Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑤

2013年8月7日 いちばん海に近い廃止駅、池の浦シーサイドへ

参宮線に夏の海水浴シーズン限定の臨時駅「池の浦シーサイド」がありました。たしかにホームの横は海ですが、海水浴場までは徒歩で15分ほど掛かります。列車に乗って、炎天下を歩いて行くような真面目な(?)海水浴客など微々たる人数で、次第に、営業日・停車列車も限定され、訪れた頃には、営業日は真夏の土日の数日のみ、停車する列車も朝夕の数本だけになっていました。年間の乗降数は数十人、しかし、ほぼ全員が鉄道趣味者の記念乗降で、実際の海水浴客は、ほぼゼロという状態でした。結局、2016年から営業日ゼロの休止状態になり、ことし2020年の3月のダイヤ改正で正式に廃止となりました。すぐ横は鳥羽湾、いちばん海に近い駅だった。暑中見舞いの絵柄にピッタリの写真が撮れたが、肝心の海水浴客の下車はゼロに近く、ついにことし3月のダイヤ改正で廃止されてしまった。

「池の浦シーサイド」の全景、行った日は駅の営業日ではなかったため、隣の松下で下車して、炎天下を歩いて行った。ホームへの扉は閉められていた。

▲▲駅名標 「伊勢市」に貼り紙してあるのは、以前は二見町だったため。

ホームから、鳥羽方、多気方を見る。駅周囲には、民家が2、3軒あるだけ、日陰すら無かった。列車に乗って海水浴へ行く客も少しはいた1989年に開設された。爆音を上げて、キハ75の快速「みえ」が一時間ヘッドで通過して行く。

 

時刻表もあるが、上から貼り紙がされていた。運賃表はJR東海管内、最遠は名古屋までの運賃が細かく書かれていた。戻りも松下まで歩いてキハ11に乗った。現在では、参宮線の普通列車は、キハ25に代わっていて、このキハ11やキハ40系は姿を消している。

参宮線の鳥羽までは、京都からの18きっぷの消化旅には、格好のコースで、ことしも春に出掛けた。シーサイド駅の廃止直後に列車で通ると、駅名標もそのまま残っていた。

 

 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑤」への4件のフィードバック

  1. こんばんは。自分が池田にいた2010年代の10年間、実は2005年前後の「平成の大合併」を経て地方が一段と空洞化していたことを、今地方に来て痛感しています。これって、大阪や京都の都市圏住民では、気づかない痛みでした。
    小さな旧何々村や町が消えたことは役場が無くなり、だだっ広い市の一部になり、急速に商店や、人口流出に加速がかかりました。
    池の浦シーサイド駅が消えたことは、遠因は海水浴客が減ったのですが、その周辺からの人口流出や、もはやレジャーに行く人もいなくなったこと。やがては基幹となる鉄道の存続も九州では、時間の問題になっており、実は問題は駅の改廃だけではないのです。

    • KH生さま
      いつも真摯な問題提起、ありがとうございます。そうですね、駅の改廃は氷山の一角です。少子化に人口流出、地方の衰退、東京だけの繁栄、それに今回の生活様式の変革と、鉄道はモロに影響を受けました。悲観的なことばかりですが、一筋の光明を、一昨日の豊肥本線の復旧で見ました。JR九州らしい演出があったことは否めませんが、あれほど多くの人たちが復旧を待ち望み、喜んでいたことに、ちょっと感動しました。

  2. 去年のデジ青の投稿と重複しますが—-。池の浦シーサイドには一度行ってみたいとは思っていましたが、今となっては出来ないことですね。この場所からもう少し鳥羽よりには以前行ったことがあり、その時に撮ったのが添付の写真です(1999.5.3)。キハ40や58も元気に走っていました、近鉄の池の浦から海を目指して歩いて行きました、海の中洲を走っている所です。去年この場所に行ったのですが、金網が張り巡らされていて海側へ出ることが出来ませんでした。写真を撮った当時は潮干狩りの家族連れも見かけたのですが、安全対策でしようがないです。

    • wakuhiro様
      キハ40、58がまだ走っていた時代の貴重な写真、ありがとうございます。たしかに、この場所は、近鉄の池の浦からのほうが早いですね。潮が満ちてくると、両側が海で、まさに海の真ん中を走っているような感じです。いまは厳しくなっているようですね。

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