ほぼ同月同日シリーズに戻ります。世間で言えば、年末年始の休暇に入っています。私の会社時代、年末は徹夜も厭わぬ猛烈な忙しさが続きましたが、それでも最終日は会社で終業式があって、全員で一献やって仕事終了、そのあと同僚と深夜まで打ち上げと、いかにも、その時代らしい年末でした。それでも翌日は、朝早くから撮影旅行に出かける年もあって、今では考えられないようなエネルギッシュな活動をしていたなと思います。同月同日シリーズ、年末年始の記録を探しました。
▲平成9(1997)年は青森まで出掛けた。新幹線は盛岡までで、盛岡~青森・函館の新幹線リレーに583系「はつかり」などが走り、年末は臨時も多い。隠れ581系ファンの私は逃す手はない。朝の青森駅には583系があふれ、在来線特急列車の最後のシーンを見せていた。
▲この時は、上野からまだ走っていた青森行きの急行「八甲田」の14系客車に乗り、三沢で下車、撮影後、浅虫へ移動し、浅虫~西平内で撮影した。定期の「はつかり」は485系のリニューアル車が多いが、多く運転されていた臨時は583系の運転だった。下り「はつかり131号」クハネ583-3F
▲青森には夕方に到着、ホームで撮影する。青森ベイブリッジをバックにした485系リニューアル編成の函館発盛岡行「はつかり26号」。青函トンネルを抜けて函館まで行く「はつかり」が4往復設定されていた。
▲函館行きの快速「海峡」、通常は14系5両だが、7両に増結されていた。翌日に、この「海峡」に乗って、初めて青函トンネルをくぐった。
▲早朝の青森に到着した「はくつる81号」、まだ薄暗い駅構内に、青い太い帯の583系が一層の存在感を見せていた。▲朝のホームでは、583系「はつかり」「はくつる」の並びも見られた。さらに向こうのホームにも485系「はつかり」が停車し、特急3本並びとなった。年末の青森駅で、在来線の特急全盛時代の最後のシーンとなった。
総本家青信号特派員さま
1997年の暮れに行かれましたか。小生は1993年秋と2000年夏にウロツキました。この頃は583系・485系の最後の活躍時期でしたね。93年、00年ともに特急・寝台電車、EF81、ED75、50系客車等々、今から思うと夢のような列車群が早朝から疾駆していて、何日いても撮りきれないと感じたものでした。
とりわけ583系は、93年頃は定期主体にいくらかの臨時でしたが、00年にはこれがほぼ逆転し、定期はつかり数本に臨時の大半が583系という状況で、まさに583撮り放題の感がありました。この時は奥中山前後で撮りましたが、定期・臨時に加えて夏の高校野球応援団用臨時(確か青森と八戸から出場していた)の送りと回送数本のボーナスもあり、暑い中を出かけた甲斐がありました。
ついでですが2006年にはそれまでに青森から秋田へ転属して9両で臨時やイベント運用に就いていた編成が6両1編成に減り、仙台に転属して磐越西線や日光までの臨時快速等に使用されていて、絶滅危惧種近しと思ったものでした。それでも廃車は2017年で長寿でした。
1900生さま
いつもコメントを頂戴し、ありがとうございます。ホント、この頃は今から見ると、天国でしたね。583系に限らず、国鉄時代の各形式が大活躍していました。私もこの時は、青森などで東北本線の臨時特急を撮りましたが、帰りは奥羽本線へも寄りました。ここでも583系「津軽」が「急行」のサインを出して走っていました。
総本家青信号特派員様
遅ればせながら581・583系の本番運用前の画像を3枚投稿します。
1枚目は近畿車輌で落成したクハネ581-3を先頭とする編成で、甲種輸送待ちの状態です。片町線内は奈良運転所の8620またはC11が牽引していました。
大阪駅11番ホームで581系の展示会がありました。丁度、上りの「あかつき」が10番ホームに入ってきました。
ヨンサントオ(43・10)1か月前1968.8.30の電化直前の奥中山です。定期の「はつかり」はキハ81系でしたが、乗務員の習熟運転のため定期列車の間に「はつかり」、「ゆうづる」、「はくつる」の愛称名を表示した583系の試運転列車が次々と通りました。「試運転」や「回送」の表示は出ていませんでした。
私もヨンサントオ直前の東北本線で試運転中の581系を撮っています。やはり「試運転」表示ではなく、「はつかり」でした。沿線への告知も兼ねていたのでしょうか。写したのは、1968年8月29日、好摩駅で、クハネ581-15先頭です。そのあと、奥中山へ行き、ずっと雨の中、D51の3重連を撮りました。つくばねさんの行かれる一日前ですね。
快速つくばね様
貴重な写真の数々、ありがとうございます。雑誌で初めて581系を見たのは、「鉄道ファン」1967年11月号の表紙でした。今までの特急車両の常識を打ち破る外観、塗装に目を見張りました。この時は試運転で、虎姫で撮られたものでしたが、つくばねさんは、その試運転よりも早く、近車の出場から撮られていたとは驚きました。何か情報を掴まれていたのでしょうか。8620やC11が甲種回送に当たったこと、下記の大阪駅での車両展示も初めて知りました。
総本家青信号特派員様
片町線の徳庵が通学途上にあったため、高校時代から毎日関心を持って車窓から注視していました。
現在、近畿車輌から近鉄への納車は中央環状線を通り大型トレーラートラックで高安検修センターへ陸送されていますが、1965年当時は道路状況もよくなく国鉄線を使って甲種輸送されていました。1965年7月に近畿車輌で製造された近鉄11400系電車(新エースカー)片町線鴻池新田を通過するところですが、仮台車を履き(正式台車は無蓋車に乗せ同時に輸送)牽引機は分かりませんが煙を吐いています。経路は片町線から木津で関西本線に入り、和歌山線の吉野口で近鉄の吉野線に受け渡され、橿原神宮前で台車を履き替え、高安工場に向かったようです。