2017年8月27日 18きっぷ消化で、下山、和知へ
8月も終わりに近づくと、夏用の18きっぷの消化に追われて、近郊へサクッと撮影に行くことが多くなります。この年は山陰本線の下山、和知へ、午後から行って来ました。下山には、高い鉄橋が前後にあって、蒸機の時代には、何度か撮りに行ったところです。電化後に電車が走り始めると、とくに「こだま色」の特急車、183系、381系の撮影地として、知られるようになりますが、結局、こだま色の特急は、撮る機会がなく、訪れた時は、無表情な白一色の287系となっていました。▲山陰本線下山を降りて線路沿いの道を30分ほど歩くと、質美川が流れていて、山陰本線は、高い上路プレートガーダーで渡っている。そばには、蒸機時代の煉瓦積みの橋脚が残っていて、鉄橋の下で、C57の牽く「はしだてビーチ」を撮ったことを思い出した。周囲は山が迫っているが、この季節では、山の切れ目に夕陽が沈むため、日没直前まで、“ギラリ”の写真を撮ることができる。
▲鉄橋に沿って山があり、自由に登れて、鉄橋付近を俯瞰することができる。ただ、動物よけの金網があったりして行く手を阻まれて、山の頂上まで行くことができず、中腹からの撮影となった。「きのさき18号」▲下山から和知へ、ひと駅だけ移動。電車は223系の5500番台のワンマンカー
▲和知は、裏手に高台になった集落があり、そこから、駅が俯瞰できる。周囲は山に囲まれているから、夕暮れ時になると、駅だけが輝く。▲下り電車が到着、特急の通過待ちで約3分の停車、車内の乗客の表情まで読み取れる。涼しい風が吹き抜け、夏の終わりを感じた。
またまた一人コメントです。和知の夕景・夜景を見てもらいましたが、朝の光景もいいものです。写真は、まだ、381系特急が走っていた時代、和知駅近くの由良川鉄橋を渡るシーンです。朝の斜光線に、こだま色が映えていました。
総本家青信号特派員様
一人コメントでノーコメントとの私としては申し訳なく思っています。山陰線と言えばDRFCのホームグラウンドでしたね。朝早く起きて馬堀でⅭ57を撮ったり、保津峡で川下りの舟を入れたりお互いに思い出がありますね。その後は明智光秀の亀岡に行ったくらいですが、総本家さんの気になった最近の作品で保津峡の手前真上から俯瞰した特急とこの和知の鉄橋は行ってみたいと思っていましたが、もうしんどくて無理かもしれませんね。
準特急さま
コメント、ありがとうございます。保津峡俯瞰の写真も覚えていただき、感激しました。保津峡俯瞰は、かなりの急坂を一時間登らなければなりません。この和知鉄橋は駅からすぐですから、今でも行けます。ただ、列車が、無機質なステンレス車や、無表情な真っ白特急では、まったく映えませんね。やっぱり、こだま色ならではとの思いがします。
では私がコメントします。
昨年の今頃は、丹波奥地の日吉に畑を借りていて、休日に耕しに行っていました。池田から55キロもありますがドライブが趣味で、八木や園部の古い街並みを見て、たまに帰路を遠乗りして帰ることがありました。
これは晩秋の下山の町から、山陰本線の鉄橋が遠望できたので、愛車を入れて写しました。
私も高橋弘さんの写真集で、1970年代に下山の高い鉄橋を知り、数年後に同志社に入り、原付で通学。高橋さんが小さなバイクで下山の鉄橋の写真を撮りに行く冒険に胸を焦がしました。
私は下宿時代にバイクで下山までは、とても行く勇気がありませんでした。交通量も増えていましたし。
私も人生の晩年に近くなってきましたが、まだ車の運転が好きで、鉄道写真を構えて撮ることは減りましたが、ドライブしながら往年の名所近くに接近すると、好奇心がうずきます。この道が27号線の旧道だから、「下山駅方面へ」の案内板で改良バイパスを降りて車を走らせると、こんな秋色濃い風景に遭遇し、涙が出そうな気分になりました。1年後の自分が全く想像できませんですね。
KH生さま
代わりのコメント、ありがとうございます。最近の生活はいかがでしょうか。一年前は、下山へも行っておられたのですね。昔の人は、バイクで、遠方までよく行かれたことは聞きます。山科の人間国宝は、自転車でしたね。最遠は、たしか関西線の笠置あたりまで行ったと聞いたように思います。私の場合は、昔も今も、自分の足だけです。