1981年3月 東京で私鉄・バスを撮る②
渋谷で撮ったあとは、以下のように、京王・小田急・都バスを撮り、最後は国鉄の列車も撮って、一日を終えます。前回の東急5000系、6000系、今回の京王3000系、小田急3000形など、その後、地方私鉄で第二の働き場所を見つけた車両も、今では、それもほとんど見られなくなり、時代の隔たりを感じます。▲京王井の頭線のステンプラカー3000系が製造されたのが昭和37年、当時の「鉄道ファン」の表紙でも紹介され、編成ごとにカラーが異なる正面のFRPのマスクには強い憧れがあったが、乗ることも見ることもなく、今回初めて撮影できた。下北沢~新代田 (以下、昭和56年3月13日)
▲渋谷から井の頭線に乗って下北沢へ行き、新代田寄りの区間で電車を写した。井の頭線は1000型、1800型、1900型、3000系で、現有の1000系はまだ走っていなかった。▲1904先頭の1900型、3705後部の3000系がすれ違う。隷書体で書かれたタテ書きの行き先札が独特だった。▲住宅街を歩いて小田急の東北沢駅へ。通過する特急「さがみ7号」を写す。小田急のロマンスカーは、SE車(3000形)、NSE(3100形)の時代だったが、翌年にはLSE(7000形)のデビューがあり、SE車の撤退が予想されていた時期だった。▲特急を待避したあと、東北沢を出る2200形2209後部の向ヶ丘遊園行き。
▲つぎは、新宿駅西口のバスターミナルへ行って、発着するバスを写す。都バスを中心に、多くの民間バスも発着する、当時は日本有数のバスターミナルだった。左:東急バス 品川22か56(昭和45年製、日産4R110)、右:都バス 練馬22か2517(昭和55年製、日産K-U36K)。▲都バスにも、まだ「2」ナンバー車が走っていた時代だった。練馬2う2335▲続いて新宿駅で11:41発の「犬吠3号」を写す。房総方面への優等列車は、183系の電車特急が主流の時代で、165系の急行は残り少なかったが、これも翌年、昭和57年11月改正で廃止され、優等列車は特急に一本化される。
▲入場券で小田急新宿駅へ入場。特急「あさぎり12号」が12:02に到着、愛称板を取り替えて12:11発「あしがら55号」になった。▲わずか9分の停車の間、愛称板を人力で取り替え、室内もシート転換、清掃のうえ、乗客を載せて、慌ただしく発車して行く。▲当時、昼間に山手貨物線を行くEF58の牽く荷物列車がよく知られていた。原宿へ移動して、宮廷ホームをバックに撮影。▲東北・上越からの特急列車を写すため、東十条、赤羽へ行ったものの、うまく撮影できず、王子へ戻って来て、183系「とき」を撮影。▲183系「白山2号」、この日は、成田空港闘争のゲリラで、成田・千葉の各所で信号ケーブルが切断されて、午後からの列車は無ダイヤとなっていた。▲王子駅前でも都バスを撮影、左:練馬22か173、右:足立22か226▲これまで紹介の都バス塗装は、左に端だけ写っているアイボリーに青帯の塗装で、都知事の名を採って「美濃部色」と言われた。訪れた昭和56年には、視認性の向上、知事の交代もあって、写真のような赤黄の塗装に変更され、新車を見ることができた。しかし、余りにもハデな塗装で、不評を招き、わずか2年で中止され、そのあと、現在も見られる、クリーム地に緑の帯の“ナックルライン”と言われる塗装、およびバリーエーション塗装に変更された。
井の頭線の3000系は東急7000、南海6000とともに当時のステンレスPⅢ台車など共通性のある車両でした。正面のカラフルな色が話題を呼びローレル賞を受賞していますが、翌年の京王線5000系の連続受賞の後は京王では賞をとれるようなパッとした車両が現れていません。
