関西本線沿いの私鉄 近鉄北勢線
内部・八王子線に続いて、同じナローの北勢線を訪れています。ただ、沿線を訪ねることはなく、Tさんのクルマで終点の阿下喜に、少し寄っただけの初回訪問でした。いまでこそ、同じナローながら、両者は会社も違い、車両も異なりますが、当時は、同じ近鉄の一員で、車両の仕様も同じで、車両の移動も行われていました。▲北勢線は、大正3年に北勢鉄道として西桑名(現)~楚原の762mm開業に始まり、昭和6年に阿下喜まで開通、同時に電化も完成し、北勢電鉄と改めた。昭和19年には三重交通として、付近の小鉄道が一元化されている。社名は三重電鉄を経て、昭和40年に近鉄に吸収されて、近鉄北勢線となった。私が北勢線で思い出すのは、訪れる少し前の昭和48年の「鉄道ピクトリアル」の写真コンクールで、終点の阿下喜で、乗客が寒そうにして、電車から降りて改札口に向かうシーンが推選に入った。そのことが頭にあり、阿下喜に着いて、真っ先に同じシーンを狙ってみた(以下、昭和49年4月)。
▲(光線引きで見苦しい点、ご容赦)終点の阿下喜駅舎、現在は近くへ移設されて、記念館として保存されていると言う。2台の公衆電話に人がいるのも昭和の時代。
▲終点に着いた編成は、先頭のM車だけ切り離されて、ここでも機回しを行い、T車に連結される。写真で見るだけでも4人の要員が携わるのだから、前時代的なこと甚だしい。
▲ホームに据え付けられた、モニ222先頭の西桑名行き。222は、北勢電鉄の50形として昭和6年製造、その後、内部・八王子線でも同型車を増備、改軌した湯の山線にも走っていた近鉄ナローの代表車だった。いまも、阿下喜には同型車の226がきれいな姿で保存されている。
▲阿下喜を発車した西桑名行きの先頭と後部。西陽がマルーン色の車体をやさしく 照らしていた。
総本家青信号特派員殿
ナローファンとして私も訪ねたかった北勢線ですが、ようやく訪問したのは平成29年5月12日でした。阿下喜駅舎や構内の様子はガラリと変わっていました。226号だけは良好な状態で保存されていました。阿下喜駅正面と次のコメント欄で226をご紹介します。
西村さま
私も阿下喜にはいろいろ思い出があります。昨年のクローバー会の乗り歩きイベントでは、三岐の伊勢治田から、みんなで歩いて阿下喜まで行き、この駅舎の前で記念写真を撮りました。226号もきれいな状態で保存されていて、人力軌道車があって、現役のDRFC会員に漕いでもらって、一周したのも楽しかったです。
阿下喜駅のホーム側と226号です。
西村さま
もう一つ思い出です。2013年、クローバー会イベントで「しまかぜ」に乗り、翌日、みんなで阿下喜へ行きました。ちょうど226号の背後に食堂があり、みんなで昼食に入りました。愛想の良いオバちゃんがいて、一緒に行った沖中さんとの掛け合いも、今は思い出になりました。あと、wakuhiroさん、inubuseさんも一緒でした。一日フリー切符を示すと、みたらしだんごが一本プレゼントされました。
2001年3月の阿下喜駅。
なぜか大繁盛です。おや?見慣れた人もいるようですね。
右の人の陰になりますが二台の公衆電話も健在のようです。
阿下喜へ向かう電車の中です。狭い車内で、見ず知らずのオバちゃんと、膝を突き合わせて、世間話に興じるのも軽便の魅力ですね、。
この時は、みんなで桑名から四日市へ行って、某料亭で昼ごはんも食べましたね。約20年前、皆さんも若くて元気です。
昭和40年5月23日、近鉄と合併直後の北勢線、西別所~蓮華寺間です。当時、貨物営業もやっていました。
同じ日、同じ場所の連接車です。