先般私が呉線忠海駅での古い写真に写っている客車は何だろうという記事を投稿したところ、「うずら」さんから適切な回答が寄せられ、正直大変驚いた次第です。うずらさんから教えて頂いた客車の形式図がたまたま手元にありましたのでご紹介したいと思います。まずは改めて元の写真の拡大から。
格下げ後のスハフ18900
鉄道省の客車について全く知識を持ち合わせていないこともあって、しげしげと図面を眺めてみました。まずロネ時代ですが、寝台定員が6×2列×2段=24名は納得です。ロネロではなくロネなのですが、2等定員が36名と記載されています。確かに3人掛け×6×2=36名で納得ですが、この客車は2等車としても使え、2等寝台車としても使える便利な優等車と言うことなのでしょうか。さて格下げ後ですが、両端にあったトイレの片方と喫煙室は撤去されてクロスシートが並んでいます。定員は一気に92名に増えています。ロネフ時代の自重は35.63トンですがハフの図面には単なる「ハフ」だけで自重も未記載です。格下げした雑形式は”適当”だったのでしょうか。座席間隔の数字を見ると背もたれ間隔が約1.3m、シート間隔が442?mmとなっていて、戦前の人達は小柄だったとは言え膝と膝がぶつかるぐらいの狭さだったことがわかります。もちろん窓と座席の位置関係は全く無視で、ただ座れればよい式の配置ですね。写真の窓配置から見ると車掌室側が前のようです。屋根の上にずらりと並んでいるのはベンチレータなのでしょうか、あるいは灯火の投入口なのでしょうか。機関車には発電機もなさそうでヘッドライトもなく、昭和10年頃なら客車にもまだ発電機はなくランプだったのでしょうか。でも床下には蓄電池箱が見えますね。ということで、またしても次々と疑問が湧いてきて興味は尽きません。また 自分が体験したことのないひと時代前のことは全く何も知らないことも思い知った次第です。いずれにせよ呉線の海岸線の20mレールの上を「タタタン、タタタン」と3軸台車の音を響かせてこんな客車が走っていたことを想像するだけで楽しくなってきます。「うずら」さん、ありがとうございました。
院型丸屋根、初の20m級の堂々たる木造客車。その後のマロネ37(29)型の前身ともいえる車両ですね。明治末に生まれた「最急行」あたりに当初は使用されたのでしょうか。また木造車ならではの幕板に明かり取り窓があった当初の姿は優美です。格下げ改造になったのは、昭和初期のマロネ29型の登場期でしょうか。