私の好きな電気機関車たち   ⑧

東海道・山陽本線のデッキ付きEF電機③  EF59

山陽本線の“セノハチ”こと瀬野~八本松は、22.5‰勾配が10km余り続く難所で、上り列車は補機を連結して越えていました。蒸機時代はD52がその役目で、電化した昭和38年からは、EF53、EF56を改造した専用の補助機関車としてEF59が登場し、昭和46年までに24両が登場しました。その改造は、歯車比の変更(2.63→3.67)、総括制御化、さらに走行中に解放作業を行なうため自動解放装置も取り付けられました。セノハチの勾配区間専門の補機EF59が配置された瀬野機関区。EF59は、EF53(左)、EF56(右)の2形式から補機用に改造された。外観の印象はずいぶん違うが、電動機は同じで性能としては共通である。背後の山は、今ではニュータウンとして開発されて、スカイレールが山肌を登って行く(以下、昭和50年)。

第一号はEF53 8改造のEF59 1で、鷹取工場で昭和38年4月に改造された。写真(上)のEF59 7はEF59 6から、(左)のEF59 2はEF53 9からの改造と、原番号とは一致しない。EF53は、初の国産電機EF52の改良して造られた省形電機の代表、東京区の配置時代はお召も牽き、そのあとも高崎で働いた由緒正しき旧型電機で、関西では見ることができなかった。

EF53の改造車は全部で19両、44年10月改正で貨物が増発となり、EF53は全機改造済みのため、電動機が同じのEF56を改造することになり5両が改造され、EF59 20~24となった。(上)のラストナンバーEF59 24はEF56 12から、(右)のEF59 23はEF56 5から改造された。

EF59の下り側の前面車体は、警戒のため黒黄のゼブラ塗りとなった。EF59 17

補機は、当初は八本松~瀬野で運転し、八本松付近で走行中解放していたが、事故リスクを避けるため、昭和40年10月改正から、補機の連結を西条まで延長し、すべて停車解放となった。補機は、貨物では後補機2両、客車・荷物列車では写真のように1両連結された。ただEF65PFの牽くブルトレ、EF61の牽く急客は、補機なしの単機で上がって行った。

西条で役目を終えたEF59は、基地の瀬野まで戻るため、まとめて回送された。単機、重連だけでなく、写真のような4重連、時には6重連もあったと言う。

その後、セノハチの補機は、昭和52年にはEF60初期車を改造したEF61 200番台が入線した。さらにEF67、EF210 300番台と、セノハチの主は変遷していく。また昭和60年には、補機の配置が広島区に変更され、瀬野区は派出所となり、のちに廃止となった。

 

 

 私の好きな電気機関車たち   ⑧」への13件のフィードバック

  1. EF59 6には、こんな粗末な改造銘板が取り付けられていました。
    客車などの銘板と比べ、材質は、いいのですが、貧素でした。
    ちなみに、38-12は、私が生まれた年月です。

    • はっやっ! 投稿して4分後のコメント、ありがとうございます。本を見ますと、たしかにEF59 6は、昭和38年12月19日改造、旧EF53 5となっていました。

    • ネットでEF59 6の履歴を見ますと、まさに昭和59年6月となっていました。EF67が入線した頃でしょうか。

  2. 昭和56年の春期旅行は長崎方面になり、朝大阪駅を急行「みささ・みまさか」の自由席に乗り姫路から普通列車に乗換え、九州を目差す途中、瀬野でEF59を写真に収めておりました。
    子どもの頃から茶色い大型の旅客用電気機関車は、じっくり見たいと思いつつ、新幹線開業前の特急、急行列車は瀬野を通過。新幹線時代が来て、帰省には夜行急行の「くにさき」や「阿蘇」の14系座席に度々乗りましたが、夜中に通過するので車窓で遠望するのみ。
    だからこの時は千載一遇の機会と思い普通列車を降りて1時間撮影致しました。クラブ員の同行も途中まではありましたが、ここは単独で私のみ下車して撮影です。

    • 私も写した頃は、関西では阪和線以外で大型のデッキ付電機は見られず、瀬野でこんなに多くのデッキ付き、しかも、一段と格が上に見えたEF53が、トラ模様も無い、原型のままでゴロゴロしていたのには感激しました。

    • 機関区跡は、いまでは駐車場になっているようですね。スカイレールと言い、瀬野はすっかり広島の近郊駅になりました。EF59がいた頃は、まだ補機の往来で栄えた鉄道の街という印象でした。

  3. EF18とEF14はろくなものがなく泣き寝入りしていましたが、ここで息を吹き返しました。
    電化直後の瀬野で会ったD52とEF59です。折悪しく降り出した雪のため、見えにくくなっていますがEF59は警戒色ではありません。

    • よくぞ息を吹き返していただきました。雪の瀬野は珍しいですね。しかもD52、EF59両方がいます。最初、EF59には警戒色はなく、まもなくトラ模様になりました。その点でも貴重です。

  4. もう一枚見てください。なぜか瀬野に停まっているEF59はパンタを降ろしていることが多く、残念な写真が多いことに今気がつきました!
    写真は瀬野へ重連回送されるEF5910と4。

    • 続いての力作、ありがとうございます。瀬野の場合は留置が長いのでパンタを下ろしていることが多かったようです。逆に西条はすぐに折返しますから、パンタは上げたままでした。撮影された場所は、有名な大カーブですね。私はこの場所へ行くことはありませんでしたが、相当歩かないと到着できないと思います。

  5. 戦前のデッキ付き電機はいいですね。
    私が訪れた末期はパンタが下枠交差型に取り替えられたものが多かかったのは残念でした。
    添付は「車窓の日本 山陽・九州の巻」というガイドブックからで、見づらいですが上段の写真のキャプションに「谷河川野瀬 道街陽山道い白・車關汽部後はのく吐を煙」とあります。昭和15年刊なので「後部汽關車」(一般人には「補機」より分かりやすいかも)はC52でしょうか?
     

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