関西の蒸機を巡る ~草津線~  ③

石部から 三雲、貴生川へ

今回は2つ目の駅、石部から始めます。石部は、東海道51番目の宿場に当たり、草津線の南側に並行する東海道沿いには、今でも宿場町の面影が残っています。京からは9里(約35キロ)の距離となり、京を出発した初日の宿泊地として「京立ち、石部泊まり」と言われて、宿場は賑わったと言います。

石部からさらに三雲方面に歩くと、当時は、家棟川、由良谷川、大砂川と3つの天井川が流れていて、草津線は下を潜っていました。草津線の電化に際して、家棟川、由良谷川は平地化されて、うち家棟川の跡地には、新しく甲西駅や湖南市役所が建てられました。現在、天井川で残るのは大砂川のみで、煉瓦積みポータルが古い歴史を伝えています。

夕方の柘植方面の客車列車は、逆光上で撮るのに最適。背後には、いかにも秋らしい雲が漂っていた。726レ D51 178 石部~三雲 昭和47年9月      

当時の手帳には「石部」とだけ記している726レ D51 497の牽引。雰囲気は柘植、油日付近のような気もするが‥。       昭和47年5月 冒頭の写真とほぼ同位置で、朝の725レをとらえる。石部~三雲 昭和47年6月

ここからは、三雲から貴生川寄りへ歩いた区間、急に山深い区間に入る。786レ D51 497

この横に東海道が並行していて、それを思わせる並木が続いていた。D51 940の牽く781レ 街道ガイドマップを見ると、東海道は三雲駅前で北へ折れて野洲川を道路橋で渡るようになっていて、この区間は東海道に当たらないが、江戸時代は野洲川に橋はなく、少し上流で川を人力で渡っていたそうで、東海道の一部だった。

蒸機が走っていた時代のDC列車、右上は急行「くまの・志摩1号」、草津線には当時3往復のDC急行が、さまざまな行き先へ走っていた。普通列車は、亀山区のキハ20系、35系の混合編成で、強力型の新形式キハ53も2両が配置されていた。三雲~貴生川で築堤上を行く724レ、D51 158 昭和47年7月同区間を真横から、右に関西鉄道の社紋が残る煉瓦積みのアーチ橋が見える。朝の723レを牽いて、築堤を進む。D51 497 昭和47年2月724レを牽くD51 145 貴生川の手前にある築堤は、周囲に邪魔ものはなく、草も刈られて下回りもちゃんと入る絶好の撮影地だった。電化後も、湘南色の113系を撮りによく行ったところだ。 昭和47年6月

 

 関西の蒸機を巡る ~草津線~  ③」への8件のフィードバック

  1. 連結されている客車も非常に興味深いです。特派員さんが撮影されている昭和47年頃は、オハ35系列が主力であったと思います。
    昭和48年9月23日、京都駅、オハ35100です。

  2. 昭和50年10月19日、京都駅、オハフ331です。
    亀山区の所属です。(先のオハ35100も同様です)

    • 藤本様
      貴重な客車の写真の数々、ありがとうございます。オハフ33 1は私も京都駅で写しました。ちょうど、11:30ごろに京都を出る722レは、ホームの据付時間も長く、光線もよく、対向の2番ホームから1両ずつ撮って回ったものです。

  3. 昭和49年3月24日、京都駅、オハフ33627です。
    昭和30年5月、東田子の浦~原間の踏切で発生した、米軍のトレーラートラックとの衝突事故で焼失したスハフ32257を名古屋工場で復旧した車両です。(車体は、新製したと思われます)
    当時のオハフ33のラストナンバーオハフ33626の追番が付番されました。撮影時は向町の配置でした。

  4. 関西鉄道の社紋はこれですね。貴生川駅から歩いて、最初の架道橋で撮っていました。この区間は電化されてはいても、複線化されていないので、現在でもしっかり残っているようですね。山陽鉄道の遺構もそうですが、明治時代の構造物は実に丁寧かつ美しく作られていて、100年以上経ってもビクともしない出来栄えに、当時の職人気質を感じます。

    • 西村様
      さすがに、よく撮っておられますね。コレです。関西鉄道の社紋は、もちろんですが、ほかにもアーチの組み方など、たいへん味わい深い架道橋です。もう一ヵ所、社紋のないアーチ橋も同区間にありました。

  5. 2枚目のD51 497が牽引する726列車は、手原‐石部の中間点近くで、名神高速道路から約800メートル西の「伊勢落踏切」で撮影されたものと思います。背景の山は琵琶湖の対岸、比良山地でした。
    稲刈りを終えた田んぼの向こうに、D51の貨物列車が煙をたなびかせて走る写真は、日本の秋を感じさせる素晴らしい一枚ですね。季節感あふれる写真が大好きです。
    草津線は勾配もなく、田んぼの中を真っ直ぐに走るイメージでしたが、三雲と貴生川の間は変化に富んでいたようですね。私は野洲川対岸のTOTO滋賀工場など、工場の風景を思い出します。
    蒸機列車にとどまらず、気動車もしっかり押さえておられ、3枚扉のキハ35、信楽線に乗り入れるキハ53など懐かしい顔ぶれです。

    お見苦しい画像ですが、三雲駅ですれ違った721列車です。C58 267が牽いていました。昭和46年9月の撮影で、赤い貨車移動機も写っています。

    • 紫の1863さま
      貴重な証言、ありがとうございます。やはり石部での撮影でしたか。なにせ、その頃のメモは乱雑で、確証がなく、ほかの区間かと思っていました。手原-石部にこんなカーブした撮影地があったのですね。草津線で季節感を出すのは、なかなか難しいのですが、太陽光線だけは、どこでも平等に射しますから、順光、半逆光、逆光をうまく使い分けると季節感も演出できるのではと思います。三雲駅はこんな感じでしたね。カラーで当時がよみがえりました。ありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください