◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑩ 

梅小路公園のチンチン電車
平成6(1994)年、京都建都千二百年記念事業がいろいろありました。その一つに、梅小路公園建設がありました。西端部では復元されたチンチン電車が走り出し、大変な人気者となりました。

明治期の路面電車の姿を今に伝えるものとして、貴重な存在です。烏丸万寿寺西北角、北阪商店さんのビル玄関にも同型のものが保存展示されています。犬山市の明治村では2台が走っています。ほかにも各所で保存されています。アメリカにも一台渡りました。ロサンゼルスから東へ約150キロ、ベリスという町の鉄道博物館の人気者で折りにふれ走っています。いずれも市電北野線の残党です。
京電のことを研究された方に伺った話では、明治28年に最初に走った電車はいま残っている北野線のものより小型だったそうです。長さ20尺(約6m)、幅6尺(約1.8m)で、車体は国産、モーターは、国産またはアメリカ製、車輪部分(台車)やその他の機械部分はアメリカ製と、和洋折衷だったとか。それが少しずつ大きくなり、明治43(1910)年ごろに長さ27尺(8m強)、幅6尺6寸(約2m)になりモーターも25馬力2個となったのだそうです。それが北野線で最後まで奮闘したのです。
梅小路公園のチンチン電車、運転台上部は遮るものがありません。雨の日の運転手さん車掌さんはつらかったでしょう。乗るほうも大変、30cm近い段差のステップに足を掛け、よっこらしょと運転台へ、そして客室のなかへ、明治の姿です。
こんな電車が時速10キロ前後で京の町を走ったのですが、その頃は道幅も狭く、往来の激しいところでは、人身事故が多発したそうです。そこで考え出されたのが“あぶのおっせ!”の大声とともに電車の前走りをした少年電車告知人でした。

梅小路公園のチンチン電車は、その後、京都鉄道博物館の建設に伴う、公園の再整備で、新しく生まれ変わった。

◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑩ 」への1件のフィードバック

  1. 梅小路の保存電車は残念です。蓄電池で走るのですが、架線も無くポール廻しも無くただただ付いているだけですから市電を見たことが無い人は何のための道具かわからないでしょう。当時交通局へ意見を具申しましたが予算が無いという一言で門前払いをされました。いつか誰かからクレームが付いて、ダミーの架線が張られて復活するだろうと思っています。いまのままでは遊園地のお猿の電車以下ですから。

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