40年前のカラー写真(ぱくり版)その1

ほぼ同名の記事がありますが、これは似て非なるもので通称「ぱくり」、関西では「パッチもん」ですからそのつもりで見て下さい。そして教えて下さい。

というのは学生時代(実は今も全く変わりません)から写真は撮るだけ、あとは野となれ山となれでほったらかし。整理しながらどこで撮ったものかいつ撮ったものか分かりません。分かった方は教えて下さい。

時代は私が東京にいた昭和43年から45年にかけてです。北海道は昭和40年頃です。またサクラカラーリバーサル、フジクロームとエクタクロームを使っています。色の退色具合からどれかも判断してみて下さい。

たぶん原生花園

上記と同じ場所でキハ04

上と同じ場所でキハ04

壮瞥付近ではないかと思う

壮瞥付近ではないかと思う

保線区の人から「京都から汽車を見に来るとは奇特な人」と褒めてもらった。

さてこれがどこか分からん

これも・・・

これも・・・

そしてこれも・・・多分同じ駅だと思う。

これは分かるぞ!

続きはまたいつか・・・・

40年前のカラー写真(ぱくり版)その1」への8件のフィードバック

  1. 1枚目、2枚目。
    原生花園(釧網本線)にしては編成が立派過ぎで
    2等(グリーン)の連結等から天北線の猿払あたりでは。列車は「天北」?
    それとも宗谷本線の抜海あたりともとれます。ロザつきの準急でしょうか。

    5枚目は石北本線の常紋信号所かなと考えたのですが北海道とは
    限っていませんですね。
    スノーシェッドのあるスイッチバック信号所なので、板谷峠はありえないし
    常紋-金華区間で撮られたので、その後もそうかなと思ったのですが。

  2. 田野城様

    6枚目、画面右手の電柱に誰かが隠れています。同行された方ではないかと思われますが、どなたでしょう?

  3. K.H.生様
    このシリーズは最後の叡電を除いてすべて北海道です。
    記憶をたどれば釧網本線だと思っていましたが確かに天北線も行きました。でも撮影した記憶がありません。
    信号所の写真は、もしかしたら、との思いがあるのは目名か上目名駅、もしくは狩勝信号所ぐらいです。どちらも一回限りしかいっていませんのでわかりません。

    澤村様
    同行者がいたならそれは前田君か前川さんです。ほぼ電柱に隠れられる寸法から見て前田君でしょう。

  4. 田野城様の「40年前のカラー写真(パクリ版)その1」の最初の2枚の撮影場所は釧網本線の「原生花園」で間違いありません。決め手は2番目のキハ04101です。キハ04の100番台は、戦後製のキハ06のエンジンをDMF13に換装して生れた形式で、昭和40年頃、釧路管内に配置され、釧網本線と標津線で使用されておりました。
    最初の写真は、方向幕が「準急」と表示され、先頭車は本州から借入れたキハ58、続く4両はキハ27と思われます。当時の時刻表(昭和39年10月号)と光線状態から列車を推定しますと、準急は釧路発網走行「第1わこと」(606D)、キハ04は網走発根北線越川行(645D)と想定されます。撮影時間帯は11時30分頃から正午頃の間と思われますが如何でしょうか。私も北海道は学生時代に2回行っておりますが、私鉄と簡易軌道を中心に見て回り、国鉄は殆ど撮影していませんので他の写真の場所はわかりません。
    総本家青信号特派員様の写真共々続編を楽しみにしております。

  5. 北海道でSLを撮影したこともありませんが、3枚目の19640は71年3月末の配置が倶知安機関区なので、多分胆振線かなと。6枚目のD51597?は同じく長万部機関区なので函館本線のどこか、7-8枚目のD51857も同じく倶知安機関区の配置のようですが6枚目とは撮影場所が違っているようですね。撮影が昭和43年(1968年)~昭和45年(1970年)なので、転属などで71年3月末とは配置が異なるかもしれませんが19640のみは1949年の配置も倶知安機関区なので転属はないと思います。当時の機関車の運用範囲は全く知りませんので、参考にはならないかもしれません。すばらしい眼福に預かりました。

