魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って

林鉄は魚梁瀬よりさらに奥まで伸びていましたが、今回は魚梁瀬でUターンして安田川線方面に向かうことにしました。ダム湖の水位がかなり下がっていましたので、更に上流に向かえば、あるいは水没した線路跡や鉄橋跡などが姿を見せていたのかもしれません。急峻な谷が続く地だけに、冬場のこの時期は15時を過ぎると日当たりが悪くなりますので、明るいうちに馬路温泉まで行こうと下山を急ぎました。

⑩犬吠橋 【重】 魚梁瀬ダムを過ぎると、林鉄奈半利線と安田川線の分岐点釈迦ケ生です。この辺りに「井の谷橋」という上路式のトラス橋がある筈なのですが、見つけることが出来ずに諦めました。あとで調べると、村道(林道)に入り込まないと行けない地点だったようです。しばらく行くと工事中のう回路に出ました。犬吠橋です。上路式のトラス橋で県道も兼ねていたのですが、桁間が垂れ下がり崩落の恐れがあるため通行止めとなり、大掛かりな復旧工事中でした。

復旧工事中の犬吠橋。あのトラスの上に線路(道路)があった。

大正13年架橋ですから、99年前のものです。重要文化財に指定されていなければ、復旧工事せずに廃橋になっていたのかもしれません。

⑪馬路村中心街  安田川に沿って谷を下ってきて、馬路村中心街に入ってきました。かつて馬路営林署や林鉄車庫などがあり、商店、学校など地域の生活の中心地だった地で、現在もその機能は変わっていないようです。ここには、一般社団法人馬路温泉運営協会が運営している「うまじ温泉」があり、ここで1泊しました。まずチェックインして、身軽になって温泉周辺の散策に出かけました。

⑫馬路森林鉄道  馬路温泉の向かい側に観光用に作られた周回軌道があります。ここには、シェイに代わって活躍したポーター機に似せて作られたDLとオープン客車があって、観光客を乗せて走っている筈だったのですが、運休中でした。

馬路村の観光パンフレットより転載。

スタッフに聞いたところ、ディーゼルエンジンの調子が悪く、エンジンを取り外して修理に出してあるとのことでした。乗り場に停めてある機関車部分はブルーシートで覆われていて、それも下回りだけのような姿でした。客車は例の運材台車を利用したボギー車でした。

観光用の客車。前方の機関車はブルーシートに覆われている。

(その1)で紹介したポーター機の動輪や鐘などはここに展示(野ざらし)されています。その他、林鉄で使ったとは思えない色灯式信号機や矢羽根のある転轍機などが雑然と置かれていました。

観光鉄道馬路森林鉄道の様子

⑬インクライン  運休中の馬路森林鉄道のすぐ横に、かつて木材の搬出に敷設されていたインクラインを再現した近代的なインクラインがあります。京都の蹴上にあるインクラインは有名ですが、あのような「やわ」な勾配ではなく、まさに「ケーブルカー」です。林鉄各支線の最奥部に何ヶ所も設けられていたようです。

栃谷支線のインクライン  昭和26年撮影(舛本成行編「高知 魚梁瀬山の林鉄」より転載)

勾配の上にワイヤーのウインチ(巻取り機)があって、ウインチにブレーキをかけながら積車を重力で下ろし、同時に空車を引き揚げて 丁度中間点で行き違いができるように作られています。下りて来た積車は次々と連結され、機関車に曳かれて山を下るという流れです。

現在の観光用インクラインは、勾配こそ似ていますが、随分近代的な「乗り物」でした。⑫でご紹介した運休中の馬路森林鉄道のすぐ隣に乗り場があります。

観光用インクライン

片道でも往復でも400円。遊歩道を歩いて下ることもできます。

このインクラインの特徴は軌道が上下2段になっていて、上レールに車両、下レールにはバランスウエイトがあり、ワイヤーでつながっています。要するにビルのエレベーターを斜めにしたようなものです。加えて、車両には水タンクを備えてあり、車両の重量を水の重さで調節できるところがミソです。運転手を含め7人が乗れます。多分、バランスウエイトは車両の自重+7人分の体重ーαで作られていて、登る時は車両が軽いように、下る時は車両が重くなるように水量で調整するという仕組みです。ヨーロッパのどこかにもあったように思います。歩くより遅いぐらいでゆっくりと進みます。登るにつれて、馬路村の展望が開け、観光用には最適です。

左下に見えてくるのが、安田川沿いに建つ馬路温泉

頂上にはちょっとした展望台がある程度で、特に何もありません。FRPの大きな水タンクがありました。乗客が降りて展望台に行っている間に注水作業が行われます。

頂上の様子。車両の上端に注水口があり、丁度そこに蛇口が来るように作られています。

注水作業に4~5分かかったでしょうか。乗客が少ないと時間がかかる筈です。注水が終わると出発です。ゆっくりと景色を楽しみながら下ります。下に着くと、コックを開けて排水します。

