50年前の撮影地を歩く -18-

竜華操車場・竜華機関区・久宝寺駅

少し前の本稿で、東京の近くを走っていた50年前の御殿場線D52を紹介しましたが、その時期に残っていたD52のなかで、なんと大阪市内を走るD52もいました。それは、吹田第一区にいた2両のD52で、城東貨物線の吹田(操)~放出~竜華(操)の貨物列車を牽いており、同線の一部は大阪市内にも掛かっていたのです。50年前、あの超弩級のD52が、東京近辺や大阪市内を走っていたとは…。
さて城東貨物線の終点の竜華、今は八尾市の行政地名として残るのみですが、かつては竜華操車場、竜華機関区があって、国鉄の重要な拠点でした。その竜華操車場を挟むように、上下線別に離れて久宝寺駅もありました。日中は、普通列車も通過するほど、みすぼらしい無人駅でした。いま、全く姿を変えた久宝寺駅付近の変貌ぶりを見る時、改めて50年という年月の隔たりを感じます。
ED60と並んで竜華操車場の発車線に並ぶD5228の牽く城東貨物線の列車、左手に見えるのが、久宝寺駅の上り方ホーム、2、3両分しかない木造のホームだった。背後の高い煙突は帝国製糸のもので、河内地方で盛んだった木綿の生産拠点の名残り。

関西本線上り線を行くキハ17先頭の快速、左手に竜華機関区の扇形庫が見える。快速は、久宝寺駅はもちろん通過、普通列車でも停車するのは、朝夕に各2、3本が停車するのみで、日中はすべて通過だった。

歴史をたどってみると、私鉄であった関西本線が国有化された直後の明治43年に久宝寺駅が開設された。竜華操車場は上り線、下り線の間、抱き込み式の配線で昭和13年に開設された。結果、久宝寺駅は、上下線のホームが200mも離れてしまった。さらにその翌年、昭和14年に湊町機関区が移転する形で、竜華機関区、竜華客貨車区が操車場に隣接して設けられた。関西本線をはじめ、城東貨物線(現・おおさか東線)、阪和線と連絡する阪和貨物線(のちに廃止)の3線が合流する竜華は、昼夜を問わず機関車や列車が出入りする貨物輸送の一大拠点となった。
しかし、輸送体系の近代化や国鉄民営化により、昭和62年、竜華操車場はその役割を終え、現在は、市立病院が移設され、商業施設や超高層マンションが建ち並び、バスターミナルや公園が造られるなど、大きくその姿を変えて昔日の面影は全くない(写真はすべて昭和42年8月撮影)。
竜華操車場を出発するD5228の城東貨物線の列車。
C58の牽く荷物列車は関西本線へ入る。
竜華操車場で貨車の入換に励むキュウロク、操車掛が乗る控え車を前に連結していた。
 吹田第一区に配置されていたD52は、28、142の2両、その後、昭和45年には五稜郭区へ2両とも転属した。
給炭台の下のC5831とD5228

訪問した昭和42年時点での竜華区の蒸機の配置は、D51が9両、C58が10両、9600が2両、8620が11両の計32両の配置だった。

関西本線上り電車から、現在の様子を見る。加美を出て、おおさか東線と合流し、近畿自動車道をくぐる辺りから操車場の跡が広がる(左上)、おおさか東線の201系と並走を続ける(右上)。かつての上り線側が現在線として生かされた(左下)、右側の高層マンションが建つ、操車場用地を含む下り線側が再開発区域となった(右下)。そして、二面四線の久宝寺駅に到着する(下)。

現在の久宝寺駅、関西本線の快速、普通がすべて停車、緩急接続を行う。日中一時間10本が発着、さらに、おおさか東線も日中一時間4本が加わり、乗り換え客も多い。一日乗降客数は約3万2千人と関西本線有数の駅に成長した。

 

 

4 thoughts on “ 50年前の撮影地を歩く -18-

  1. 聡本家青信号特派員様

    竜華周辺のレポート、興味深く拝見しました。
    特に、『使用前』『使用後』の写真に50年の変貌を感じますね。
    もっとも『10年一昔』の5倍も前ですからね。(笑)

    D52、確かに吹一に居ましたね。小生も『専門外』ではありましたが、何度かシャッターを切っています。

    かつては高槻に居ながら、小生に取ってこの地は未踏です。
    何故か?=その頃は電車が走って居なかったからでしたが、合わせて竜華は当時遠い所と思っていた天王寺よりも未だ向こうの方だったからでした。
    ただ、『天リュソ』標記の小文字入りが珍しく、何故か感銘?した記憶があります。

    • 河さま
      コメント、ありがとうございます。高槻に居られた河様も竜華は未踏の地とのこと、たしかに電車はゼロでしたね。私自身も、高校生ながらよく行ったものと思いますが、“D52を撮りたい”一心だったと思います。
      それと、“竜華”は、駅名にはなく、情報不足の時代、どこで下車していいものか迷ったものです。たぶん、八尾で降りて、炎天下、延々と歩いたと思います。考えると、関西の車両配置区は、竜華のように、一致する旅客駅の無いところがありますね。その代表例が、宮原であり、梅小路です。関東ではあまり例がないと思います。

  2. 特派員様、
    先日、西村さんの三江線報告で、私の父親の本籍地が広島県双三郡と言いましたが、私は八尾で生まれました。昭和二十年三月の大阪空襲で焼け出された両親が身を寄せたのが、当時国鉄の勤めていた祖父の家があった八尾の竜華です。やがて終戦。大正飛行場(八尾空港)にあった飛行機工場で父は働いていましたが私は出戸の社宅で生まれたのです。
    晩年父は広い構内を横断する道路橋を通って見たいというので車で連れて行きました。中央まで来て高い煙突とのこぎり型の屋根を連ねたカタン糸の工場が見えると懐かしそうに説明をしてくれましたが、当然ながら私には記憶はありません。
    いい写真をありがとうございました。竜華の写真は私も撮っていますから近く投稿します。ぜひご覧下さい。

    • 米手さま
      “酒の肴”と言い、今回の竜華と言い、たび重なる失礼、お許しください。米手さんからは、以前から大阪で生まれ育ったと聞いていましたが、竜華のある八尾市生まれとは初めて知りました。写真もお持ちとのこと、ぜひ拝見したいです。私も今回初めてフィルムスキャンしてみて、よくぞ50年前にこんな写真を撮っていたものと感心しました。

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