関西の蒸機を巡る ~草津線~  ⑤

最終回の草津線蒸機は、貴生川から、甲賀、油日、柘植と巡ります。東海道沿いに古くから集落のあった草津~貴生川と比べると、この貴生川~柘植は、ローカル色も濃くなります。草津線の列車ダイヤを改めてみますと、撮影当時の昭和40年代、朝夕を中心に4往復の客車列車がありました。朝の下り3本は、草津からEF58に交代して京都までの直通でした。草津を早朝6:11に発つ上り722レは、亀山経由で紀勢本線を一周して、夜の20:51に和歌山市に到着する当時の名物鈍行でした。貨物列車は、亀山から梅小路へ向かう列車が多くあり、牽引機は、亀山区、奈良区の集煙装置付きのD51でした。SLブームの渦中で、関西本線では休日のたびにD51牽引のイベント列車が走り、その流れで、デフに装飾を入れた機も見られました。そんなD51の奮闘も、昭和47年10月改正でDD51と交代し、客貨からD51の姿は見られなくなりました。柘植から油日寄りへ歩くこと数分、絵になる松、杉の並木が迎えてくれる。加太への移動にも便利なところで、お気に入りの撮影地だった。ここは県境を越えた三重県となる。 786レ D51 497 油日~柘植 昭和47年2月

昭和47年3月改正の草津線ダイヤ、赤線が蒸機牽引の旅客、青線が蒸機牽引の貨物、旅客は朝夕に、貨物は昼間に集中していて、撮影効率は今から思うと、すこぶる良かった。その頃、撮影者の必携だった「鉄道ファン」別冊の「蒸気機関車撮影地ガイド」には何故か草津線のダイヤがなく、やっとマイナーな雑誌から見つけた。それほど草津線は、京都・大阪から近いにも関わらず、関心のない線区だった。

歴史のある草津線のなかで、開設当時からの駅は、広くゆったりした構内があり、春ともなれば、桜が咲き誇っていた。いちばん気に入ったのは、甲賀駅の桜で、貴生川を過ぎて、ローカル色の濃く残る風景とも合っていた。昭和47年4月白線や金モールで飾られた赤ナンバーのD51が進入して来た。奈良区のD51 882で、イベント列車をよく牽いていた。6783レ 甲賀 昭和47年4月

D51882のデフには「三日月に跳ね鹿」のマークが入った  ▲▲6783レの発車。昭和47年4月甲賀にD51 613の牽く6783レが到着、助役がタブレットの授受の態勢に入っている。余り手入れは良くないが、これにもデフに飾りが入っていた。昭和47年4月甲賀で交換するするDCから乗客が下車したものの、対向の貨物がまだ停車中、発車するまでホームでじっと待つ。たまたま、井原さんと申し合わせもしたことがないのに、同じ甲賀で乗客が通路を渡っている写真をコメントに寄せていただいた。左はDCから受け取ったタブレットを一刻も早く貨物の蒸機に渡すため、自転車で搬送中。

春真っ盛りの山里を行く、D51 178の牽く貨物列車、信楽線での貨物仕業を終えたC58が列車後部に連結されている。1792レ 油日~柘植 昭和47年4月

平坦区間が続く草津線で、唯一山越えらしい区間が続く。最大15‰勾配を越えると、まもなく柘植に至る。 D51 254  柘植-油日 昭和47年2月D51 908の牽く上り貨物。柘植-油日 昭和47年2月

昭和47年10月改正で草津線はDLに置き換えだったが、改正当日の10月1日の722レは、しっかりD51が牽いていた。朝の通勤列車にDD51の入線は実見しているが、当日、ほかの旅客、貨物は全部D51牽引だった。油日~柘植 昭和47年10月

夜の柘植駅構内、貨物を牽くD51のほか、上下の関西本線、草津線の折り返しDCが3編成並んでいる。当時は、夜間でも車両が出入りして賑やかだった。

柘植にも、山に囲まれて、蒸機の駐泊所があり、転車台、給炭台を供えた、模型のような好ましい機関区設備があった。草津線だけでなく、加太越えの補機などが、つねに憩っていた。▲▲草津方を望むと線路は闇の中に消え、腕木信号だけが、しっかり立っていた。

昭和47年10月改正の当日には 京都~亀山に「サヨナラSL近江路号」が運転されて、実りの田園の中を通り過ぎた 戻りの京都行は、大勢の客を乗せて、夕暮れの路線を走った。このあと草津線を訪れることはなく、DL化の完了は見届けていないが、順次、蒸機はDLに置き換えられて行ったようだ。 9728レ D51 442〔田〕 貴生川-甲南 昭和47年10月1日

 

 関西の蒸機を巡る ~草津線~  ⑤」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    草津発の亀山経由、和歌山市行きがあったとのこと、興味深く拝見しました。草津から和歌山市まで乗り通すお客さんは、いらっしゃったのでしょうか。

    同じ行程で貸切列車を走らせることができれば最高ですね。異なる2会社の協力を得る必要があるので実現化は厳しいでしょうが…

    • 18きっぷ1回分で、京都から京都まで紀伊半島を一周でき、しかもほとんどが旧型客車に乗り続けできるのですから、まさに夢のような列車ですね。その夢の列車の中で撮られた一枚の写真が、名門と言われ、超激戦といわれた写真コンクールで推選で入賞された方が、何を隠そう、クローバー会におられるのです。
      https://drfc-ob.com/wp/archives/87712#more-87712

      • 総本家青信号特派員様
        米手作市様

        リンクの掲載ありがとうございます。「さすがDRFC!」と思いました。全線完乗を達成なさった先輩も居られますし、チームDRFCを改めて誇りに思いました。

        最長片道きっぱーもいらっしゃることでしょう。

  2. 柘植駅の上り場内信号機を見て思い出したので、書きとめておきます。
    夜間の腕木信号機の背面からの現示の確認方法なのですが、お写真のように光源があって羽根の角度がわかる場合には問題ないのですが、そうでない場合、白色光の円の大きさで判断します。大きい場合が定位、小さい場合が反位となります。本シリーズ④の貴生川駅の上り出発信号機の写真の方がわかりやすいかとは思いますが、上の草津線上り出発信号機の小さな白丸が反位を、下の信楽線下り出発信号機の大きな白丸が定位を示しています。出発信号機の場合、誰も背面から確認することはないのですが、羽根さえ変えれば場内信号機に転用できるようになっていたみたいですね。

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