【2727】2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part7 伊野→帰宅

 翌朝、お世話になったお礼を言って、伊野駅に向かいました。高知駅で、一旦降りて、まだ未乗車の『とでん』の桟橋線乗車と、撮影です。
 帰宅までの行程です。今日も各種9列車を乗り継ぎます。

① 伊野9:24(736D)→9:47高知 キハ1020+キハ1016
② 高知13:21(5836D)→13:40後免 キハ9640-4
③ 後免14:02(248D)→16:31阿波池田 
            キハ32-20+キハ32-18+キハ3217
④ 阿波池田16:34(4252D)→17:18琴平 キハ32-19
⑤ 琴平17:25(1274M 快速サンポート)→17:57坂出 
               クモハ121-12+クハ120-12
⑥ 坂出18:24(315M 快速マリンライナー54号)→19:03岡山
⑦ 岡山19:16(1332M)→20:41姫路 115系6両編成
⑧ 姫路20:57(3316M新快速)→22:17高槻 223系12両編成
⑨ 高槻22:20→22:31長岡京 321系
 

伊野駅   高知駅

伊野駅 土佐くろしお鉄道車両  高知運転所

土佐くろしお鉄道車両    高知運転所

土佐くろしお鉄道車両    高知運転所

『とでん』の桟橋線撮影の後、JR線に乗り入れの土佐くろしお鉄道車両に乗って、まだ下車していない後免駅に向かいました。土佐一宮を出ると、高知運転所がありました。各気動車の隅に、3両の12系客車をつないだ、DF101094号機が置いてありました。

後免駅

後免駅

2002年の土佐くろしお鉄道開業に伴い、改築された後免駅は、橋上駅で、エスカレータこそありませんが、エレベータは設置されています。『ごめん えきお君』のモニュメントもユニークで、楽しめました。 

阿波池田駅までは、2時間半の乗車です。何が来るかと楽しみでしたが、何と両運転台のキハ32の3連でした。土佐くろしお鉄道の車両とは、えらい違いです。土佐山田駅では、最後尾の1両を切り離しました。この1両は、4249Dとして、高知へと折り返します。
土佐山田駅

土佐山田駅

土佐山田駅は、『あんぱんまん』で、有名な漫画家やなせたかし氏の故郷、香美市の玄関口です。やなせたかし氏は、JR四国の特急列車のラッピングをはじめ、普通列車のヘッドマークや、土佐くろしお鉄道の各駅イメージキャラクターを描き、イメージアップに貢献しておられます。

新改駅

新改駅

土佐山田駅を出ると、列車は、大きくループして、勾配を上がり、山間へ入ります。やがて、スイッチバックの駅新改駅に到着しました。運転手は、後方車の運転台に行くのかと思いましたが、ワンマン運転ではなかったためなのか、そのままで、後方を見ながらのバック運転で、本線を横切って、引込線に入りました。

直ぐの発車でした。車掌に最近の乗降客数を聞くと、片手で5名との返答でした。付近に何もない秘境駅です。本当は、もっと少ないのでしょうね。

土佐北川駅

土佐北川駅

約24分後、同じく秘境駅土佐北川駅に到着しました。土讃線の路線変更によって、1986年(昭和35年)に移転された駅です。トンネルの中の駅もありますが、橋そのものが駅というのも、珍しいものだと思いました。

土佐穴内駅    土佐岩原駅     大歩危駅

土佐穴内駅   土佐岩原駅   大歩危駅

 高知からは、列車本数も増えています。交換できる殆どの駅では、対向列車を待ちます。駅の停車時間も、3分以上もあるますので、その度に、駅前探索に出かけました。しかし、駅前には無人の商店や家が目立ちます。周りは、山また山、へばり付くように人家が見えますが、とても住めるような、環境ではありません。

土佐岩原駅を通過する 南風13号

土佐岩原を通過する 南風13号

大歩危駅、小歩危駅と吉野川沿いに、トンネルをくぐり、橋を超えて、蛇行しながら線路は、続きます。沿線は、山桜が満開で、圧巻でした。写真には撮れませんでしたが、四万十川に始まった『こいのぼり川渡し』も、設置されていました。

小歩危駅   阿波川口駅   三縄駅    阿波池田駅   

小歩危駅   阿波川口駅    三隅駅   阿波池田駅  

高知駅を出発して、約3時間。ようやく讃岐平野の阿波池田駅に到着しました。残念な事に、乗り継いだワンマンカーは、四国でもう1つのスイッチナック駅坪尻駅は、無停車で通過しました。

次の乗換駅の琴平駅からは、電車です。快速サンポート、快速マリンライナー、115系リニューアル車、姫路からは、新快速と乗り継ぎ、家路に着きました。

家の用事のための四国への旅でしたが、その後の4泊5日の青春18きっぷの旅は、今まで眠っていた、鉄道の旅、と鉄道写真への熱い想いを、蘇らしました。帰宅後、直ぐに印象深かった夕陽の綺麗な予讃線下灘付近、そして四万十川沿線や伊予電郊外線での撮影へと、気持ちは向かい出だしていました。直ぐに身支度を始め、再び四国への旅立ちとなりました。

 

 

 

2009年青春18きっぷの旅Ⅲ Part7 伊野→帰宅” への2件のコメント

  1. ご苦労さん、と言うのは未だ早いようですが1954年7月、初めて宇高連絡船の世話になり四国に渡ることができたのは、一回り上の姉が善通寺で世帯を持ったことによる。以来、電車見物に商用出張に何度もお世話になっている。今回、高知から新改へ向け25‰勾配をキハ32で登ったようだが、実はびっくりである。DCになる前、1988年はDE15がオハ50を3両従え時速35km程度でよじ登った。2年後はキハ58+28、運転台後張り付きで、45kmをオーバーすることはなかった。この時、運転士は老人のため自席の背後だけロールスクリーンを下した。その2年後、今度はキハ54単行。速度は同じ。この時、新改で特急との交換があり、運転士君に発車時間を聞いてホームの端から端まで歩いた。かっての本屋は閉鎖され、隣の売店も同様。盛期には夏のアイスクリーム、春秋冬の蕎麦で賑わった事を思い出した。1986年「鉄」に復活して先ず買い込んだのが高松~高知間の地形図。
    土讃線ルートを追うためであった。またポツリポツリ思い出をコメントしよう。

  2. コメントありがとうございます。これからは、時間もあることですので、こういった秘境駅にも降りて、ゆっくりと駅前を探索したいと、思っております。それには、前もって予定をたてておくことが、必要ですが、いつもきっちりと、予定を組むと、不思議と、直前で行けなくなるアクシデントがでます。最近は、あきらめて、思いつきの旅立ちをしてしまうので、困ったものです。
    続いて、伊予電の郊外線も、全線乗車してきましたので、投稿します。

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