とでんを撮影しながら、終点の後免町駅で、土佐くろしお鉄道阿佐線(愛称;ごめん・なはり線)に、乗換ました。
元々、とでんが営業していた路線を、国鉄が新線を建設して、引継ぐ事で廃線となりましたが、国鉄再建法で新線建設は、中断凍結されました。
しかし、復活を求める地元住人や、自治体の熱意により、第3セクター方式での運営が決定し、2002年に日本鉄道公団建設線、最後のAB線として、工事着工から37年間、安芸線廃止から28年ぶりにして、開業されました。42.7キロ、20駅、在籍車両10両の鉄道です。全線は、ほぼ高架軌道、高規格で建設されているので、運転速度も110km/hの高速走行をします。JR線にも乗り入れていて、多くは、高知発着となっています。快速運行もあります。
① 後免町15:42(快速5840D)→16:35奈半利 9740形8号車
② 奈半利17:18(快速5843D)→18:29高知 9740形8号車
③ 高知 18:34(4771D)→18:53伊野 キハ1043号車
ロケハンをしましたが、風光明媚な路線にコンクリート高架路線は、似合いません。終点の奈半利駅前では、地産の野菜や魚を即売するお店がありましたので、折り返し便のビールのあてにすべく、食を求めました。
奈半利駅を出ると、海沿いを走ります。席に座って、ビールを飲みながら、夕陽と海をうっとりと見ていました。
和食駅手前では、夕陽が前方窓からでないと、見えなくなってきましたので、よろよろと前方助手席側に行くと、突然に黒い物体が接近し、鈍い音がして、前の窓にひびが走りました。細かいガラスも飛び散っています。走行速度は、最高の110km/hです。幸いにして、一面粉々に飛び散って、降り注がらずで良かったのですが、このままでは運行に差し支えます。
和食駅に停車した後、運転手は、列車無線で事故報告を行った後、やわら、太めの厚いセロテープを取り出して、窓に貼りだしました。運転手は、当たったのはトンビで、1年に何回か起きる。その為にセロテープは、緊急処理の必需品で、必ず積んでいると言います。助手席側のテーブルに、細かいガラス片が飛び散って危険でしたので、同じセロテープを借りて、ひっ付けて、まとめる手伝いをしました。
この事故のため、高知駅へは、延着しましたが、伊野行きは、接続待ちをしてくれていました。
友人宅へ帰宅後、この話でまた1杯飲めました。明日は、土曜休みなので、運転手をしてやる。好きな撮影場所をリクエストしてくれとの、ありがたいお言葉です。即答で、窪川~高知間でロケハンしておいた場所を、お頼みしました。 Part6 へ続く
鰹のたたきと共に大好きな土佐電、2005年10月に日本路面電車同好会の取材でお邪魔して以来、このところ没交渉であるのに気がついた。四国地区担当のときは天神さんの参道の桜並木が「すごい!」と思った。この参道に面してお得意先があり、1964年春に訪問したとき、奥さんが「荷物を宿に置いたら晩御飯にいらっしゃい」と、誘いを受けた。いそいそと招きに乗り6時頃に伺ったら、大きな鰹2本を目前で3枚に下ろし、鉄串にさし炎をあげる藁束であぶった。初めて見る「鰹のたたき」であった。そして食べ始めであった。ご家族5人、店の番頭さん以下3人、わたくしを入れて9人で平らげた。もちろん花吹雪の中での酒盛りであった。土佐電訪問は1954年夏に始まる。今年は10月に行く予定である。
行くことが実現すると54年目となる。「昔の光、今いずこ」には未だ早いか。路面電車同好会の旅行会、今年は高知だというのでそれまで現在の体調を維持したいと思っている。高知駅高架下への延伸工事が始まっているようだ。ぶんしゅう氏よ、土佐の近況ありがとう。