関西の蒸機を巡る  ~小浜線~  ②

小浜線は、京都からは直線距離では、それほどでもないものの、アクセスは良くありません。どちら側から列車で入るにしても、遠回りを強いられて、着くのは昼ごろになります。走っているのも汎用機のC58では、訪問の優先順位は低くなります。近くの舞鶴線、宮津線も、よく似た路線ですか、そちらは、D51やC57、9600が見られるとあって、よく撮影に訪れたのとは対照的でした。

アクセスの悪さを救うために一計を案じたのが、夜行列車の利用でした。当時、北陸本線には、まだ大阪~新潟の夜行の鈍行が走っていました。京都23:48発、敦賀には深夜の1:37着、待合室で仮眠して、敦賀4:50の始発に乗れば、5時過ぎには撮影地に到着ができて、まるまる1日を有効に使うことができたのです。前稿のなかで、「十村に来たのは、あるミッションがあって」と記した。私が行く直前、仲間のI原さん、T田君が、小浜線を訪れていたのだった。彼らが目指したのが、この十村の近くの小高い山の上の神社で、“十村はエエでぇ”と吹き込まれていたのだった。聞いたままに、くだんの山に登ってみた。なるほど! 素晴らしい展望ではないか。敦賀方からの線路がずっと見渡せて、右に見える十村駅の到着も見える。二人が言うのは間違いなかった(以下、昭和46年8月)。

十村を発車した東舞鶴行き938レが、大カーブに掛かり、田んぼの中の築堤を行く。

田園のなかの大築堤を走る。つぎの大鳥羽まで10‰程度の連続勾配で、築堤も徐々に高くなって来る。例によって、ありったけの3台のカメラで乱写する。いったいどんな道を通って山の上の神社へ行ったのか、記憶がない。ネットの地図で調べても道が見つからず、いまは廃道になってしまったのだろうか。

十村に下りてきて、C58 223の牽く敦賀行き921レを撮影、背後が、前掲の上った山になる。朝から何も口にしていない。十村駅前で唯一、よろず屋が開いていて、パンを買って食べると、口いっぱいに酸っぱい味が広がり、思わず吐き出してしまった。まだ食料品の消費期限など、いい加減な時代だった。こんなことだけは覚えている。

そのあと、小浜経由で、勢浜まで行き、軽く撮ってから、本日は、小浜ユースに投宿、晩はミーティングで楽しんだ。翌日は小浜線のハイライト、海岸沿いを目指す。と言っても、小浜線は、実際には内陸部を走ることが多く、勢浜、加斗付近だけが、海岸に接近して走っている。

小浜のつぎの勢浜で下車、駅の横のカーブで933レを撮影、C58 223[西舞]の牽引、同機は昭和43年にお召を牽引した。3年も前だが、朝日にその面影が輝く。

続いて駅の横の丘に登ると、鏡面のように静かで穏やかな若狭湾が見えた。972レ続いて西舞鶴行き922レが通過、客レは通常6両程度だが、時間帯がよく、海水浴客も多いとみて9両編成にになっていた。三脚に据えた6×6では、融通が利かず、後部が切れてしまった。一両だけの電車が行き来する現在とは、比べものにならない輸送量があったことが分かる。

海水浴客輸送がピークのころの小浜線の時刻表(昭和46年7月号)、実に多くの臨時列車が運転されていた。行ったのは、この時刻表と同じ昭和46年の8月だが、お盆を過ぎていたので、臨時は軒並み運転がなく、その分、定期列車に乗客が移り、増結されたと思われる。

 

 関西の蒸機を巡る  ~小浜線~  ②」への17件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    〝あるミッション〟は日吉神社からの俯瞰でしたか。水田が広がり、十村駅も良く見えましたね。蒸機機関車が煙を噴き上げ、築堤を上ってくる様はさぞ素晴らしかったことと思います。それにしても新潟行き夜行を利用し、敦賀で仮眠されたとのことですが、ほとんど眠れなかったのではないですか。若いとは言え、総本家様の行動力には恐れ入るばかりです。
    初めて訪問した時は小さな祠がある広場に、数人の同業者がカメラを構えていました。たしか1990年代の終わり頃、鉄道誌に親切丁寧な撮影地ガイドが載っていたように思います。
    添付の写真は1999年7月の撮影です。

    • 紫の1863さま
      コメント、ありがとうございます。青田の中の築堤を行くDC列車、いいですね。私はこの場所でカラーも撮っていますが、変色・退色ですから、こんなにきれいなカラーを見て、感動しました。夜行列車の利用、なんせ深夜の1時過ぎの到着ですから、安心して寝ることはできなかったと思います。その頃に流行った、「〇〇ターン」と呼ばれる上下列車の乗り換えに比べると、まだマシです。その後、撮影地ガイドにも紹介されていたのですね。われわれの仲間が見つけた、秘密の撮影地かと思っていました。

  2. 連続コメントで失礼します。
    くだんの〝十村駅前のよろずや〟です。私は冷たい飲み物を自販機で買いました。大手メーカーではなく、〝DAIDO〟製品を置いてました。些細なことを覚えているものです。
    1999年8月の撮影です。

    • 紫の1863さま
      連投、ありがとうございます。私の50年前の行動を見透かしたような、絶妙タイミングの写真、拝見しました。よく撮っておられましたね。さすがの私も、この店の写真まで撮っていませんでした。その後何十回と小浜線へ行かれただけありますね。たしかに、こんな感じでしたよ。酸っぱいパンを食べた思い出が、さらにはっきりよみがえって来ました。

