以前、みだしの題で城東貨物線神崎川信号場付近の写真をご覧に入れたが、今度は近い場所の東海道本線吹田ー東淀川間(吹田市南吹田一丁目)付近の写真をご覧にいれる。最近ではすっかりJR西日本の最新車輛と貨物のみとなり、撮影は遠ざかっているが、自分にとっては鉄道写真発祥の地ともいえる場所。優等列車は、新大阪駅に近づき、ラストスパートの高速走行区間で撮り易いとはいえない、と写真が上達しない言い訳を高速走行のせいにしてしまっているがご笑覧いただければ幸いである。今そのものでなく約10年前と40年前の比較にしたい。 緩行線で平日のみ少しの間復活していた205系。2009年の撮影。
タンゴエクスプローラーも大阪まで足を延ばしていた。
EF200は短命に終わってしまった。
先の3枚の反対側。向日町まで回送される583系きたぐに。
日本海も大阪までラストスパート。この場所は、現在おおさか東線の高架が通っており、全く景色が変わってしまった。
381系くろしおが京都をめざす。
153系急行比叡の先頭は500番台。
急行ちくま12系客車。
キハ82系特急まつかぜ。
ブギウギさん
懐かしい写真に浸っています。
お恥ずかしい限りですが東海道線に205系が入っていたことは知りませんでした。反対にキハ82系が「まつかぜ」としての営業運転の前に京都客車区で試運転をしていたのは知っています。いずれも、なんてこと無い写真ですが時間が経てば貴重な記録写真となることの証ですね。
米手作市様
コメントありがとうございます。キハ82は今見ても美しいスタイルですね。205系平日朝運用復活は一時だけでしたが、現在のJR西仕様なのが貴重です。
ブギウギさま
東淀川~吹田の記録、拝見しました。永年にわたって定点で記録されていて敬意を表します。82系「まつかぜ」なんて、ずいぶん古いですね。実は、私も53年前の昭和43年、DRFCの見学会で吹田第一機関区へ行き、そのあと、全く同一地点でみんなと写真を撮っていました。写真は、EF200撮影の左半分と同一です。できたばかりのEF66がレキ編成を牽いていました。前後の写真には、ブギウギさんが撮られた道路が、まだ未舗装の農道であったり、当時の城東貨物線を行くD52貨物が写っていました。
総本家青信号特派員様
コメント有難うございます。撮り出したのは、無煙化、電車新性能化以降の1979年からですので、それ以前の城東貨物線のD51や緩行線のクモハ51などの写真にはとても興味があります。後位の貨車は違いますがよく似たアングルで2008年3月に撮っていました。
ブギウギさま
同じ位置で、同じEF66を撮っておられたんですね。原色と更新色、貨車もレキとコキと、40年の歳月を感じます。私の撮影分の前後を紹介します。少し吹田よりの城東貨物線を行く、竜華方面に向かう、D52 142の牽く貨物です。D52には珍しい集煙装置付き、長い貨車編成を牽いていました。
続いて、「まつかぜ」「ちくま」撮影と同一地点です。右は農地が広がり、まだ小道はできていませんでした。列車は、当時のありきたり、113系と72系です。
続いて、こんなん撮っていました。左は上り82系4連の回送ですが、後部は、運転台なしのキハ80です。現在でも、後部、運転台なしの回送は時々見られますが、当時でもめったに見ませんでした。
最後尾はキサシ80からキシ80 901か902に改造途中の車両と思われます。窓配置がまさにそれですし、エンジンなど床下機器が未搭載に見えます。
ご指摘、ありがとうございました。私も書き終えて、“しまった”と思いましたが、もう訂正できませんでした。ただ、こんな貴重な車両とは知りませんでした。改造入場の途中でしょうか。
総本家青信号特派員様
貴重な写真ありがとうございます。架線柱の形や地元マニアックですが、後ろの和菓子屋大阪城本丸の看板も古くからあるのがよくわかりました。城東貨物線も今は周囲建て込んでいて神崎川橋梁でしか写真が撮れませんが、昔は遮蔽するものが何もなく築堤からでも撮れたのは新鮮な驚きです。73系電車は、幼少の記憶では激しく揺れた記憶がありますが、緩行線での引退は昭和51年でしたので撮影には間に合いませんでした。当該地域は、昭和40年代に土地区画整理事業が行われました。かなり長く田圃だらけだったのですが、今は東海道線の柵も高くなりすっかり撮りにくくなりました。