人気者、青電600形
昭和10年前後に生まれた方、「青電」という電車が話題になりませんでしたか? 青電は、昭和12年に登場した600形という電車で、窓から上が濃いクリーム、下がグリーンに塗り分けられて、大きな窓と前部が5度傾斜した当時流行した流線型のスタイルでした。
▲烏丸今出川に停車中の600形、流線型のスタイルは京都市電のスタンダードとなった
京都市電開業時の電車は、先に走っていた京電を大きくした程度で、梅小路公園にある、チンチン電車と変わるところはありません。運転台も吹きさらし、で、色も濃い茶色でした。これが当時の路面電車の標準型といえるものでした。運転台にガラス窓がはまったのは、大正年間末のことです。
大正13(1924)年に500形と名乗るボギー式が登場しました。車輪の部分(台車)が2個で、カーブでの走り方もスムーズとなり、揺れも少なく車体は密閉型、床も低く乗り降りが楽になりました。屋根は丸く車体中央に扉があり乗車専用、両端は降車専用と分けられていました。この頃は市電網拡大期で、この500形の小型版200形、300形の大量増備がありましたが、車輪部分はチンチン電車並み(四輪単車)で、よく揺れて不評でありました。色はすべて茶色です。
そして、斬新なデザインの600形登場で、子供たちの人気者になりました。600形が来るまで、子供たちは待つほどでした。乗ったのが自慢になったのです。私もそのひとりでした。この青電スタイルがその後の京都市電型となり、長短、扉構造、色の濃淡の違いがあっても25年間も継続して造られました。
青色でもないのに「青電」と言ったのは、赤信号、青信号(緑)と言っているように子どもの感覚で名付けたのでしょう。
いま広島へ行くと1900番代の車両番号の青電が走っています。見るたびに子どもの頃を思い出し、乗り心地を楽しんでいます。
〔染と織新報社「染と織」より転載〕
▲小雪の舞う烏丸今出川交差点を下る600形(クローバー回写真展「鉄路輝く」に出展)
総本家青信号特派員様
シリーズはいつも拝読しております。何しろ年(歳)が若い(?)ので北野線の吹きさらしの車両や3線区間は諸先輩等の写真でしか見たことがありません。従いまして由緒ある京電といってもピンと来ない部分がありますが、今回の京都市600形はとても綺麗な路面電車として記憶にあります。青電という言葉は初耳ですがお書きになったキャンブックス「京都市電が走った街今昔の174頁にそのように出ておりました。何れにしましてもうかなり遠い昔のことですが600形を始め500形、1000形、700型、800形、900形、600形の改造車等々が走っていた頃を思い出します。電車少年さん有難うございました。
準特急さま
コメント、ありがとうございます。このシリーズは、元祖電車少年さんから「ワシの遺言やと思って載せてくれ」と頼まれています。それほど京都市電に対する深い思いの籠もったものだと感じて、セッセとキーボードを叩いています。今回テーマの600形は、私も大好きな車両です。控えめで優美なスタイルは、さすが京都の電車と思います。
ただ私が写し始めた頃には、ほとんどが1600形、2600形に改造済みで、原型の600形はわずかでした。でも写真を載せましたように、た~ちゃんは全盛時代の600形をきっちり撮っておられ、そのスタイルを再認識しました。