江若鉄道旧近江今津駅ついに解体

江若鉄道旧近江今津駅の解体が始まりました。何年か前から解体の話が出ており、保存運動もあって現状維持が続いていましたが、先月解体が決まり、昨日より解体作業が始まりました。クローバー会の皆様からも多くの方から保存を願う署名活動への協力をいただきましたが、残念な結果に終わりました。

18 thoughts on “江若鉄道旧近江今津駅ついに解体

  1. そうですか! 残念ですね。
     以前、西村さんの展示を高島町へ拝見しに行った際にご案内頂きましたね。良い天気でした。記憶が甦ります。
     思い出が詰まった建造物が解体されるのは本当に寂しいですね。嗚呼

    • そのクローバー会の有志で近江今津駅を見学に行った時の写真です。駅舎を支えていた古レールを見ると、江若鉄道が建設される、もっと前の明治時代の刻印があって、それを鋭く発見された米手さんが、マルーンさんらに解説されているところです。このように駅舎には、まだ解明されていない謎もあって、解体は本当に残念です。

  2. 近江今津駅の思い出のひとつが、高島市の藤樹文化会館で行った、江若鉄道の高島展に、特集として、大阪通信員さん秘蔵の近江今津駅を展示できたことです。全部で十数点、しかもすべてカラーという豪華なものでした。

  3. 江若鉄道営業時代に近江今津まで足を延ばしたのはあまりなく、むしろ廃止後イベントで出かけた回数の方が多かったかもしれません。江若鉄道についてはクローバー会が関わったイベントが多くあり、私が会に復帰したのも浜大津でのイベントがきっかけでした。確か近江今津駅は現存していた江若時代の最後の建物ではなかったかと思います。残念ですね。

  4. それと、ご存じと思いますが、RMライブラリーから「江若鉄道〈上〉」が出ています。執筆は、クローバー会メンバーではありませんが、たいへんよく調査されています。当時の近江今津駅の写真については、私も協力しました。続いて車両関係をまとめた下巻も出るようです。まだの方はご覧になってください。

  5. 保存になったかと思いきや残念ですね。
    昨年3月に訪問できたのが救いです。
    ヴォーリズ通の続きである辻川通りは「県道今津停車場線」でもあるようですが、駅構内はここまで広がっていたのでしょうか?住吉二丁目交差点の北側の駐車場がそれっぽく感じられます。

  6. 宇都家さま
    そのRMライブラリー「江若鉄道〈上〉」に近江今津駅の構内図がありました。右下の黒ベタが駅舎の位置になります。現在の駅跡の山側には広い構内が広がっていました。

  7. 反対の終端付近です。機関庫もありました。右手にわずかに家並みが見えます。これが今の「住吉二丁目」の交差点付近になります。今は拡幅されていますが、当時は一車線程度の狭い道でした。

  8. 特派員様

    貴重な写真に構内配線図までのご懇切な解説ありがとうございました。
    やはり駐車場のあたりも駅構内だったんですね。
    営業時代に乗ってみたかったです。

  9. 戦前の話ですが、この終端部を暴走してきた蒸機が、右に見える商家の前に突っ込んだことがありました。歴博の「江若鉄道の思い出」にも載っています。カマは「1118」と読めます。江若で最後までいた蒸機でした。

    • 4−4−0をタンク機改造した城東線とかにいたグループですね。
      この写真は高齢ドライバーのプ◉ウスがコンビニに突っ込むどころでない、マジ怖い1枚で、ノケゾリました。

  10. ついに解体!
    本日の近江今津駅です。高島市にお住まいの知り合いから届きました。ついに解体が始まりました。

  11. もう一枚、本日の近江今津駅です。明日には、もう何事も無かったような更地になっているのでしょうか。

  12. これは痛ましい光景ですね こうなると分かっていても…

    添付は、SL暴走の80年?後に、事故現場から同じ道を少し湖側への地点、何ごともなく高速で走り抜ける特急電車です
    若狭にたどり着けず近江の今津止まりだった江若鉄道は実は近江今津より少し北上していたのですね

  13. ネガをひっくり返していますと、廃止の6年後、昭和50年の近江今津駅が出てきました。まだ駅名標も残っていて、バスの発着場として利用されていました。

  14. 反対の線路側から、さすがにレールはなく、道路になっています。「西今津」と読めるバス停がありました。

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