近場で阪急や近鉄、JRを撮ることも含めると1か月も撮影に出なかったのはここ暫くで記憶に無い。鉄道を撮りに行く、ということが如何に仕事のストレスやらを発散する効能が大きく、自分の中で重い位置を占めていたかを改めて思い知ることになった。今、それを悔しがっても仕方ないが、過去の撮影など振り返り、新たな展開への英気を養うこととしたい。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その5

礁渓駅前の小籠包 なかなかいける

最終日の14日火曜日は、早朝に出て6時13分発の区間快速で八堵をめざす。その前に腹ごしらえだが、早朝6時から開いている小籠包の店でそそくさと朝食。65元にしてなかなか美味しい。

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まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その4

玉里客城1號橋 莒光602次

自強306次 DR3100型

瑞穂からは、7時19分の自強306次で玉里まで乗る。この列車は、ディーゼルカーのDR3100型、日本車両製である。まだまだ新しい車だが、全幹線電化完成後はどうなることだろうか、と思う。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その3

翌1月12日は、前半が九曲堂で撮影、後半はひたすら移動となる。九曲堂では、レンタサイクルで約10分、高屏渓で鉄橋を渡る列車を撮る。戦前は東洋一の長さだったという下淡水渓橋梁からひたすら撮る。元の鉄橋は一部が水害で流されて、一部しか残っていないが公園の施設として残されている。この区間、九曲堂―六塊暦は、西部幹線と南回り線の優等列車が頻繁に走るので飽きることはない。 続きを読む

まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その2

翌1月11日、宿を早めに出て、八堵駅に入線するEMU300の自強109次をホーム端で撮り、そのまま乗り込む。自強109次は、日曜日以外毎日運行しており、基隆を7時35分に出て、竹南から海線を経由し、終点の彰化には10時48分に着く。八堵ではがらがら状態だったが、台北から満員となり立客が出るくらいになった。竹南から彰化までは、山線と海線に分かれており、乗り間違えでもするとややこしい。

EMU300型 彰化

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まだまだ続くよ、台湾鉄路への遠征その1

虎尾のサトウキビ列車

今年の1月前半の台湾鉄路撮影記をレポートします。新型コロナウィルス禍が世界中に拡がる前の記録です。台湾については、諸先輩方が詳細なレポートをこのデジタル青信号で何度も発表されており、とてもその域に達するものではありませんが、内容は、振り返りも込めて、また、この状況を乗り越えた先に再び訪台出来ればとの願いも込めて発表するものです。 続きを読む

下関駅(韓国の観光列車番外編)

 

こだま752号 小倉駅 2019.5.2

釜山からは日本籍のはまゆうに乗り、5月2日木曜日の朝、下関まで戻ってきました。帰りは、こだま752号で小倉を16時47分に出て、新大阪には21時14分に着きます。5時間もかかりますが、もはや急ぐ旅ではありません。レールスター700系の2列シートは快適で、一般的な新幹線の5列シートとの差は歴然です。ゴールデンウィークですが、JR西日本の50歳以上限定のおとナビパスですと、小倉-新大阪で5730円です。時間がかかることさえ許容すれば、かなりお得感があると思います。 続きを読む

韓国の観光列車(続Ⅱ)

 

Sトレイン(釜山ー宝城)
2019.5.1

5月1日水曜日、令和の時代初日、釜山始発の観光列車Sトレインに乗ります。Sトレインは、南道海洋観光列車といい、SトレインのSは、南と海の頭文字に由来していると、いろいろなウェブサイトで説明されています。釜山から韓国の茶どころ宝城(ボセオン)まで約3時間半走りますが、夕方には釜山港まで戻らないといけませんので、終点まで乗ってしまうと間に合いません。残念ですが、釜山に近い馬山(マサン)まで1時間少しの乗車体験です。 続きを読む

韓国の観光列車(続)