⑭馬路集落内の新旧対比  林鉄が廃止されてもう60年を経過し、奇跡的に多くのトンネルや鉄橋が残っていますが、かつて集落の中央を道路代わりに林鉄が走っていましたので、その面影は残っていないかと歩いてみました。昔の写真を見ると、馬路営林署をはじめ多くの商店、旅館などが線路の両脇にびっしりと建っていたのですが、リフォームされたり、更地になっていたりして当時のままの建物を見つけるのは難しかったです。RMライブラリNo.29の表紙を飾るのが、昭和36年頃に岡田喜男氏が撮られた馬路駅付近のカラー写真です。これを手に新旧対比をしようと歩いてみました。

RMライブラリNo.29の表紙

日も暮れかかり、早く温泉に浸かりたい気持ちを抑えながらようやく、その場所を見つけました。多分ここだろうと思います。

上の表紙写真との新旧対比。水色の2階建て駐車場のところが、右のDL列車が止まっている馬路駅跡。手前の白黒のモダンな住宅の玄関あたりに、左側のDLが止まっている。右手の白い2階建て住宅は、改装されてはいるものの 庇の様子などから表紙右手の住宅であろう。

馬路駅側からのアングル。昭和37年8月17日撮影。(舛本成行編の「高知 魚梁瀬山の林鉄」から転載)

上の写真で、線路が合流するポイントの先の2階屋が、「土佐鶴」の看板を掲げている元商家と思われる。かつてはこの道路の中央が林鉄だった。

⑮馬路営林署跡  上の写真の道路をまっすぐ行くと、馬路営林署や林鉄の車庫があった場所です。

馬路営林署前の光景。左奥が車庫。(舛本成行編 「高知 魚梁瀬山の林鉄」より転載)

えらく前ピンの写真で恐縮です。軽自動車の先、右手の桜が上の写真の桜です。本線は直進し右に分岐して車庫がありました。手前右手の赤い建物は旧馬路営林署跡に建てられたJAの事務所。

当時の写真で、満開の桜のうしろに立派な石碑が建っています。昭和30年の勤労感謝の日に馬路営林署が建立した殉職者慰霊碑です。

殉職者碑の背面

碑の前面には、殉職者の氏名、年令、命日が刻まれた銘板がありました。驚いたのは15歳や16歳の若い人の名前が散見され、その多くが戦時中でした。ベテラン作業者は戦地に駆り出され、未熟な若者が慣れない危険な作業に従事していたことを思い知らされました。

殉職者の銘板。少年の名前も散見されました。合掌。

殉職碑前を更に進むと、馬路村を一躍有名にした「ゆずの村」があります。

「ゆずの村」玄関前

ここは馬路村農協のゆず関連飲料や食品の加工場で、見学することができます。

ここで作られている商品群。内装、部品はすべて杉材。

かつての馬路営林署関連施設と林鉄車庫、修理工場跡などの広大な敷地が、近代的な食品工場に生まれ変わり、数多くのゆず関連商品がここから全国に発送されている様子をつぶさに見学することができました。

⑯五味隧道 【重、近】 この林鉄の開業当時、自然落下で駆け下りた運材台車を空車で山に戻すのは距離もあり、人力では大変でした。そこで犬、馬、牛が利用されました。特に犬が曳く鉄道の光景は他に例を見ません。

犬に空の運材台車を曳かせて山を登る。大正5年頃。(RMライブラリNo.29より転載)

この写真のように連なって運行していなかったようで、多分撮影のためだろうと言われています。自然落下で山を駆け下る作業に従事する人は、1人で2~3頭の犬を家族同様に飼っていたそうです。多い時には、この地域全体で約150頭の犬が飼われていたそうです。高知と言えば土佐犬が有名ですが、土佐犬は力はあっても根気がなく、洋犬、秋田犬と地犬の雑種が多かったそうです。また、これらの犬はクマ除けの意味もあったそうです。但し力仕事をさせるためには、しっかりと餌も与えないといけないので、決して安い労働力ではなかったそうです。トンネルと吊橋が写っていますが、この場所に是非行ってみたいと思っていました。これが五味隧道で、馬路の集落の南端にあり、すぐに見つかります。

五味隧道

犬の写真の撮影場所は、このトンネルの反対側の坑口なのですが、道路整備工事で埋められて、かつてのアングルは失われたようです。吊り橋が、今はコンクリート橋になっています。写真は上を走る道路から見おろして撮りました。珍しくレールが残っていますが、すぐ先で路盤は川の方に崩落しています。また線路に下りてトンネル内を覗くのは危険そうなのでやめておきました。トンネル内は立入禁止です。

五味隧道に向かう列車。昭和36年7月 橋本正夫氏撮影。(舛本成行編 「高知 魚梁瀬山の林鉄」より転載)

実は、川の対岸には観光案内所や地場産品売場を兼ねた「馬路村ふるさとセンター まかいちょって家」があり、そのベランダから線路跡を写すことができます。

五味隧道のサイドビュー

安田川に沿って、下流方向の遺構探しに向います。(その5に続く)

 

 

魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その4)安田川線に沿って」への1件のフィードバック

  1. 西村雅幸さま
    貴重な写真とレポートを楽しませて頂き有難うございます。あたかも自分が訪問しているかのようなリアリティーのあるご紹介記事です。続編があるようなので楽しみです。
    なお水動力のケーブルカーですが、以前テレビでスイスはジュネーヴ近くの現役施設が紹介されていたのを視たことがありました。地名を探しましたが資料が見当たりませんでした。他にも都市内の高低差用に小規模なものも在るようです。

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