◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑫

市電、京電を買収

紆余曲折がありましたが、京都電鉄(京電)は、市に買収され市電の一員となりました。ここで問題が生じました。線路幅が違うのです。京電はJR並みの1067ミリ、市電は新幹線と同じ1435ミリです。ご年配の方なら覚えていらっしゃると思うのですが、四条堀川~四条西洞院のこと。レールが3本2組敷いてありました。京電の路線を引き継いだ北野線は外側の一本と内側の一本を使って走っていました。三線区間と言っていました。 四条西洞院で三線区間に入る北野線


京都市は大正10(1921)年に決定した都市計画道路新設拡築事業に基づき、道路幅が拡大になったところから京電以来の線路を移設するとともに、線路幅を広げ市電並みとしました。最初に完成したのが日本最初の電車が走った伏見線、稲荷線(明治38年開通)でした。次いで河原町線建設に合わせ木屋町線も姿を消しました。これとともに、寺町線、二条線が廃止となり、仁王門線建設とともに蹴上線も改軌(線路幅を広げる)、塩小路線も後を追いました。これで京電以来の姿を残したのが昭和36(1961)年7月廃止の北野線だけになったのです。
この都市計画道路、新しい都大路の建設の大部分は戦前に竣工しました。昭和29年白川線、同31年下鴨線、同33年今出川線の開通でひとまず終わり、そこには市電の姿がありました。四条線四条大宮~西大路四条は、国鉄山陰本線の踏切のためトロリーバスが代行しました。トロリーバスは日本で二番目の開通ですが、町のなかを走ったものとしては日本で最初です。こうした市電開通の順序は先号の図をご覧ください。
これら以外に市電の未着工線として堀川中立売~北大路堀川もありました。北野線に代わるものでしたが、市の財政事情から実現に至りませんでした。
〔前号の訂正:七条大宮の左S7とあるのはS2の誤りです〕

(染と織新報社「染と織」より転載)

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