はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part14 帰国へ

第10日目 12月12日

① ヤンゴン12:55 (FD256)⇒14:40バンコク(BMK)
② バンコク(BKK)23:25(JL718)⇒07:15成田
③ 成田9:45(JL6109)⇒11:20関空

今日はタイミャンマーの旅を終えて帰国の途につきます。千住のヤスベイさんはヤンゴンから成田へ直行するANAの深夜便で帰られますが、旅費とJALにこだわった私はバンコクに飛んで乗換えて成田、そして関空へと向かいます。自由人ですので時間には左右されませんが、乗換えは面倒ですね。
▲ 8:09 今日のバンコクまでのフライトには十分時間がありますので中央駅に行って撮影です。

▲ ちょっと乗って見たかった木造椅子の客車です。

▲ 8:18 環状線外回りの通勤列車がヤンゴン駅手前で信号待ち停車しましたらさっさと降りられる方多数です。

さあ、これから通勤列車を撮ろうと思っていましたが、突然D500のシャッターがおりなくなってしまいました。電池切れです。いつもでしたらもう1台のD800Eも持ってきていますが、今回はレンズフィルターが破損、カメラ本体も異常がありそうなので部屋に置いてきました。予備機のコンデジも不調でなぜかシャッターがおりません。予備電池も忘れて大失態です。
残念ですがヤスベイさんに撮影打ち切りを報告してホテルへ戻ってゆっくりとすることにしました。

▲ 11:40 ホテルからヤンゴン空港までは約17㌔ですが高速道路はありません。混み合うところは迂回しながら、約50分で到着です。


▲ 11:48 チェックインカウンターで搭乗券の受け取り、レシートではなくちゃんとしたものでした。

▲ 上から3段目が搭乗する便です。遅延が心配なLCCですが遅れてはいないようです。

▲ 前回来た時は新しいターミナルはできていましたが中には免税店など皆無で殺風景な待合スペースでしたが今回は免税店がオープンして賑やかになっていました。出国手続き前にミャンマー名物のコーヒーやら蒸留酒を買い込んでいましたが、課税はされず大丈夫でした。

▲ 搭乗客はほぼ満員でのフライトでした。網棚にも広告があるのは初めて見ました。

14:50 バンコクで着陸したのはドンムアン空港で、乗り継ぐJAL便はスワナプール国際空港発です。両空港は約40㌔離れていますので移動が必要ですがバウチャーを持つ利用者には無料のシャトルバスが頻繁(12~30分間隔)に走っています。

16:55 所要時間は約40分ほどでスワナプール国際空港に余裕の到着です。もう1本遅い便でも間に合ったのですがLCCでは運休も考えておかなければならないので早すぎる便を選択しました。
ラウンジに入ってシャワーでも浴びてビールを飲んでゆっくりしたいのですがが、チェックインカウンターはまだ開いておらず、IPadでニュースを見ながら椅子に座って待つことになりました。

▲ 長く待っての搭乗券受け取りでした。カウンター嬢は何も説明しませんでしたが座席はプレミアエコノミーにアップグレードされていました。前回はビジネスクラスでしたので1ランク下ですが、席のピッチは広く快適です。
ラウンジには海外の空港には珍しく日本酒も置いてあって、シャワーを浴びてから飲み続けました。

▲ 深夜便ですので夕食は出ませんが朝食は提供されます。

▲ 成田からは伊丹便の接続はなく、共同運航便の関空行きのJetstarですが、接客は最低で2度と乗るまいと思いました。

関空からはラピート乗車で気分直しです。梅田についてからは直ぐにNIKONサービスセンターへ直行して破損したカメラの補修見積もりをお願いしました。
後日、見積もりが出ましたが損傷は激しくレンズは撮影に支障がないがキズが付いていて、カメラ本体もシャッター関係に問題を生じている等で10万円強の費用が必要だそうです。大半は海外旅行保険で補えますが免責・自己負担もあって痛い出費になりました。

これでタイとミャンマーの紀行記を終わらせていただきます。ご覧いただきましてありがとうございました。次回の掲載は国内です。またよろしくお願い申し上げます。

2 thoughts on “はにかみの国ミャンマー鉄道の旅2017年 Part14 帰国へ

  1. 1997年にミャンマーに行ったことがあります。
    ANAが関空~ヤンゴンというノンストップ便を就航させ、その就航記念に「これからミャンマーを売ってくれ」とミャンマー政府から招待され(そのころ私は旅行会社にいたので)アゴアシ付きで行きましたが、今回のぶんしゅう氏の写真を拝見していたら、あまりの変容ぶりにびっくりしました。
    その頃、ヤンゴン市内のバスはほとんど日本からのもので、なぜか京都市バスがかなり多く、「④深泥池」や「㊿北野天満宮」などと行先表示もそのまま走っていました。神奈中や仙台市バスも見かけました。
    (今回もヤンゴン空港のバスは西武のバスでしたね?)
    ミャンマーは右側通行ですが、それらのバスの乗降口は日本の時のまま(左側通行)でしたから、バス停ではお客が運転台の前を回り込み反対側に回って乗降していました。
    ガイドに「なぜ行先表示器などを書き直さないの?」と聞くと「読めないけどカッコいいから・・・」とのことでした。
    (わが国でもいまだに街中で店名などにアルファベットが氾濫しているのが笑えないですよね)
    その頃のミャンマーは国連から世界最貧国の指定を受けていましたが、街中の人たちは貧しい服装ながらもみんなニコニコしていて、わが国の戦後の風景を彷彿とさせる既視感を味わった覚えがあります。
    (ちなみに、ANA関空~ヤンゴン便はホンのしばらくで運航を取りやめました)

    • 無印不用品様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
      20年も前にミャンマーに行かれたとはすごいですね。私が初めて訪問したのが4年前でしたがそれでも街中の変貌ぶりには驚かせられます。中国でも経験しましたが外資が入っていくとものすごいペースで発展が始まっていきます。クローバー会の会員も駐在しています。外交官の落花生さんも今はおられますのでまた行って見たいと思っております。ご一緒されませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください