昭和10年というと”流線型”がはやった年代です。蒸機ではC53やC55が、京阪の1000系もこの頃でした。でも、国電では半流という割りには流線型には見えない物もあったように思います。 客車と貨車は流線型はご縁が無かったようですが、見ようによっては流線型と言うことができないことも無い物もあります。 昭和7年頃からダブルルーフが裾を絞ったシングルルーフになり、昭和10年を境に窓も広窓になり、オハ35にはノーシル・ノーヘッダーにRの付いた窓もあって、これらが流線型の客車と言えるかもしれません。 返信 ↓
多分次はこれと思っていました。オリジナルの顔ではなく更新後の姿ですが準備します。もう少し時間を下さい。
待ってます!
わかりました。米手様にはこの際昭和10年ころの流線形と思われる電車の写真を用意して見ていただきます。但し、個人の撮影ですので撮れていない流線形車両も多数あることをご承知おき下さい。
昭和10年というと”流線型”がはやった年代です。蒸機ではC53やC55が、京阪の1000系もこの頃でした。でも、国電では半流という割りには流線型には見えない物もあったように思います。
客車と貨車は流線型はご縁が無かったようですが、見ようによっては流線型と言うことができないことも無い物もあります。
昭和7年頃からダブルルーフが裾を絞ったシングルルーフになり、昭和10年を境に窓も広窓になり、オハ35にはノーシル・ノーヘッダーにRの付いた窓もあって、これらが流線型の客車と言えるかもしれません。