40年前のカラー写真(パクリ版)その2

一枚目は春の休日に横須賀を散歩したときの撮ったものです。渡し船ですが今でもあるのでしょうか。どことどこを渡していたのか、撮ったことも覚えていません。

横須賀にて

横須賀の渡し船

二枚目と三枚目は京浜急行を撮ったのですが、京急には全く興味が無くいい加減な撮り方でした。

京浜急行、撮影場所不明

撮影場所不明

 

次は都内に帰ります。夕暮れの都電を撮ったものですがこれも撮影場所が分かりません。これは東京支部の方にお助けいただく必要がありそうです。

 

次は多分新宿駅。注目は道床に張られた金網。若い会員には知らない人が多いでしょうがこの前年、10月21日に世に言う「国際反戦デー」があり新宿駅は全学連に占拠、破壊されました。その後全国の主要駅は砕石をとられないように網を張ったりアスファルトで固めてまるで市内軌道のようになったのでした。

http://www.youtube.com/watch?v=mnrgvmxEkdQ

 

線路上の防護網

 これからの4枚はクイズです。新宿であるのはお解りでしょうが、さて今のどのあたりでしょうか?昭和44年の新宿は戦後の闇市と新時代都市が交錯していた時代でした。

新宿1

新宿2

新宿3 これは分からないでしょうから正解を。建設中の京王プラザホテル

新宿4 これが分かれば新宿王!

続きます。

5 thoughts on “40年前のカラー写真(パクリ版)その2

  1. 石倉(83年度)です。
    横浜在住。職場の窓からは少しだけ京急が見える環境ですので、ちょっと推理してみました。
    2枚目の写真はさすがにヒントはありませんが、3枚目の写真の鉄橋を拡大すると、平(何かニンベンの漢字)川の文字に見えます。また左下にはタクシーが数台並んでいます。
    山が見えることから少なくとも横浜より先ということで、京急沿線の地形図をあたってみると、品川方面からちょうど京急久里浜に到着する寸前、右手にJR久里浜駅が見えるところの川が平作川でした。
    ということから、たぶんこれはJR(当時は国鉄)の久里浜駅前で撮影されたものではないでしょうか。写真右側に200mほど進むと京急の久里浜駅。タクシーは久里浜駅前のタクシーでしょう。
    さらに地図を見ると、久里浜から1.5Kmほど東に浦賀港の渡し舟が残ってました。
    写真は対岸がもっと近いように思うので、別の渡し舟かもしれませんが...

    さて都電ですが、ヒントは13系統の新宿行と割烹よしとみのネオンサインです。
    ネットで13系統を調べると「水天宮前ー(S43.3.31からは岩本町)-秋葉原東口-万世橋-水道橋-飯田橋-新宿」という系統です。
    そこでGoogleで割烹よしとみを検索して、関連しそうな店を探して見ると、「新宿区揚場町2-18」という住所がありました。場所は飯田橋駅付近、現在は道路の下に東西線が走っています。googleストリートビューで確認すると、町並みは全然変わってますが、奥の歩道橋はまだ存在してました。
    ということで現在の新宿区揚場町2丁目付近ですね。

    新宿の写真は新宿中央公園で、右側に都庁、左手にハイアットリージェンシーが建つ高層ビル街ですね。
    多分最後は中央公園で、淀橋浄水場があったといわれているようなところでしょう。

