京都市電 余話 その3

岡崎公園にも京都市電

少し旧聞になったが、昨年12月に京都市左京区の岡崎公園内に、京都市電1800形1860号を改装した観光案内所「岡崎・市電コンシェルジュ」がオープンしたので、本日、午後から見学に行って来た。岡崎地域には、文化・芸術施設や寺社など観光地が集積しているが、今まで観光案内所がなく、情報発信ができていなかった。市電の案内所では、観光客に多くの施設を巡ってもらうためモデルコースなどを提示して、地域内の周遊性を高めようと言うもの。
152sy陽が落ちて、車内灯が洩れると、なかなかのムードになってくる。同志社前あたりで、御所をバックに発車待ちをしているようにも見えてくる。

1860号は、京都市北区の大宮交通公園に保存展示されていた車両で、屋根付きのもとで電車文庫として使用されていた。保存状態は良好な方だったが、長年の保存で荒廃も始まっていた。このたび、車内の改造、外板再塗装などの改装が行なわれ、岡崎まで陸送されて、据え付けされた。設置されたのは、岡崎の中心地、京都府立図書館の北側、児童公園のなかで、車内では、ボランティアガイドらが常駐し、周辺の見どころや展示内容、祭り、イベントなど最新の観光情報を紹介している。車内には、同車の現役時代の活躍を伝える写真や、全盛時代の系統図・運賃表も掲示されている。また、車内には、京漆を使った壁絵や、北山杉を使った支柱など、京都の工芸品も使われている。sy河原町線22(2)sy

1860_1現役時代の1860号(上)。860号からワンマンカー1800形に改造され、1860となった。終始、烏丸車庫に配属され、河原町・七条線が廃止となった昭和52年に廃車となり、以降、大宮交通公園に保存されていた。下は、大宮交通公園に保存時代(ネットから転載)

 

 

 

 

 

 

020sy市電は、その時代を知らない世代にも大人気、若い家族連れや女子が、興味深そうに取り囲んでいた。この保存事業は、報道発表前に開催された都めっせの「電車王国」で、写真展の受付をしていた際に、京都市の職員をしていると言う方が来られ、このたび市電を移送・展示する担当になったが、市電など自分の生まれる前のため何も知らない、ついては、市電のことを勉強したいと自著をお買い上げいただいたことがある。005sy岡崎公園のシンボル、平安神宮の大鳥居と対面する。 方向幕、系統板ともにダミーだが、この二つが揃うと、途端に生き生きしてくる。「岡崎公園前」は、東山二条にあった停留場で、6号系統も実際、岡崎公園前に停車していた。140sy案内所の営業は午前9時から午後6時までで、この季節、陽が落ちると、車内に白熱灯色のLEDが灯る。塗装もいい感じに復刻されている。
126syジオラマモードで撮って見る。梅小路公園に多くの市電が保存・活用されているが、また別のところで、市電の姿が見られるのはたいへん嬉しいこと。岡崎は、もともと、京電時代、内国勧業博覧会場となった岡崎へ、電車が走った地であり、このあたりが終点だった。

 

 京都市電 余話 その3」への2件のフィードバック

  1. 新聞報道でもありましたが、この岡崎公園の市電案内所は,ほかの情報発信機能が充実したこと,車両の老朽化等により,案内拠点としての活用を終了することになり、多くの人が利用・鑑賞する展示ができる譲受希望者を、京都市が募集すると出ていました。昨年の春から案内所としての機能は停止していて、汚れが目立ってきたのをバスの窓からも見ていました。写真のように室内灯が点いて実際に活用されたのは、4年間だけでした。行く末はどうなるのでしょうか。同じように野天に展示の梅小路の市電も気になります。

    • 私も新聞で「岡崎の市電〝お役御免〟」の記事を見て、驚きました。しばらくは安泰かと思っていたのですが、保存は難しいようですね。
      1860は烏丸車庫を離れなかったようですので、ゆかりのある烏丸線沿線の某大学が手を上げてくれると嬉しいのですが、実現するのは夢の夢でしょうね。
      数日後には大宮交通公園にいたN電の現状が紹介されました。交野市の霊園に移され、きれいに整備された写真が添えてありました。数年前の状態を見ているだけに、感慨もひとしおです。

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