3000系の最初の2編成は狭い幅の車両で客用扉も片開きでした。総本家さんのお撮りになった3000系は2両目には両開きドアの広幅車で裾を絞んだ車両が増備されて入り多少編成美が崩れています。添付しましたのは1972.4.2井の頭公園駅付近の4連時代の3751先頭の渋谷行きです。
3000系は伊予鉄、北陸鉄道、上毛電鉄、松本電鉄(アルピコ交通)、岳南鉄道(岳南電車)に譲渡されていますが、狭い幅の2編成は北陸鉄道です。
2005.3.21 北陸鉄道松ケ崎-蚊爪間北鉄金沢行8812(元京王3702)
昭和60年1月24日、富水付近を走行する、SE車です。
バスの写真も貴重なものが多いです。
6段目左、「宿91」は、東急バスと共同で、新宿駅西口~大森駅間、20km近くを運行していました。
運行距離が長く、混雑の激しい環七通りを走行するためダイヤ乱れが生じていました。昭和59年2月16日、定時運行確保のため、都バスは、新宿駅西口~野沢銀座(後に新代田駅)間、東急バスは、大森駅~新代田駅間に短縮の上、共同運行は、解消されました。
画像は、昭和59年1月15日、大森操車所の東急バス新宿駅西口行です。
藤本さまは、バスのことも本当によく御存知ですね。私は新代田駅近くに住んでおります。当時の或る日、大森に行く用があり、普通なら電車(井の頭線)で渋谷へ出て、山手線で品川へ京浜東北線に乗換、大森なのだが、偶然に大森駅行きのバスが来たものだから、ついフラフラと乗車してしまい、えらい目に会いました。バスは遅い、電車は早いを実感したものです。
14段目左、王子駅前、「王30」
王子駅~亀有駅間の系統で、東武バスと共同運行でした。距離が比較的長く、混雑の激しい環七通りを走行するためダイヤは乱れがちで乗客離れが進み、平成11年頃、都バスが撤退し、東武バスの単独運行になりました。
その後、東武バスも運行本数を減少して、現在は、亀有駅~王子駅間、僅か1往復の完全な免許確保路線になっています。
平成10年6月10日、亀有駅を発車した王子駅行です。
藤本様
都バスなどのその後の変遷を聞かせていただき、ありがとうございます。なにせ東京のこと、40年も経過すると、相当な変化があったことでしょう。何の計算もなく、たまたま写したものばかりですが、それが鉄道、バスの記録の妙味だとも思っています。
総本家青信号特派員様
デカンショまつり号です。
東北・上越からの特急列車を写すため、東十条、赤羽へ行ったものの、うまく撮影できず、王子へ戻って来て、183系「とき」を撮影。
の撮影場所は、東十条のホームです。1986年、会社に入って不本意ながら東京勤務となり、寮があった場所ですので、忘れたくても忘れられません。(笑)
ご指摘ありがとうございます。王子と東十条、カーブの具合がよく似ていますが、左側に飲み屋が連なっているのが東十条ですね。その一軒、高名な鉄道ファンが行きつけの店があると聞いています。
いゃあ驚きました! 総本家青信号特派員さまが撮影された、下北沢~新代田の踏切は我が家から1分ほどの場所で、50年以上前から小生の定番撮影地です。この踏切の脇には桜の大樹があり、先週これを絡めて撮った写真を貼っておきます。左に見えるマイルポスト「31/2」は、総本家さまの写真に「1/2」だけ写りこんでいるものと同一のものです。しょっちゅう見ている景色は段々と変化するので、気づかないが、こうして40年間を置いた景色を眺めると随分と変わって居るのだなぁあと感じました。
ついウッカリと、マイルポストと書いてしまいました。勿論キロポストで、渋谷から3.5キロ地点です。
宮崎繁幹さま
そうだったのですか! せっかくの定番撮影地を昭和の時代から“荒らし”をしてしまい失礼しました。なにせ古いこと、駅間の表示など曖昧で、宮崎さまから厳しい指摘を受けたかとヒヤヒヤでした。定点撮影までしていただき、ありがとうございます。背後の下北沢も地下化されて、すっかり変貌していると思いますが、撮影地付近は、それほどの変化もないですね。