ムグンファ号 ソウル駅 2019.4.30

4月30日火曜日、この日の主目的は、OトレインとVトレインに乗ることです。中部内陸循環列車、Oトレインは、韓国の中部内陸圏である江原道、忠清北道、慶尚北道の3つの地域を1つに結ぶことから「One」の頭文字をとってOトレインというのだそうで、月曜日を除く毎日、ソウルを出て京釜線、忠北線、中央線を経由して嶺東線の鉄岩まで1往復している観光特急です。白頭山から智異山まで続く韓半島で最も大きく長い山脈の美しい四季をモチーフに特急電車ヌリロ号200000型を改造した4両編成の電車で、内部は一般室、カップルルーム、家族席、展望席といったさまざまなテーマの座席とカフェもあると、これは楽しみです。 続きを読む

韓国の観光列車

KTX 釜山駅 2019.4.28

昨今、鉄道に乗ること自体を楽しむ乗り鉄は、鉄道番組の隆盛を見るまでもなく、すっかりメジャーになりました。その頂点は、JR九州のななつ星でありJR西日本のトワイライト瑞風、JR東日本の四季島でありましょう。1泊、2泊するだけで何十万もかかるこれらの超高級列車は別格としても、JR九州の「指宿のたまて箱」や「いさぶろう、しんぺい」等九州のD&S列車、JR西日本の「○○のはなし」、「花嫁のれん」などキハ47系を改造種車にしたジョイフルトレインなら乗られた方も多いのではないでしょうか。こうした潮流はお隣の韓国でもあり、デジタル青信号でも、かつて先輩がクルーズトレイン「ヘラン」の乗車記を投稿されています。
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海南島の鉄道

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平成3年の8月26日、27日中国は海南島の鉄道に八所から三亜まで乗りました。今や海南島も高速鉄道が走っているとのことですので、隔世の感がありますが、当時は蒸気機関車牽引の混合列車で機関車は解放型でした。客車は、往きは硬座車でしたが、帰りは軟座車で、これが公務車GW97380という車で、コンパートメントとマイテ49の展望室のように大きなソファが並んでいました。ネットで検索してみると昭和16年製の日本製で蒋介石の専用車だったという記述もあります。なんとこの車は海南島の省都である海口の鉄道博物館で現存しているらしいのです。そんな歴史的な車両に乗車できたのは僥倖としかいいようがありません。当時は鉄分の薄い時代で、コンパクトカメラで少し撮っただけだったので、今から考えるともったいないことです。ご笑覧いただき、コメント、知見をいただければ幸いです。 続きを読む

旧型電車を追って(大糸線・身延線最後の夏)

昭和56年は、3月に福塩線で70系電車が完全引退し、宇部・小野田線から戦前型三扉車の40系、51系が引退し、それぞれ105系に置き換わった。また、夏には大糸線、身延線から戦前型国電が引退し、大規模な中長距離線区で運用される旧型国電は、飯田線のみとなった。 続きを読む

旧型電車を追って(73系)

大阪環状線から最後に残った103系一編成が姿を消すという。しかも103系にちなんで10月3日で。大阪駅で当たり前の景色のようだった103系だが、正直よくここまで生き永らえた、という感じもする。首都圏では103系の活躍はもっと以前の話で、今やE233系、山手線ではE235系も投入されている。時代は移り変わる。103系だけでなく広く標準的な車体規格の20メートル4ドアロングシート車体も源流を辿れば古くは73系(モハ63)に行き着く。103系でなじみの前面10度の傾斜角を持たせた窓も、クハ79の300番台の昭和29年製まで遡る。私自身は1985年度生で、その年の3月には富山港線の73系が引退。その前年10月には可部線の73系が引退しており、DRFC入会時点で残存している営業線上の旧型国電は鶴見線大川支線のクモハ12と小野田線雀田支線のクモハ42だけだった。旧型国電を撮影するには、私は完全に遅れてきた青年であった。東海道緩行の旧型国電は小学生の時に引退しているので少し覚えているが、京浜東北線や横浜線など首都圏での活躍は想像の世界となる。73系については、既に多くの書物が刊行されており、インターネット上でも充実した内容の掲出が多くある。偶然であるが、ピクトリアル最新刊も72系旧型国電。なぜ今73系なのかとも感じるが、その最末期、可部線と富山港線で撮影することが出来たので、既出の内容ばかりで恐縮だが、自分自身の振り返りとして、主に実際に見た車両に焦点をあてて投稿させていただく。

