四半世紀ぶりにタイに行った(その3)

▲メコン川を列車で渡る

(ラオス)
1995年の夏、今回と同じようにノーンカーイまで寝台特急に乗り、ラオスの首都ビエンチャンをめざしていた。「いた」というのは結果としてビエンチャン入りが果たせなかったのである。当時はノーンカーイの旅行代理店というよりブローカー?を通して、ラオス入りのビザを取得し、タクシーかトゥクトゥクに乗ってメコン川に架かる友好橋を通ってラオス入りを果たす計画だったのだが、ノーンカーイでいつまで経ってもビザを取る目途が立たず、泣く泣く諦め、バスで長駆、タイ南東、カンボジアに近いウボンラチャターニーまで行き、緑濃い中をトヨペットコロナのタクシーで回ったのだが、これはこれで思い出深い旅行となった。恐らく1960年代製と思われるかみそりのコロナは窓が破れ、シートも底つきを起こしていて何とか前へ走るという状態だった。あれから四半世紀経ち、ぱっと見でも20年も前の古い車は走っていない。最近の日本製だけでなく韓国のヒュンダイやデーウも結構走っている。経済成長の証左とも言えるだろう。

▲タイラオスを結ぶ友好橋。列車が通る時は自動車は通行しない。

 ▲ビエンチャンでは京都市交も活躍

▲賑わうバス乗り場

▲ソンテウも満員

▲ビエンチャンのパトゥーサイ  ラオスの凱旋門だそう

▲市場にて

▲ビアーラオ これはなかなかうまい

▲ビエンチャンの宿屋の焼飯、これも秀逸

▲朝ごはんは揚げ春巻きとつけ麺、さっぱりとした忘れられない味

 

 

話しがだいぶ横にそれたが、今回は、ノーンカーイの駅から友好橋を通ってラオス側国境のターナレーンまで鉄道、国際列車でラオス入りする。今はビザも不要になっている。2月2日、陸路の出国手続きを済ませ、7時30分の列車に乗る。普通にタイ国内を走る3等客車2両の列車である。友好橋は、中央を単線の線路が敷かれており、1日に2往復列車が通るときだけ自動車の通行を止めるようだ。原野の中でぽつんと出来た新しいターナレーン駅でラオスの入国手続きを済ませてからビエンチャンまではタクシーしかない。市街までは15キロほどあるようで、何で早くビエンチャンまで線路を敷かないのか、と素直に思うが仕方ない。駅前の客引きはビエンチャンまで乗合で300バーツを提示してきた。物価を考えるといい値段だが、客引きも慣れない外国人に選択の余地がないことを織り込み済みの強気である。ここでは迷いようがないので、予約済のホテルの場所を提示し、ヒュンダイのミニバンに乗り込む。
ビエンチャンは、一国の首都というには小さなのんびりとした都市で、ゆっくりと寺や市場を見て回るくらいだったが、人々も素朴で好印象をもった。ベトナムの影響を受けたであろうラオス料理も、必ず先に出てくる生野菜といい、なかなか食べる値打ちはある。とりわけホテルで食べた焼き飯は米に妙があるのか、後日、タイで食べた焼き飯はどれも勝ち目はなかった。ただ、タイと同じくらい、割合からするともっと居たと思うが、欧米人の旅行者をたくさん見かけた。中国は、高層ビルの建設現場など相当の資本が入っているようで存在感はあるが、新型コロナウイルス禍の影響で観光客は見かけなかった。これは、タイも同じであったが。
▲ラオスのターナレーンからタイのノーンカーイまで戻る国際列車は客車2両

 

▲ラオスのターナレーンからタイのノーンカーイまで戻る国際列車は客車2両

▲ラオスは台湾や韓国と同じく右側通行

▲タイは日本と同じく左側通行

▲友好橋のタイラオスの境界

▲国際列車といっても長編成のコンテナに薩摩守をしているようにみえなくもない

 

翌日、2月3日の午後、ターナレーンまではソンテウに乗る。ダットサントラックの荷台に10人ほど乗っているので、バオーと大げさなエンジン音がする割にはあまりスピードが出ない。まあ荷台の後ろの方に乗ったのでゆっくり走る方が振り落とされる恐怖がなくてよい。ターナレーンからは17時30分発の客車列車だが、今度は前に長いコンテナ編成が付いた混合列車だった。
▲ディーゼルカーの夜行78列車

▲この26列車の特急寝台でバンコクに戻る

 

ノーンカーイからは特急寝台、19時40分の26列車でバンコクまで戻る。その前に、18時30分発の急行78列車、18時50分の134列車がバンコクをめざして先発した。78列車は、何とキハ47タイプのステンレス製のディーゼルカーの5連で、バンコク着は翌朝の4時35分である。どれほどの人がバンコクまで乗り通すのか判らないが、ボックス席の空きがないくらい結構な乗車率である。恐らく日本製かライセンス生産なのかDT22近似のコイルバネ台車に非冷房窓全開。この列車でバンコクまで乗るのは根性が要りそうだ。
戻りは、下段が取れなかったので上段にせざるを得なかったのだが、上段は583系電車のような小窓がなく、ベッド幅も下段より狭い。オハネ25の上段の特典である通路天井裏の広々した荷物置き場もない。バンコク-ノーンカーイで新鋭特急の下段は998バーツ。上段なら898バーツ。もし空いていなければ仕方ないが、積極的に上段を選ぶ理由はないように思う。
バンコク、ホワランポーン駅に着いて、ホームで写真を撮っていると北部のチェンマイからの寝台特急14列車がブルートレイン車両を連ねて入線してきた。この14列車は、日本製寝台だけでなく韓国製のステンレス車体の寝台車、3等座席車、2等座席車、食堂車、荷物車で組成される在来型の特急でチェンマイを17時に発車してバンコクに翌朝6時15分に到着する。今でもブルートレインは走っているのである。タイに来てからモケットは、茶色のビニールレザーに張り替えられているが、他の寝台車同様、寝台使用時はシートの上にマットレスが敷かれるので、日本時代よりは寝心地はいいに違いない。元の車番は判らないが、昭和52年新潟鐵工所の製造銘板が残っていた。次回、何時行けるか解らないが、何とか懐かしいブルートレインに乗ってみたいと思った。

▲寝台の解体は乗務員がてきぱきと行う。

▲チェンマイからバンコクホワランポーン駅に着いた特急14列車▲これはオハネフ25の300番台だろうか。あさかぜで運用されていたと思うが。

▲元ブルトレ車両はかなりくたびれていた

▲荷物車から積み下ろし作業もある

▲どこか懐かしい三等客車の車内

▲三等客車、ホワランポーン駅にて

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四半世紀ぶりにタイに行った(その3)」への2件のフィードバック

  1. ブギウギ様
    クモハ73東ウラさんという優秀なガイドさんにただついて行っただけですが国境を超えることは多少の興奮を覚えるものです。その時のラオス側タナレーン駅を2両編成の国際気動車列車で見たものです。2012年12月8日の撮影です。国境駅ということで期待してメコン川を渡ったのですが、今はなき北海道の興浜北線北見枝幸か南線の雄武あたりを感じました。その時から10年、また変わっていくのでしょうね。ビエンチャン市内はにぎやかでバイクのかわいい女性を見ましたが、京都市バスはその後に行ったのでしょうね。

    • 準特急様
      ターナレーンは、駅があるだけで何もありませんでした。ラオスは中国からの投資で活況を呈しており、中国から標準軌の鉄道が延びてきてビエンチャンまで達するようです。そうなると今の静かな首都も雰囲気が替わるかも知れません。

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