中津を出ると、淀川とほぼ平行しながら、南西方向に向かいます。付近は、大小の工場・倉庫が建ち並ぶ地域となり、ある意味、大阪らしい光景が車窓に続きます。
▲十三バイパスの陸橋に沿って天六方面に向かう。
▲古い煉瓦塀が続く倉庫会社があって、クラシックな31形とよくマッチした光景があった。いまも煉瓦塀だけは残っている。▲「東大淀」付近からセンターポール区間となる。望遠レンズを通して見ると、ポールが圧縮され、北大阪線でしか見られない独特の光景が広がる。▲凸版印刷の関西工場の横を行く。殺伐とした沿線だが、休日となるとクルマもなく、電車はのびのびと走っているように見えた。
▲途中の停留場は、道路上に白線で区切られているだけ。しかもステップを使っての乗降はたいへんだった(「海老江」にて)。▲▲道路は平日になると一変する。沿線の工場・倉庫へ向かう、大型車両で軌道も埋め尽くされる。(いずれもTさん提供)
「天六」は小生が小学生だった頃、母に連れられて度々行った場所なので、懐かしく思います。
そこには母の親戚があった関係で、当時「阪神国道線」の西大島&東大島が最寄りだった住居から延々(との印象が残っています。)野田まで「国道電車」に乗って、更に「北大阪線」に乗り換えて行ったものです。
小学生も学年が上がるのと共に母と歩く機会も減って行き、「天六」は小生の記憶から消え失せてしまいました。
長じて、鉄道ファンとなってから「天六」は、実は正式には「天神橋筋六丁目」と言うのだと知った次第。
所がその母も亡くなってしまった後、「北大阪線」をフト思い出して訪ねた事がありました。
その時、町は既に様変わりしており、天六周辺に辿り着くまでが「やっと」で訪問を諦めざるを得なかったのが思い出として残っています。
年齢も80を越えた今、ノスタルジーのみが頭の中に広がり、貴殿の特集記事に遠い昔が蘇る感覚です。有難う御座いました。
河さま
小さい頃の思い出、この記事で蘇ったようでしたら、たいへん嬉しく思います。写真の持つチカラだと思います。北大阪線の使い方については、私も別の本で書いたことがありますが、京都方面から、たとえば甲子園に向かう場合、混雑する梅田での乗り換えより、天六→野田で、梅田を避けてショートカットする方法もあると書きました。時間短縮につながるかは分かりませんが、普段は見慣れない大阪を見ることができたと思います。
レトロ車てんこ盛りの写真がありますね