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韓国の鉄道

去る8月、韓国に行く機会を得た。鉄道旅行ではなかったので、ソウル釜山のKTXくらいしか乗る機会はなかったが、このデジタル青信号でも韓国の鉄道は、あまり登場しないようだ。そこで、少しだけだが報告させていただきたい。

KTXⅠ ソウル駅

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港鐵城際直通車

香港から広州へ向かうZ804次

香港から広州へ向かうZ804次

8月5日、15年ぶりに香港-広州を結ぶ港鐵城際直通車に乗りました。前回は、当時中国最速の最高運転速度200キロの新時速にこの区間で乗りました。香港内ではノロノロ運転だったのが、深センを過ぎると新幹線に迫る高速運転になった記憶があります。
今や中国には、日本を凌駕する高速鉄道網があり、和諧号が深セン-広州102キロを52分で頻繁に運行されていますが、新幹線ならいつでも乗れると思いましたので、中国伝統の客車列車で香港から広州をめざします。 続きを読む

2014年5月台湾へ

ここ数年、台湾の鉄道にはまっているのですが、花東線電化前にもう一度と思い、ゴールデンウィーク真っ只中の5月2日から台湾に行く機会を得ました。

関西空港から桃園までLCCの往復でしたので、繁忙期にしては安く行くことができました。関西空港の第2ターミナルまでは、関西空港駅前からシャトルバスで向かいます。埋立地の果てにあるターミナルでまだまだ発展途上という印象を受けました。飛行機の胴体には人気アイドルタレントの顔写真が大きくプリントされてあります。その顔を拝みながら、久しぶりにタラップで飛行機に乗り込みます。LCCなので機内食も映画もありませんが、3時間に満たない飛行時間なので、全然不自由はありません。

快適なシート

快適なシート

台北からは23時30分発の莒光531次で高雄まで向かいます。高鉄ならほぼ同区間を1時間半足らずで走る時代ですが、週末だけとはいえ季節を問わず客車の夜行列車が残存しているのはありがたいことです。莒光号客車は、大きくリクライニングするので寝るのにも好都合です。正確にシートピッチを測ったことはありませんが、恐らくスロ54やサロ165などグリーン車とほぼ同等の仕様ではないでしょうか。

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2013年夏、台湾

近年、デカンショまつり号さんと数回に渡って台湾にご一緒させていただいたが、春先、準特急さんの台湾訪問記事に触発され、乗り鉄中心でなく台湾の風光明媚な景色を入れた写真を撮ってみたいと思っていた。デカンショまつり号さんと7月に台湾行きの準備を進めていたところ、準特急さんからも台湾にご一緒いただけると快諾を得、3人での台湾行きが実現することとなった。

EMU300型 汐止駅発車

EMU300型 汐止駅発車

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2012年の暮れ台湾へ(下)

 24日月曜日は、早朝から台東の北郊、鹿野の駅付近で数本の列車を撮影しました。駅から線路に沿って南へ5分ほどバナナ畑の傍と、駅の北側とで何往復かしてディーゼルカーの自強号、DR2700の普快車、客車列車の莒光号(急行に相当)の撮影をこなしました。
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「鹿野駅に入るDR3000型の自強号」

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「莒光号 鹿野駅付近」

 その後鹿野8時56分発の復興685次で玉里まで出て自強号乗換えまでの約一時間、玉里麺という約45円の汁そばを食べます。今流行の腰が強い麺と濃い味のスープのラーメンとは異質ですが、細めの麺と肉、もやしの具材があっさりしたスープとよくあいなかなかいけます。復興号は普快と莒光号の中間、つまり準急に相当する客車列車でブルーの濃淡二色の塗りわけになっています。客車の見かけはほとんど莒光号の客車と変わらないのですが、定員が莒光号客車が52人のところ60人となっているのでシートピッチが若干狭く、窓割りとシートの並びがあっていません。玉里からは10時39分発のディーゼル自強301次、花蓮から13時3分発の自強175次で福隆まで乗ります。この175次は、プッシュプル方式の12連ほどの長大編成で、前後の電気機関車が南アフリカ製、間に入る客車が韓国製となっています。普通電車で大里まで戻り、亀山島を望む海沿いの道でカメラを構え、何本かの列車を撮影しましたが、生憎どんより曇っていました。
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「莒光号 大里駅付近」

