Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑲

2002年8月31日 名鉄へ 最後の“いもむし”を撮りに行く

8月最後のこの日、2002年は、名鉄へ“いもむし”こと3400系のラストランを撮りに行きました。3400系(モ3400+ク2400)は、名鉄本線の東部線用の特急用として、昭和12年に製造されました。当時のブームにならい流線型となり、スカート付きとなりました。名鉄の流線型では、同じ年に西部線用の8500系“なまず”も誕生しています。戦後は本線の特急として活躍しますが、パノラマカーに主役を譲って支線へ転じ、最後は犬山地区の普通列車として運転されました。その後、動態保存的に臨時列車などで運用されていましたが、この年8月いっぱいで廃車されることになり、8月の土日にヘッドマークを取り付けて、新岐阜~犬山~新可児~御嵩で、さよなら運転を行いました。新可児を発車する犬山発御嵩行き3400系のさよなら列車、3400系が各時代にまとったカラー4種を描いたヘッドマークが掲げられた。

沿線の各駅に貼られたポスター、3400系に関連するグッズ、記念乗車券の発売、スタンプラリーも行われた。

 

 

 

広見線の新可児~学校前を行く御嵩発新可児行き 塗装は製造当時の緑の濃淡に復刻されている。製造後、3400系は、中間車モ3450、サ2450を増備し、4両編成となった。4両編成3本があったが、昭和63年に2編成廃車、1編成が残って中間車を外して2両となり、冷房も積んで、動態保存的に臨時列車・イベント列車などに使用された。残ったのは3403+2403の第3編成だったが、3401+2401に改番された。

▲▲新可児~日本ライン今渡 新可児発犬山行き

 

 

新岐阜発犬山行き急行として鵜沼に到着する。午後からの運用には定期の急行に充てる粋な計らいも。3400系は、この日に記念運転を終了、廃車となるが、現在は舞木の検査場に保存展示されている。新鵜沼にて 新岐阜発河和行き急行7152F “いもむし”を支線へ追いやったパノラマカーも2009年には廃車される。

 

 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道 ⑲」への4件のフィードバック

  1. ”いもむし”の写真懐かしく拝見しました。在職中はほとんど鉄道趣味から遠ざかり、ましてや撮影に行くことなどなかったのですが、名鉄の510型と”いもむし”が見たくて出かけました。’96.9.23のことでした。撮影地などわからず駅近くで撮ったのがこの1枚です。記憶をたどるとこのころ会社が一番忙しかった時代、よく行けたものですが、同時に行っておいてよかったと思っています。

    • 大津の86さま
      3400系の思い出写真、ありがとうございます。1996年と言えば、緑濃淡の復刻塗装がされた直後ですね。鉄道友の会のエバーグリーン賞授賞記念で、製造時の塗装に復元しようとしたところ、当時の正確な色彩の記録がなく、何種類かの色見本を車体に塗り、当時を知る人に決めてもらった経緯があるそうです。私もこの写真を撮った時は、まだ五十過ぎの現役時代で、この歳になっても忙しい日々でした。さすがに今と比べると、撮影回数は少なかったのですが、逆にひとつひとつの撮影に思い出が残ります。

  2. 総本家青信号特派員様
    以前流線形車両で3400系と850系を出したことがあると思いますが、これも出したかもしれませんが拙い写真で恐縮です。1978年5月6日神宮前での撮影です。

    • 準特急さま
      写真、ありがとうございました。私も、この最終以外にも、“いもむし”をクローバー会の面々と撮ったことがあります。デジ青にも時々顔を出される大阪通信員さんの奥様の故郷が、名鉄岐阜市内線の「尻毛」にあるところから、有志で「尻毛会」を結成して、各地の乗り歩きを楽しんだ時期がありました。たしか名鉄の神宮前だったと思いますが、みんなで“いもむし”を撮りました。この時は、スカーレット一色でした。

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