Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑫

2004年8月15日 大井川鐵道で関西私鉄の競演を楽しむ

大井川鐡道は、1994年のクローバー会の40周年記念旅行で初めて行き、今回が2回目でした。この時は、乙訓の老人さん、準特急さん、逗子のTさんと一緒で、何度も行って沿線を熟知されている乙訓老人に連れられ、各所で下車して撮影しました。いまは、すっかり電車も世代交代しましたが、当時は、京阪、近鉄、南海からやって来たばかりの電車が、きれいな姿で走っていました。この日は、乙訓老人が行きつけの新金谷の駅前旅館に一泊、大宴会をした楽しい思い出も残っています。大井川鐡道は、先の豪雨で被害があり、家山~千頭が当分の間不通でバス連絡とされていますが、早く大井川の渓谷を行く蒸機、電車の姿を見たいものです。最初に降り立ったのが抜里、茶畑に囲まれた静かな山里の駅で、好ましい雰囲気の中で、懐かしい電車と再会した。

1994年に大井川鐡道に来た、もと京阪3507+3008、まだ美しい姿で茶畑のなかを走り抜けていた。その後、ボロボロになって、長く放置されていたのには、正視できなかった。近鉄16000系が家山川を渡る。京阪3000とはほぼ車齢が同じだが、こちらは今も現役。もと近鉄モ421+ク571も、特急色に復元された美しい姿で駅に発着していた。もと南海21000系 こちらは昭和30年代の製造なのに、意外に長生きして、いまも現役。南海21000系はもう一編成あって、当時は右のような塗装だった。新金谷向こうに山の無い短いトンネル(シェッド)の見える地名駅、ここも木造駅舎で、花が咲く、好ましい駅だった。

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