  2. “夕暮れの都電”、分かりましたよ。飯田橋ですね。今もある飯田橋の陸橋から神楽坂方面を写したものです。
    夕景の写真でポイントになったのは、
    ①都電は13系統である。行き先は新宿駅と読めるので向こう側が新宿方面。
    ②電停が中央に写っている。文字は読めないが、3文字であることが分かる。
    ③左上の大きなネオン「宴会割烹よしとみ」の文字がある。
    決め手となったのは③です。もしやと思い検索すると、今も新宿区揚場町で「よしとみ」は盛業中なのが分かりました。その場所が飯田橋なのです。
    それが分かり、都電の本を見ていると、まさしく飯田橋で撮った写真の中に「よしとみ」のネオンが写り込んでいるものが見つかりました。その本には、陸橋が掛けられたのは昭和43年3月とあり、撮影もその後にされたことも分かります。
    この13系統は、水天宮を始発として万世橋、水道橋、飯田橋を経由し、神楽坂、牛込柳町を通り、一部は都電専用軌道を走って新宿駅前に至る路線でした。新宿駅前では、11、12、13系統が発着し、ちょうど3本ある電停に3系統の揃い踏みを狙ったこともありました。
    現在、飯田橋から新宿まではほぼ同じルートを都営大江戸線がトレースしています。私もこの付近は仕事でよく通るところですが、よく都電が複線で走ったものと感心するぐらいの狭い道路です。

    それと新宿の写真、当時の西口の光景であることは理解できるのですが、更地になった4番目の写真はまったく見当がつきません。以前あった淀橋浄水場の跡地に高層ビルを建てるための整地中の光景でしょうか。
    新宿駅の防護アミ、懐かしい光景です。「国際反戦デー」「新宿駅」はセットで語られ、いちばん乗降客数の多い新宿駅が騒乱の標的にされていました。反戦デーの数日後、甲州街道横の地下道を潜り抜けると、まだ催涙ガスが充満しており、通り抜けたころには涙でクシャクシャになったことを思い出します。

  3. 特派員様、
    ご明察です。
    特に4番目は淀橋浄水場跡で、当時は高層ビル建築前の時間が止まっている一瞬でした。今では考えられませんが学生やサラリーマンが弁当を食べたり犬の散歩をしたりしておりここが新宿とは思えない風情でした。

  4. 7枚目の噴水は、現在新宿駅西口にあるのがこれかなと最初見た時思いました。しかし、正面の道路がトンネルとなり、その奥右手の建物に懸垂幕があります。これが決めてとなりました。幕にはレナウン、オンワードとか紳士服掘り出し市とあり、小田急百貨店です。そうすると、この噴水は、現在の京王プラザホテルよりやや西側の新宿西口公園の噴水です。
    それから、8枚目の白い横断歩道橋は京王プラザホテルの前にある歩道橋です。正面の大きなビルは朝日生命でその後取り壊されました。歩道橋の左下には工事現場の囲いでしょうか三井不動産と言う文字が見えます。現在の新宿三井ビルの建設工事の始まった頃でしょう。左の赤いやや低い建物が吉永小百合の行っていた精華学園で、これもありません。その奥が小田急HALCで右上に小田急百貨店のマークと旗が見られます。
    京王プラザホテルは新宿西口副都心の超高層ビルの第一号でして、この頃、鉄骨があがっていった時期で話題になっていました。三井ビルはその後を追っかけて工事に入ったと思われます。何れにしましても、若き日の田野城さんがこのあたりをうろうろされていたとは不思議な気持ちです。客車の鬼と言われた田野城さんと東京でお会いしたのは上野口の客車たまり場、尾久に行った時と記憶しております。客車の面白さを教えていただき、おかげさまでスシ48などを撮った思い出があります。
    京急の1000系は横須賀の方を徘徊された時の前後と思いますが、最後の新宿の写真とともによくわかりません。

  5. 石倉 克修様
    初めまして、
    まず久里浜ですが、行きました。思い出しました。久里浜駅です。
    渡し船は記憶にありませんので分かりませんがカメラはnikonFに105mmをつけていたので多少遠近感がひずんでいるかも知れません。
    都電の飯田橋についても特派員氏と同じでまちがいありません。当時私は九段上に住んでおりましたのでこの付近は生活圏でした。
    新宿に関しては皆様共に正解です。さすが!との思いです。

    早川先生
    ご明察ですがさらに詳しい解説をいただきましてありがとうございます。
    京王プラザホテルに関しては先生の関係箇所ですのであえて掲載しました。
    ただ、“京急の1000系は横須賀の方を徘徊された時の前後”は“京急の1000系は横須賀の方を‘見学’された時の前後”と訂正させていただきます。時節柄誤解される方もありそうなので。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください