魚梁瀬森林鉄道跡訪問記と土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の乗り鉄記をご紹介しましたが、旅の最後に後免町から高知市内までお世話になったとさでん交通について簡単にご紹介します。とさでん交通の路線は十字型をなしていて、縦の路線が桟橋線、クロスポイントが「はりまや橋」、はりまや橋から西に向かって伊野線、東に向かった後免線と、非常にわかりやすい路線です。3路線の合計距離が25.3Kmで、現在では国内で最も長い営業距離の路面電車だそうです。広電は市内線が19.0Km、宮島線が16.1Kmと合計するととさでんより長いのですが、併用軌道の路面電車では最長です。
さて今回は、後免町から高知市内までと桟橋線に乗車し、伊野線の大半は未乗車で高知をあとにしましたが、車両も多様で、また訪ねてみたい路線でした。
くろしお鉄道ごめん・なはり線が出来る以前は、この後免町でレールは土佐電鉄鉄道線につながっていて、途中の手結まで軌道線の路面電車が鉄道線に乗り入れていました。くろしお鉄道の建設に伴って、後免町駅周辺は随分、光景が変わってしまったようで、かつての鉄道線跡がどこだったのか、短時間ではわかりませんでした。
後免町駅を発車すると、運転士さんがすぐに客席との境のカーテンを下ろしてしまったので、やむなく最後尾に席を移して過ぎ行く景色を撮ることにしました。後免町停留所は単線でしたが、出発するとすぐ複線になり、後免東町との間には2線の長い留置線がありました。鉄道線があった当時はどのような配線になっていたのでしょう。
路面電車とは言え、県道195号に沿って専用軌道が続きます。ワンマンカ―ですので、降車ボタンが押されず、前方の停留所にも乗客が待っていないときには、減速もせず通過してゆきます。
市街地に入ると専用軌道から併用軌道に変わり、路面電車らしくなりました。
大変イージーな訪問記、乗り鉄記で失礼しました。1日乗車券をフルに活用できず、短時間のつまみ食いではありましたが、路面電車の楽しさを満喫できました。今回乗れなかった伊野線にも乗ってみたいと思いつつ、南風22号で高知をあとにしました。
西村雅幸様
明けましておめでとうございます。元旦のご投稿、ありがとうございます。
とさでん交通と聞いて私が思い出すのは、日本一短い駅間距離です。https://trafficnews.jp/post/60818
とさでん交通に限らず、路面電車は好きです。ぜひとも乗りに行きたいですね。
奈良の駅名研究家殿 明けましておめでとうございます。最短駅間の件、全く知らず、気付かないまま通過してしまったようです。とさでんさんは古い車両を大切に使われているようで、好感を持ちました。今年の初コメント、ありがとうございました。
西村雅幸さま
とさでんの路面電車、伊野線はさらに楽しいですよ。ぜひ乗ってみて下さい。今から40年前の1984年、その頃路面電車に関心があり、西日本の路面電車を乗り鉄・録り鉄しました。まず広電1900形を②と③系統で実行しましたが、これで完全に嵌ってしまい、広電のあと北九州に移動して西鉄北九州市内線(門司→戸畑→折尾&筑豊電鉄)、高知に飛んでとさでん(御免町→知寄町→伊野)、松山に移動して元京都市電2000形ほか(循環、松山市駅→道後温泉)というコースでした。地方都市の路面電車は殆ど知識が無かったため、路面電車の大家である今出川浄福寺さんから資料を戴き、また懇切丁寧なご指導を得ての旅でした。九州地区の長崎、熊本、鹿児島も行きたかったのですが時間の経過とともに関心が薄れてついぞ行けずじまいでした。後日ちょっとだけ乗り鉄は済ませました。
1900生様 コメントありがとうございます。伊野線を含め足摺から宇和島方面を回ってみたいと思っていますが、いつのことになるやら・・・。
西村雅幸さま
早く行かないと無くなって!しまいますよ。とはまだ冗談ですが、そうならないことを祈りたいですね。