  3. 山の上の神社(日吉神社)への登り口です。簡素な鳥居があるだけで、参道は荒れていました。ガイドが無ければ分からなかったと思います。
    2000年5月の撮影です。
    ストリートビューに2014年11月の画像が見つかりました。簡素な鳥居は手前に移動し、獣害防止の柵で覆われています。

    • 紫の1863さま
      ふたたび写真、ありがとうございます。なるほど、20年前にはまだ荒れながらも道はあったのですね。いま、ストリートビューで見ても、道も神社も見当たりませんでしたが、きっと樹木が繁茂して、上からは分かりにくくなっているのでしょうね。獣害防止の柵を見ると、ますます荒んだ景色になります。

  4. 十村の大俯瞰いいですね。
    写真は勢浜の総本家さんと同じ場所です。T君が小浜線のこのポイントにまた行きたいと言いましたので行ったのです。
    私はT君の言うことは何でも聞くことにしていましたので、総本家さんと同じように二人で北陸線の夜行列車に乗って行きました。
    現場の道も何もない山の斜面を登ろうとしたら、ヘビの大群が出てきてたいへんなことになったのは補機に書いたと思います。
    現在は国道27号や高速道路が通り、すっかり変わってしまったようです。
    その後十村へ行き、駅で下り貨物列車を撮っていると、機関士さんに呼ばれ、C58 278の運転台に乗せてもらえました。

    • 井原様
      50年前の恩人からコメント、ありがとうございます。やはり、夜行列車で行かれたのですか。ほとんど覚えていませんが、二人から“エエでエエで”と勧められたと思います。勢浜は、3年前、故人となられたプロ写真家の撮影ツアーで行ったことがあります。ちょうど、この場所の近くに、球技場ができていて、そのスタンドから、きれいに若狭湾が望めましたが、なんせ、手前に電柱や看板などのジャマものが多く、撮影はサッパリでした。

  5. 皆様
    十村はこんなにいい所とは今日まで知りませんでした。電化後の十年前の2012.1.4に125系を撮るために敦賀に泊まって一番電車でたまたま現地入りしました。蛇は全て冬眠中で会えませんでした。

    • 準特急さま
      雪の十村で125系の交換、いいですね。125系はなかなか好ましいスタイルで、単行でも似合うのですが、単行でも運びきれる輸送量しかないことを思うと、ちょっと悲しくなります。準特急さんには、コメントの功罪で、いろいろ議論しましたが、こうして皆さんからコメントをいただき、準特急さんのお考えが正しかったこと、改めて思いました。

  6. こんばんは。別の視点のコメントですが、この時代は国鉄線路の脇の草も要員がいたから充分に刈られていて、あとは田畑や原野部の雑草が生い茂っておらず、非常に画になり写真向きで、さらにモノクロの美を感じました。
    昭和34年生まれの私でも記憶に残っている田園風景ですが、現在は田畑も放置されたりソーラーパネルになったり、皆さんは都市部にお住まいだと思いますが、地方の奥地に行くほどに日本の衰退を感じますし、そういう現実を数年前に体験してきました。
    また私が地方の下の世代に感想を述べると、とても抵抗感が強く、それも地方衰退の隠れた一因と思いました。
    最後に急行「大社」のようなフレキシブルな交通体系が残っていないのは、無理でしょうが、この時代は地方ー地方で移動することが十分に可能であり、地方は今よりずっと輝いていたのだなあと思いました。
    (写真は昭和54年10月EVE際の取材で出掛けた長浜で遭遇した名古屋発の「大社」)

    • K.H,生さま
      いつも的確なコメント、ありがとうございます。そうですね、50年前は線路端まで整備が行き届いていました。皆さんのコメントにも返答したように、近頃の鉄道も含めた、地方の荒れようは、目を覆うばかりです。「奥地へいくほど日本の衰退を感じる」の言葉、まさに的を射た見解だと思います。

  7. 小浜線と言えば若桜本郷-若桜和田あたりで若狭湾をバックに撮るようなイメージが強かったのですが、山からのこんないい場所があったのですね。小浜は京都からのアクセスが良くないと書いておられましたが、大津に住んでいる私はそんなに遠いイメージはありませんでした。近江今津から国鉄バスの若江線が小浜まで走り、一部のバスは浜大津まで足を延ばしていて、乗り換えなしで小浜に行くことができました。ただ、1967年の時刻表を見ると所用時間は3時間20分とあります。浜大津で小浜行のバスを見てそんなに遠くないと思っていましたが、時間は結構かかったようです。現在は道も整備され、大津から小浜までは車で1時間半で行けるようになりました。1990年代の終わりの時代、小浜の少し東にある上中に工場ができ、一時期は毎日のように車で通勤していました。冬場は小浜にも泊り、懐かしいところですが、列車の撮影をしたことはありませんでした。一度のんびりと撮影に行きたいと思っています。

    • 大津の86さま
      小浜線の思い出、ありがとうございます。バスのことも聞かせてもらいました。昭和46年の時刻表を見ますと、浜大津~小浜の直通バスは、午前に小浜行き2本、夕方に浜大津行き2本があり、江若バスが運行していました。さらに時刻表を見ますと、まだ柳ケ瀬線の代替バスが走っていたり、彦根~木ノ本~今津と北琵琶湖を半周するバスがあったりと、すっかりなくなった現在のバス網とは大きな違いでした。

  8. 勢浜で1999年8月に撮影した、急行「わかさ」です。今は介護施設が建っている前から写しましたが、ストリートビューを見ると樹木が成長し、23年の月日を感じます。

    • 紫の1863さま
      続いての勢浜のカラーをありがとうございます。青空、緑、DCが映えています。いまの125系単行は絵になりません。2両だけでもちがいますね。介護施設もありましたか。私は球技場のスタンドから撮ったと思います。

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