<昭和30~40年代 生活の記録 写真と文章>
今回の京都市電の写真展では壁面の一角に「昭和30~40年代 生活の記録」のサブテーマを設けて40点弱の写真を展示しました。きっかけは昨年実家の遺品整理をしている時に大量に出てきたプリント写真です。普段の何気ない風景が克明に写されて、中には丸太町通りを走る市電を背景にした幼い日の私の写真もありました。私は小学校卒業の昭和43年までは河原町丸太町に住まいがありました。市電の写真展だから、このカットは使えそうだ。何なら、市電の写真の延長線上に、昭和30~40年代の写真の中で、当時の生活が感じられる写真をいくつかのテーマに分けて紹介できないだろうか。主たる来場者の50歳代以上の方にも抵抗感なく鑑賞していただけると思って企画を進めました。
実際会場で私と市電が写っているカットを説明すると、お客さまは納得してご覧になっていました。町内のレクリエーションの写真の前で「うちの町内ではびわ湖に水泳に行った」とか小学校の給食風景ではそれぞれの年代の献立が聞けて参考になりました。地蔵盆の写真で「八瀬の遊園地で遊んだ」の類の話ができるのも、写真展ならではです。
鉄道写真の展示会だから、鉄道100%の方が本当は望ましいのでしょうが、京都市電を核に、昭和30~40年代年代の写真や文章を通じて、当時の生活や人々の暮らしを振り返り懐かしんでもらうのを願って企画しました。お客さまの反応を見ても概ね好評でホッとしました。ギャラリーと言う空間を通じて、お客さまにどのようなメッセージを届けられるか。今回の写真展を通じて、そのヒントをもらった気がしています。
<写真上=寺町丸太町を西に入った北側。市電は1000形 昭和33年1月(2歳2ヵ月)写真下=会場風景>
「昭和30~40年代 生活の記録」、私も共通する環境で育ったこともあって、懐かしい思いで拝見しました。写真のなかから、私の同級生と思われる顔も見つけましたよ。昭和の世代には、育った環境は違っても、共通の思い出がよみがえったはずですし、下のような、平成生まれの子どもたちも、親から教えてもらう、微笑ましい光景も見られました。
「生活の記録」はA3に拡大して10のテーマをご覧いただいたのですが、総本家様のレイアウトやフォントの選び方が秀逸で、写真や文章がより映えました。どうもありがとうございました。
当初構想に入れていなかった幼稚園・小学校の写真を紹介したことで、「記録」の幅が広がったような気がします。
会場には、花が飾られて、高瀬川の早春の光景ともマッチしていました。方向幕にも照明が入って、会場は、いい雰囲気でしたね。会場に置かれたチラシや小さな表示類に至るまで、勘秀峰さんの人柄が伝わり、暖かくアットホームな会場づくりもに感心しました。
お花は、知人から贈られたものと、身内から頂いたものでした。写真がほぼ100%モノクロームの世界だっただけに、アクセントとしてギャラリーの雰囲気を高める効果があったのかも知れませんね。
最初の2日間が終わって、アンケートの提出が良くなかったので、ペンスタンドに「ひとことご感想を!」のPOPを急遽作成し、貼り付けたところ、翌日からは回収率も良くなり、最終的には30名を超える皆さんから貴重なご意見をいただきました。
「昭和30~40年代 生活の記録」は、勘秀峰様と同年代の私にも懐かしい風景でした。生まれ育った地域は違っても、似たような行事が行われていて、大人も子供も生き生きと楽しんだ様子が目に浮かぶようです。地蔵盆の西瓜割りは、私の住んでいた町内でもありました。今では西瓜も高くなり、とてもできません。また、この頃は今ほどカメラも普及しておらず、我が家には写真がありません。自分の子供の頃に重ね合わせ、拝見させていただきました。
紫の1863さん、写真展にご来場ありがとうございました。生活の記録は私が住んでいた所の写真がメインですが、当時の京都市内のいたるところで、見られた生活の風景でした。
当時に思いを馳せ、忘れかけた過ぎ去った日々を再び思い出すのは写真の、文章のチカラです。京都市電2系統の展示でも、それを強く感じました。今回の展示会を通じて、皆さんの心に潤いを届けられたのではないかと思います。