  6. “どこか分からん”の駅は、上目名でしょう。ご本人は、目名、狩勝も挙げられていますが、いずれも割と開けたところにあり、写真の周囲の光景とは違いますね。写真に見えるD51857は当時、倶知安機関区の所属ですし、一面二線のホームに一本の側線、山が迫った周囲の地形、それに遠くに見えるスノーシェッドは何よりも上目名の特徴でした。写真にあった下りのC62重連(当時は「まりも」)を撮られたあと、上目名に戻り、つぎの列車を待つ間、DC急行やD51貨物を撮られたのではないでしょうか。
    私も数回、上目名に降りてC62重連を撮ったことがあり、何枚か駅構内でも撮っています。駅前には鉄道官舎があるだけ、民家はまったくない山間の小駅です。8月に行っても駅の事務所には石炭ストーブが赤々と燃えていたのには驚きました。それが、昭和40年代前半、C62重連撮影の好適地と紹介され、一躍有名になりました。駅に降りると、待合室はキスリングが所狭しと積まれ、みんなカメラバックだけ持って撮影地へ向かいました。
    その後、C62も消え、函館本線ヤマ線も急速に寂れ、上目名駅も昭和59年に廃駅となりました。廃止直前の一日平均乗降数は2人だったと言います。駅の設備もすべて撤去され、20数年を経た今は、完全に自然に戻ったと言います。
    こんなこと書くと、一度、上目名駅の跡へ行ってみたくなりました。

  7. 藤本哲男様、
    過分なるお褒めをいただき汗顔の至りです。
    時間まで推定していただけたことは驚きでした。
    さらに不明の写真を掲載する勇気が出ましたので続けさせていただきます。

    893-2様、
    6枚目と7、8枚目とは同じ列車だと思います。6枚目の機番が分かりにくいですが同じ場所だったと思いますからD51857です。
    96は胆振線の壮瞥です。反対側の写真(未掲載)に昭和新山が写っていました。
    ご指摘感謝いたします。

    特派員様、
    ご本家に見ていただくとは光栄の至りです。
    しかも「上目名」と分かって安心しました。というのは当日は小雨で夏とはいえだるまストーブが赤々と燃える駅舎で保線区の方からお弁当のごちそうをいただいたからです。駅はなぜこんなところに駅が必要なのかと思うほど何もないところで、客は我々だけ。列車が来るまでお弁当をいただきながら京都の話をしたことを思い出しました。

    皆様に感謝
    頼りない人間からの投稿にこれほど多くの方からお教えいただけたことは驚きでもあり喜びでもありますが、なにより誇りであります。
    学生時代の4年間だけと言えば人生の瞬間でしかありませんがその瞬間の光りが40数年を経てこれからの人生に反射されるとはすばらしいではありませんか!
    皆様、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。
    DRFCばんざい!!

  8.  客車の鬼と言われた田野城様の作品、特にキハ04の走行写真は涙が出ました。原生花園はC58の混合列車やキハ22等はよく雑誌で見ますが、この様な貴重な記録は今年度の投稿大賞ものです。DRFC-Libraryにストックして下さい。今後も是非埋もれている国宝級の作品をお願いします。私も負けずに草葉の陰から応援しております。
     もう一つ過去の投稿作品で感動を覚えたのが井原様の東武野田線の3210系のカラー写真です。よくもあのSLブームの年に、よりによってあんな所へ行ったなーと感心しました。それもカラーがよく出てました。昔、ダイラケの漫才コンビの番組で成績優秀な人に「この人にオロナイン軟膏三つ上げてください」と言うのがありましたが、そういう気持ちです。これもLibrary行きと思います。

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