魚梁瀬ダムを過ぎて、魚梁瀬大橋を渡り丸山台地に向かいます。ここはダムによって沈んだかつての魚梁瀬集落の皆さんが集団移転してできた新しい町です。そこにある丸山公園に、復元された森林鉄道があります。
この公園を1周する400mの線路が敷かれていて、乗車体験もできます。
もちろん乗車体験しました。400mの周回線路を2周します。1回400円です。さすが林業の村ですから、乗車券は名刺大の杉板でした。
この機関車は、かつて林鉄で活躍した「谷村式」と呼ばれたガソリン機関車を平成3年に南国市内の機械メーカー「垣内」が製作したものです。
この銘板にある「野村組工作所」も林鉄用の機関車メーカーでした。現在の土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の前身、土佐電気鉄道の更に前身である高知鉄道の開業に大きく貢献した野村茂久馬氏が設立した鉄工所で、高知県内最大の機械メーカーだったそうです。木材に事欠かない地だけに、戦前から木炭ガス発生装置を搭載した代燃機関車も数多く送り出しています。
魚梁瀬森林鉄道に在籍した内燃機関車はわかっているだけで、野村組製が31両、谷村製が2両、酒井工作所製3両、その他3両の計40両だったようです。これ以外に出自不明の機関車があるようです。
㈱垣内で平成3年に製作された現在の機関車はディーゼルエンジン搭載で、前面にぶら下げられたクランク軸は、谷村式機関車を模したダミーです。今はセルモーターで始動します。
実は、この観光鉄道は日曜、祭日のみの運行です。そのために私は訪問日を日曜日に設定して、前後のプランを考えた次第です。紅葉も終わり頃でしたので日曜日とは言え観光客は少なく、「すみません、動かして下さい」とお願いして走らせてもらいました。運行に従事されている方は地元の観光協会の方でした。12:00から13:00は昼休憩で自宅に戻られますので、現地を訪問して乗ったり、走行写真を撮りたい方は時間帯も要注意です。閑話休題。
かつての運材台車(トロッコ、トロ)の上にオープンタイプの座席を取り付けた客車2両と屋根付きのボギー客車1両を牽いて走ります。
この客車の台車にあるブレーキ装置は、あくまで模式的なもので、走行時には作動せず、機関車だけがブレーキをかけています。ただ、単純な構造ではありますが、かつて自然落下で山を駆け下りた時代には、随分安全性向上に寄与したブレーキだったようです。
車庫を覗いてみました。あらゆる建物が見事な木造で、地産地消です。
車庫の奥に酒井工作所製の機関車がいました。この3.5Tonガソリン機関車は、元静岡県水窪森林鉄道で活躍した機関車ですが、昭和39年に同線が廃止され、天竜林業高校に保存されていました。その後、平成10年に魚梁瀬に移ってきました。
この「岩手富士」と書かれた車両は、特殊軽量機関車と呼ばれているようですが、かつて7両あったモーターカー(自動トロリー)を再現したものでしょう。岩手富士とはメーカー名です。モーターカーは営林署職員の巡視や保線などに使われました。地元の鉄工所などで作られ、スタイルは様々でした。一例を示します。
残念ながら、この車庫で休んでいるだろうと思っていた野村組工作所製のL-69動態復元保存車の姿がありませんでした。廃線後、丸山公園で静態保存されていたものを、平成元年に南国市の垣内で動態復元され、この周回線路で観光の目玉となって走ったようです。しかし4.5Tonと重いため、軌道を傷めるらしく、新しく作られた「谷村式」DLに交代したようです。L-69が現在どこにあるのかを聞き漏らしてしまいました。
約1時間の滞在で保存鉄道への乗車や保存車両を見学できたので、公園をあとにしました。丸山台地内の様子を見て下山することにしました。昭和38年に集団移転で造成された整然とした街区には99区画の宅地と学校、郵便局、JAなどもあって、林業従事者を中心に賑わったようです。高齢化に伴い過疎化が進み、戸建て住宅や営林署の官舎だったのか集合住宅も空き家状態が多く、人の姿もまばらな町になっていました。
(その4)に続く。