50年前の撮影地を歩く -19-

最後のC62特急を撮りに四ツ倉へ

本シリーズの前々記事、御殿場線の訪問のあと、私は横浜港の氷川丸のなかにあるユースホステルに泊ったあと、翌日は神田の鉄道博物館などを見学し、上野22時23分発の常磐線経由の青森行き227列車に乗り込みました。当時の蒸機ファンの最大のターゲットだったC62特急「ゆうづる」撮影の御用達列車で、案の定、1両目の客車に乗ると、大半はカメラを持った人間ですが、それでもその数は十数人程度、大型三脚も脚立もなく、みんなカメラ一台だけ、ごく平和で、のんびりした車内光景でした。
上野駅の隣のホームでは下り「ゆうづる」が発車待ち。翌朝にC62の牽く上りを撮ることを思うと、それだけでワクワクしてきた。関西では見られなかった、ブルトレの座席車、2枚窓のナハフ2052から洩れる車内灯にも心ときめいた。

50年前、常磐線の電化は平(現・いわき)まで、平~岩沼は未電化で、DLの入線もなく、客貨はすべて蒸機牽引だった(実際は仙台まで通し運転)。とくに優等列車を中心とする客車列車は、仙台・平区のC60・C61・C62が牽き、“ハドソン三兄弟”が走る線区として知られていた。そして、昭和40年10月改正で、急行「北斗」を格上げして、初めて常磐線を経由する寝台特急として「ゆうづる」が誕生、結果、C62が平~仙台を無停車で特急列車を牽くことになった。それまでのC62の牽く定期の特急列車の牽引は、昭和39年10月改正の山陽本線広島~小郡で終わっているから、その1年後、まさかの復活に驚いたものだ。しかし、昭和42年10月改正で常磐線の全線電化するため、C62特急が見られるのも、あと40日余りとなっての訪問だった(以下撮影日 すべて昭和42年8月24日)。

「ゆうづる」の撮影地は時間帯からして限定される。平から二つ目の四ツ倉がもっとも行きやすいところで、上野から227列車に乗って四ツ倉4時12分着、久ノ浜方面に歩き、鞍掛山トンネルの手前のカーブの撮影地へ急ぎ、まず通過した「第3十和田」を写す。もちろん架線も張られて、完全に電化が完成しているが、今から思うと、高校3年生の身で京都からよくぞ行ったものと思う。
続いてカーブの外側、旧線跡地からC6237の牽く勿来発仙台行き247列車を狙う。当時は、周囲を入れようという意識はなく、とにかく蒸機の迫力を表現するため、画面ギリギリに入れるのが好きだったが、予想より煙が出すぎてしまい、爆煙が切れてしまった。本命の「ゆうづる」の四ツ倉の通過時刻は、5時50分ごろ。まだ光量が十分でないことを考慮して、初めて高感度のトライX一本を購入して詰め替えた。編成全体を見通すことは架線柱に阻まれてかえって不利と考え、ここでもC62と20系数両だけを切り取ることにした。下からあおると、半逆光線にC62の動輪やボイラーが輝いた。牽引機は、ゆうづる専用機に近い23号機だった。「ゆうづる」には、クローバー会写真展にも絵を出展いただいた黒岩保美さんデザインされた、夕陽をバックに飛翔する鶴を描いたヘッドマークが輝いている。「ゆうづる」が最後の蒸機特急となることを念頭に置いて、最も映えるデザインにしたことを、後年になって述懐されたと言う。
上り「第4十和田」、スシ48を連結していた。平区のC62は、調子の良いカマと、良くないカマがはっきり分かれていたようで、「ゆうづる」はもっぱら23号が専用機のように使われ、電化後も呉線へ転属して使われたが、この38号機は、あまり調子が良くなかったようで、電化後は転属することもなく、真っ先に廃車された。常磐線は、東北本線より距離が少し長いが、線形が良いため、多くの優等列車が運転されていた。伝統の特急「はつかり」も設定当時から常磐線経由で、昭和35年12月から、C62牽引の客車編成から、キハ81系に替わった。もちろん初めての撮影であり、よくよく見ると何とも愛嬌のある顔をしている。翌昭和43年の東北本線完全電化により、「はつかり」は581系化され、キハ81系は「ひたち」「いなほ」に転用される。
臨時急行「おいらせ」C6121〔平〕、平区ではただ一両のC61、一番違いのC6120は復活蒸機として今も活躍しているが、本機は電化完成とともに廃車された。
C62ラストナンバーC6249〔平〕の牽く仙台発上野行き224列車

なお、これらの写真は数年前の本欄にも掲載した写真が大部分、この数年で、フィルムの劣化が急速に進み、もはや修復不能になってしまった。「ゆうづる」に無数の傷、皺ができたのを見て愕然とした。幸い、以前のスキャンデータがあり、一部修整のうえ、そのまま使用した。いつフィルムの劣化が始まるとも限らない。フィルムのデータ化は根気よく進めておくべきと再認識した次第。