 その日の泊まり先は、近くの礁渓温泉です。台北からも列車で1時間半程度で行けるとあってなかなか賑わいのある温泉地です。台湾は温泉も多く、礁渓温泉のように賑やかな行楽地と山深いところなどいろいろあります。台湾の場合、水着で入る大浴場か個室の風呂になります。ホテルは日本風の畳部屋でしたが、部屋は温泉の出ないユニットバス式の風呂しかありませんので、外湯となる系列施設の個室風呂に行きます。カラオケボックスのように各個室に大小もあるようですが、通された部屋は3人用とかで、ゆったりとした浴槽の蛇口をひねると無色透明の湯が勢いよくほとばしり出ました。この日も、蟹のフライなど海鮮中華の味を楽しみました。
 25日火曜日は、東部幹線と平渓線の分岐駅となる三貂嶺駅での撮影です。ここは、総本家青信号特派員さんも寄稿されておられますとおりかつての福知山線道場-武田尾間のような趣です。補機がつく貨物列車と機関車の切り離し、平渓線ローカル列車のタブレット交換の他、幸運なことに試運転中の日本車両製の新鋭TEMU2000型も撮影することができました。
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「補機も付けてあと一息 三貂嶺駅」

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「平渓線ローカル列車 三貂嶺駅」

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「試運転中の新鋭TEMU2000型 三貂嶺付近」

 その後、台北近くの有名撮影地、汐科駅で釣り掛け式電車EMU1200型で運用される自強112次、127次などの優等列車の他、懐かしい荷物客車やセメント貨物などの撮影をこなしました。ここは、編成を撮るのに好都合なカーブがあり、東部幹線と西部幹線が交差する位置でもありますので、かなり高い効率で撮影をすることができます。
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「荷物列車 汐科駅」

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「配給列車も通過 汐科駅」

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「自強112次 EMU1200型 汐科駅」

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「自強113次 EMU300型 鶯歌駅付近」

 この駅で、デカンショまつり号さんと新所沢都民さんと別れ、私は翌26日水曜日、桃園近くの鶯歌駅近くの陸橋で彰化行きの釣り掛け式電車EMU300型の自強113次を撮った後、帰阪しました。また行く機会があれば、その時は是非、客車急行となる莒光号に台北から高雄、あるいは台東まで弁当を買い込んでゆっくり乗り通してみたいと思っています。あとは時間があれば、観光列車化してはいますが、SL牽引がある渓湖糖廠など糖廠のナローゲージトロッコにもまた乗ってみたいと考えています。

2012年の暮れ台湾へ(上)

 夏に集集線の蒸気を撮った後、総本家青信号特派員さんの寄稿を拝見し、台湾でもそろそろ乗車優先から走行写真を、と思っていたところデカンショまつり号さんから熱烈な台湾行きのオファーをいただきました。そこへ台湾の鉄道に深い関心を示していた新所沢都民さんも誘い、それぞれ航空便は関西、成田、羽田からとばらばらながら12月22日(土)16時50分、台北駅中央切符売り場に3者が集合しました。今回はTR-PASSの3日間用(1800元)を使うことにします。これは、台湾の在来線ならどの列車(商務車(グリーン車)は除く)でも乗れ、座席指定も窓口で指定券を発行してもらうだけの便利な切符です。
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「クリスマスの装いの台北駅」