小生の同方面への初旅行は高校生の時で、クラブ夏季旅行で行きました。土讃線が窪川から土佐佐賀まで延伸された直後の頃で、若井~荷稲間のループを楽しみにしていました。土佐佐賀から足摺岬まではバスでしたが、当時は予約指定席の急行バスでも3時間40分の旅でした。当然冷房は無くまだ未舗装の道をモウモウと土煙を上げて走ります。可哀そうだったのは佐賀を同時発車してすぐ後ろを走って来る宿毛行のバスでした。早く乗客が乗り終った足摺岬行が先行したので後続の宿毛行はその土煙をモロに被ります。窓をどうしていたかは知る由もありませんでしたが、真夏のことゆえ閉めてはおれなかったと思われます。今思うとなにもピッタリと付いてこなくても、なぜもっと間隔を開けなかったのか不思議です。
少し鉄分を。この旅行で大阪から宇野まで初めて151系特急「うずしお」に乗車、高松から土佐山田まではキハ58系の急行「浦戸」、高知→土佐佐賀は準急「足摺」、宇和島→松山準急「せと」、松山→高松準急「うわじま」でした。
余談ですが翌日足摺岬から宇和島に向かうバスでは、細い国道で対向車毎に譲る譲れを繰り返していたこと、昼頃の停留所で朝刊を投下していたことでした。我々が朝刊をお昼に配達かと言ったことにバスガール(車掌)さんが反応、「昨日の朝刊ですよ」と言った言葉には直ぐには反応できませんでした。京都暮らしの我々には思いもつかない地方の一面を見た思いでした。
西村雅幸様、明けましておめでとうございます。
「とでん」のご紹介、楽しませていただきました。あまり撮ることも、乗ることもないのですが、昨夏、土讃線が雨のため運転見合わせとなり、バスか飛行機でもと考え、高知まで行きましたが願い叶わず一泊し、「とでん」も久々に見ることができました。
貼付写真は、1981年2月28日の高知駅前を発車する201号です。改めて写真を見直して、右下に線路があることに気づき、かつては1面2線だったのかと今頃思っている始末です。
本年も、どうかよろしくお願いいたします。
四方誠様 明けましておめでとうございます。早々にコメントを頂戴し、ありがとうございます。昭和56年に撮られた写真だそうですが、周囲の風景がかなり違うように思います。現在はJR高知駅に直角に電停がありますが、40数年前とは変わっているのではないでしょうか。現在も2線ありますが、片方は殆ど使われていないように見えました。
西村様、
言葉足らずで申し訳ありません。
高知駅前停留場は、2009年に駅前広場内へ移設され、それ以前は駅前広場の南東方向、現在の「コーナン」南側の国道32号上にありました。先の貼付写真は東方向を向いており、右奥の白い壁の建物が「コンフォートホテル」(当時は「第一ホテル」)で、道路を挟んだ左奥には、現在では「ケーズデンキ」があります。
先の貼付写真を撮影した歩道橋から西側をみた写真も貼付いたしておきます(1980年3月6日)。
四方誠様 駅前電停の変遷がよくわかりました。ありがとうございました。
1970年7月11日、枡形、313、朝倉行です。
まだ単車が健在でした。
同じく、1970年7月11日、安芸から直通の鏡川橋行、622+621です。
藤本哲男様 かつての写真のご披露ありがとうございます。50年以上を経て621,622が現役で頑張っていることがよくわかりました。広島の1900同様に昭和時代の路面電車は作りが良いせいか、大事に使えばまだまだ現役で活躍できますね。
同じく、1970年7月11日、元琴平参宮電鉄の102です。
西村雅幸様
昨年の9月にとさでん交通を訪問しました。高知市の中心部も活気があっていいですが、伊野方面の終端部もなかなか鄙びていてローカル鉄道らしい味わいがありました。伊野から宇和島、伊予大洲、下灘を経て松山へ出ました。写真は、宇治団地前付近です。
ブギウギ様 伊野線の写真ありがとうございます。今回は魚梁瀬森林鉄道跡探訪が主目的で、くろしお鉄道やとさでんは余禄のようなつもりでしたが、とさでんをメインにまた訪問してみたい気分になっています。高知のひろめ市場で食べたカツオのタタキも忘れられません。