 

 

 

常磐線は東日本大震災以降、不通が続いているが、その状況の視察のため、まず2014年10月に、いわき以北を訪れた。その当時は竜田までの開通で、すぐ折り返してきたが、ボーッとしていて、対比撮影が果たせなかった。その後、今年になって、再び常磐線を訪れて、代行バスにも乗って、全線を通り抜けた。その時の写真と対比してみよう。
50年前の撮影下車駅、四ツ倉。右側の本屋側の雰囲気は50年前と変わっていない。住友セメント四倉工場専用線が駅の左側から鉱山へ向かい、ナスミス・ウイルソンの600形が動いていた。昭和40年代は蒸機に代わったDLだったが、記憶がない。昭和57年の工場閉鎖とともに専用線も廃止されたが、今でも廃線跡は残っている。

平駅の様子、駅舎、自動車の姿を見ると、今昔の感がする。駅の所在する、いわき市は、訪れた前年に、平、勿来、磐城などの14市町村が合併して、当時日本一大きな面積を持つ、いわき市が誕生した。平駅も、平成6年に「いわき」に改称されてしまい、名実ともに「平」の名は消えてしまった。現在の駅前は、すっかり近代的な装いになった。復興関係者の訪問・宿泊も多いようで、利用したホテルは、チェックインするのに30分も待たされる状態だった。

11 thoughts on “ 50年前の撮影地を歩く -19-

  1. 聡本家青信号特派員様

    やっぱり・・・。
    写真を見ていて先ず目が行ったのがC62 37の迫力あるカットで、続いてキハ81系の『はつかり』、更には『ゆうづる』を牽くC62 23でした。
    しかし、ここまで来て『はて?』と記憶が混乱しかかりました。
    『何か一回見た事の有るような・・・』アレッいよいよ自分もボケ老人?
    不安を抱えながら読み進む内に『これらの写真は数年前の本欄にも・・・』を見てホット安堵した次第。(笑)

    そして平駅のクダリまで来て突然『そうだ。水タラ』と、昔、客車区や電車区の車体標記に異常に興味を持った頃を思い出させてもらいました。
    先日のコメントにも書いた『天リュソ』から連想する『大ミハソ』(3文字)の他に『大ムコ』『東ムコ』や『四カマ』『東カマ』(同標記)、『東チタ』『長ホシ』(ひっくり返し)、果ては余りにも有名な『盛アホ』(阿呆?)など。

    • 河さま
      続いてのコメント、ありがとうございます。はい、前回、発表済みです。もう7年も前のことで、もう時効(?)とタカを食っていましたが、河さまの眼は誤魔化せません。恐れ入りました。でも切り口を変えれば、同じ写真でも再掲載ができることを改めて思いました。車両配置所の略号は、カタカナ2文字が原則のため、局名と合わせて、面白いものがありますね。現役時代、風呂に入らない不潔なメンバーを「大アカ」と呼んだこともありました。

  2. 河昭一郎様、
    機関区名や客車区名の電略記号はおもしろいものがありましたね。
    旅先で『大キト』や『大ミハ』を見れば望郷の念を、地元の駅で『森アオ』や『中ヒロ』を見れば旅情をかき立てられました。でも最近は見ても分かりません。今日の新聞にC56が有火でEF65に牽かれて米原へ回送されている写真が出ていましたが、EF65の所属が『関』となっていました。こんな機関区(とは最近は言わないようですが)がどこにあるのでしょうか?

    • 米手さま
      河さまに代わり、「関」についてですが、これは、下関総合車両所の所属を示します。いつもは向日町(吹田総合車両所京都支所)をネグラにしているEF65ですが、車両管理の一元化が進められており、とんでもない所の区名札を付けているケースがあります。

  3. この記事から、青信号23号(S44年12月)の当時OB吉谷和典さん(故人)の「富岡日記」を思い出し読み返してみました。この原稿だったかどうか淀屋橋か本町の駅事務室まで受け取りに行ったので印象に残っています。同記事によると、吉谷さんは第1次39年5月から電化直前まで8回訪問されていますが、その第7次42年7月、第8次42年9月の間を埋めるように総本家さんは訪問されています。高校3年生での長距離旅行は当時としてはスゴイことです。私はC62との最初の出会いは、平区から糸崎に移った後の呉線です。

  4. 聡本家青信号特派員様 米手作市様

    『関』のELが向日町(今は『吹二』なんて死語でしょうから区名札は『吹』でしょうか?)をネグラにしている由。
    合理化のためとは言え、えらい遠い所どうしですねえ。I T化のおかげでしょうか。