 この日は少し雨がぱらつく肌寒い天気です。先ずは花蓮までの移動の前に階上のフードコートで腹ごしらえです。このフードコートは台湾の料理をはじめ、ファーストフード、洋食、日本食など多く選べますが、せっかくですので鶏肉の焼き物と中国野菜の炒め物と台湾風らしい食事を食べました。あっさりしていて結構いけました。花蓮までは17時40分発の自強282次のタロコ号です。
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「タロコ号 花蓮駅」

 タロコ号は人気列車とかで花蓮まで切符がとれたのは初めてでした。専ら充当されるTEMU1000型はJR九州885系をもとにしているとあって車内の窓周りはそっくりですが、シートの前後の間隔はタロコ号の方が相当ゆったりしていました。花蓮は漁港に近いとあって、海鮮料理の店で夕食をとりました。太刀魚、しじみ、イカなど材料を選び、焼く、茹でる、揚げるなど調理も選択できるのですが、よく分かりませんので炒め物中心でも新鮮なのかさっぱりしていておいしくいただきました。
 翌朝23日日曜日、5時47分発の普快車4676次に乗り込みます。この列車にはDR2700型ディーゼルカーが充当されています。かつては台北高雄間の特急光華号で活躍したとのことですが、今は花蓮-台東で余生を送っています。ビニール張りの回転式クロスシートは相当くたびれていますが、DR2700は、カミンズ製のエンジンを勇ましく轟かせ、なかなか鋭い加速をします。
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「DR2700型」

 ホテルで朝食のサンドイッチと豆乳を用意してもらいましたが、少ないのでコンビニで買った国民弁当も食べます。国民弁当は、台湾のコンビニに必ずといってもいいほど置いてある弁当で、ご飯の上に、豚肉や鯖の焼き物の他、炒め野菜や卵焼きなどを載せただけですが、これをほおばると台湾にいる実感が体の底から沸いてきます。ただし、国民弁当が一番美味いということではありません。台湾にも独自の弁当の文化が根付いており、日本のような豊富なバリエーションや盛り付けの美麗さはありませんが、車内販売でよく見る台鉄弁当の他、ご当地弁当ともいえる池上弁当や関山弁当などもご飯の上の具材をそれぞれ工夫しており、これらを食べることも旅行の楽しみの一つとなっています。
 この日は、旧型客車に乗ることが目的なので、鳳林6時46分発の自強304次のDR3100型ディーゼル特急に乗り換えます。こちらはリクライニングシート、空調つきの大型固定窓で、特急と呼ぶにふさわしい車でDR2700とは隔世の感があります。大きな町の台東をやり過ごし、トンネルの多い新線区間を一気に枋寮まで快走し、10時16分着。駅で暫し撮影をした後、駅前の餃子専門店に繰り出します。焼き餃子、水餃子それぞれ普通の味に加えキムチ餃子やカレー餃子など変わった種類もあり、ビールも進みます。
 枋寮から台東までは日本製の旧型客車3両を連ねた普快車3671次で戻ります。旧型客車といっても日本で多く見られたオハ35やスハフ42そのままではなく、10系客車でもし特急専用車があったらこんなんだっただろうというスタイルです。狭窓が並ぶ回転クロスシートは、スハ44の軽量客車版といってもいい形です。
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「普快車3671次」

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「SPK32700車内」

 この日も天気はぱっとしませんでしたが、窓を開け放って風を受けるのは気持ちいいものです。この旧型客車SPK32700ですが、もはや枋寮12時8分発の普快車3671次とその返しとなる台東17時25分発の普快車3672次の一往復しかありません。SPK32700もかつて対号特快として台北高雄間で活躍していた車両で、大井川に残存するスハフ43と内装もよく似ているように見えます。
 枋寮-台東間は開通して20年足らずの新線なので路盤もよく、時折海岸線に接するもののトンネルも多く、旧型客車といえどもかなり高速で走ります。

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「快走」

2011年の9月に乗車した際は、この列車に団体客が大勢乗り込み騒がしかったのですが、この日は他に鉄チャン風と地元の客がちらほら乗っているだけで至って車内は静かです。戻りもこの旧型客車の返しに乗り、枋寮20時38分発の自強753次で台東に22時25分着後、駅前のホテルに投宿しました。