    最近の区名や機関区名(これも今ではXX総合車輛どうたら、こうたら・・・?)は確かに判りませんね。
    大キトが近キトだの本キトだのとコロコロ変ったり、果てはキト標記が消滅?し、ムコに変ったり?
    広ヒロも中ヒロですか。

    当地でも伝統の東シナが場所も直ぐ近くに移転して南ヤテ(線名?)と言ってみたり、東フナが、もうとっくに南クラと改名されてしまったり、更には東チタ⇒南チタも地域再開発で今や消滅?or消滅寸前?
    本当に判りませんね。

    ところで『天リュソ』ですが、後に『天リウ』になったのを知った時には落胆したものです。
    しかし、その『天リュソ』については、どうやら我一人悦に入っている状態なので不安を感じ始めました。(笑)

    『ユは小文字のュだったよな。』と自問自答したり、『えっ、まさかの記憶違い?』と気になったり。
    で、色々資料を見ましたが、手持の中で略名が記された一番古い1961年版の公刊書物には既にリウになっていてガックリ。(もっと遡って他の記録を探そうと思ってますが。)

    或る時期から車体標記も写真に撮ったりしましたが、それ以前は撮影コマ数の節約で今の様に何でもパチパチとは行かず、探してもリュソの写真はありません。

    その後、ネットでググっていたら、或るサイトに記述が有るのを見付けてホッとしたのも束の間、そこにはユの小文字標記が無く、リユソとなっていて???

    どなたか証拠写真の心当たりがありませんでしょうか?
    とんだお騒がせでスミマセン。

  5. 河さま
    コメント、ありがとうございます。車両基地の統廃合、それに伴う名称の変更は、JR各社で独自に進めて、コロコロ変わるため、各社で関連性も薄く、ホントによく分かりませんね。車体の所属表記を書き直すだけでも、たいへんだと思います。
    ところで「天リュソ」ですが、浅学にしてよく分かりませんが、これは竜華機関区ではなく、竜華操車場を指す略号だったのでしょうか。吹田操車場は、よく「スイソ」と呼ばれたものですが、それと同類の呼びなのでしょうか。それともやはり機関区を指しているのでしょうか。

  6. 聡本家青信号特派員様

    『ソ』は仰せの通り操車場を意味しています。
    車体標記としてはミハソ、スイソ、リュソ等が客車のみ(客車に分類される事業用車等も含む)に書かれていました。
    従って、客車は操車場所属と言う扱いだったのかも知れません。
    更に、この『ソ』が付いていたのは関西地区限定(?)の様にも思えます。
    それが何時規則変更で外されたのかが不明ですが、判って居る限りでは1961年以降の客車標記はミハ、スイ、リウになっていた様です。
    なお宮原について言えば同時期に電車はミハのみとなっており、これは早くから電車区所属として客車とは別扱いしていたものと思われます。

  7. かつて車両の所属区に「客貨車区」というのがありましたよね。全くの当てずっぽうですみませんが、「ソ」(大文字か小文字かは全く知りませんが)」は当然のことながら「操車場」のソでしょうから、理由はわかりませんが、国鉄内部での位置づけが「貨車は操車場に付随するもの」とされて、同じく無動力の客車を一緒に配置したことに由来するものではなかったでしょうか。
    車両の信頼性が向上した今となっては動力・無動力の区別などそう重要でもないと思えますが、当時の動力車の主体は手間暇を食うSLや、まだ信頼性が十分でない電気機関車・電車であったため、ある意味放っておいてもいい無動力車とは考え方や取扱いを画然と区別する思想から来ていたものとは考えられないでしょうか。
    何の証拠もなくて申し訳ありませんがフト思いついたものです。

  8. 1900生様

    なるほど、仰せの通りかもしれませんね。
    確かに客貨車区が存在し、同時に客車区も貨車区も別々に存在していましたね。
    つまり、無動力車の所属区は3種に別れていたようですが、この時点では『ソ』の標記は無くなっていたようです。
    どうやら、これ以前には操車場絡み(併設など)の区に『ソ』を付けたのではないかと思われます。
    しかし、一方では小生が勝手に『ソ』=操車場と考えていただけで、良く考えれば操車場では無く、別の意味があったのかも知れず、一体何を意味していたのかが今更の疑問です。
    なお、『ソ』標記は関西独特では無く、鶴見区の『ツルソ』がありました。

    • 河 昭一郎 様
      なるほど「ソ」が操車場以外を意味しているかもしれないというご指摘は気になるところですね。とはいえあれこれ思い巡らしても他にこれという意味も見つけられず、十中八九「操車場」ではないかと思われますが、なぜといわれるとやはり返答に窮します。
      例えば「スイソ」や「アカソ」等は別に同名の旅客駅があったために区別したのではといっとき考えましたが、では宮原や龍華はどうなのかと考えて行きづまりました。旅客駅が無いからですが。
      なにやらヌエのような話になってきました。ご存知の方はおられませんでしょうか。

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