関先生からのお手紙(大阪市電3001型Zパンタについて)

8月8日に投稿した『大阪市電3001型』の書き込みに対して、関先生から反論が写真付きで送付されました!エラいことです!

昭和の電車 改訂版(98)ー大阪市電3001型ー

まずは関先生からの「反論の手紙」をご覧に入れます。

《暑い中、DRFC-OBの皆さんの行動ぶりには本当に感心しております。
早速ですが、先般取り上げてもらった「大阪市電3001型」について。
確かに時折、意識的にウソを画いている時もありますが、今回は全くこの範囲外  で、まじめに再現に努めた作です。

3001~3005号にZパンタが試用され(2、3年で取り外されてた)その結果を買ってワ ンマン運用の2201型等に率先採用されたものです。
当時は、まだ熱血鉄チャンでしたので、証明写真のコピーを同封しておきます。

新型コロナに猛暑、氷ぐらいでいっしょしたいなどと考えたりしております。
不死身のDRFC-OBの皆さんにもよろしくお伝えください。草々》

これは投稿に対して「3001型にZパンタは付いてなかった」と言う書き込みに関してのお手紙です。私も『関先生は時々この様なことをされます。突っ込んでください』と書いてしまいました。

では、「証拠写真」をご覧下さい。なお、送って下さったのはコピーですので多少画質が悪いですがご承知下さい。

⇧①画の原稿になった写真。3003号 トラックアンカーとはなんでしょうか?だれか教えて下さい。

⇧②3002号

⇧③ビューゲルに復元後の3002号

⇧④試作車旧3001号(改番後3000号)珍しいクロスシート市電!

⇧⑤3000号の運転席

いかがでしょうか?関先生のお怒りがご理解頂けましたか?
先生のご記憶はこの様に間違いは無いことが証明されました。
でも、以前に私には「こうやったらエエな、こうしたら面白いな、と言うことを描いたこともあるで!」と仰っていたことも覚えております。そこが写真ではなく“画”である意味だと解釈しておりますのでお許しください!
昨日投稿した「デイとモヨ」の画も本当で、『証拠写真があるで!』と怒られるかも知れませんのでご用心ください。

事務局の皆さん、先生への失礼の数々を許して頂くには『氷ぐらいで一緒したい』ので、一年ぶりの先生を囲む会など考えて頂けませんか?

関先生からのお手紙(大阪市電3001型Zパンタについて)」への5件のフィードバック

  1. いや、これは大変失礼いたしました。関先生の3001型の元画が載っていた過去記事(2013年5月27日)にはお二人の先輩がコメントされていましたが、Zパンタについては言及されておらず、我が書棚にある大阪市交通局発行の「市電」(全廃直後の発刊)にもワンマンカー以外にはZパンタに関する記述はなかったため、つい思い込みであのように書き込んでしまいました。他の過去記事をよく見直すと、10日あまり後の同年6月9日の藤本様の記事で、3001~3005に登場時の一時期にZパンタが装備されていた旨のことがか述べられており、もう少し注意してから投稿すべきだったと後悔しております。それにしても昭和34(1959)年といえば、趣味誌はピクとTMS程度しかありませんでしたし、仮にバックナンバーが入手できたとしても「Zパンタの3001型」の写真や記事があったかどうか、確認するのは非常に困難です。よって本当に貴重な「証拠写真」を撮られていた関先生には、謹んでお詫び申し上げます。

    これで「モヨとデイの邂逅」の証拠写真が出てきたら・・・と考えると夜も眠れなくなりそうですが、当時の電化区間や列車運行回数や所要時間、さらに回送する際の乗務員はどの区の所属かといったことなどを私なりに考えますと、実現可能性は薄いとの結論に至ったまでです。モヨでなくとも阪和色の70系、あるいはそれ以前に走っていた流電52系など、当時の阪和線電車の吹田工場入出場ルートが解明できればと思っています。

    • いやいや、まほろばの鉄趣味住人さん、
      お詫びするにはおよびません。関先生はこの様な反応を心待ちにして楽しんでおられますから。
      今回は、このホームページの設立趣旨を最も端的に表した出来事でした。なんでも言い合い、間違ってても謝らないで反論するBOXの雰囲気の再現が出来たと大喜びしています。もっともまほろばの鉄趣味住人さん、ではなくて1900生さんや、準特急さんなら「あの写真は偽造されたモンや!」ぐらい言いそうです。
      今後とも甲論乙駁、ツッコミ大歓迎でお願いします。
      関先生、「モヨとデイ」の写真はありませんか?

  2. 関画伯による3000型3001型の画像を懐かしく拝見いたしました。3000型試作車はたった1輌で、今里車庫に所属していて自宅近くの千日前通り走っていました。上本町六丁目(上六)西方には上町台地への長い急坂があり走行試験路線に選ばれたのかもしれません。高校への通学に市電を使ってたので3000型に乗合すことがあり、なんといっても車内のクロスシートが珍しく、座って運転する運転手の後ろの席から前を眺めるのはたまらんことでした。
     その後3001型が和製PCCカーとして高級仕様でありながら一挙に50輌も導入されました。とにかく静かで、間接制御のカルダン駆動と弾性車輪を履いたオールコイル発条の台車の乗り心地は素晴らしいものでした。柔らかいコイル発条に両側を支えられた車軸は良く上下し、交差点のダイヤモンドクロスを渡る台車の各部の動きを見るのは楽しいものでした。中でも車輪間に装着されていたレール吸着緊急電磁ブレーキのシューの動きが面白かったものです。
     「トラックアンカー」なるメモが3001型の画像に書かれてありますが、台車の前後軸箱上部を結んでいた、自動車のサスペンションでいうトーションバーみたいなものを指しておられるのでしょう。
    3001型の台車軸箱の上部には、中央に丸い穴の開いたL型の突起があり、ゴムのブッシュを介して太いピアノ線のような弾性のある鉄棒をボルトで連結してありました。あまりに柔らかいコイルバネなので軸箱同士の共振を制御しようとしたのでは?。何か支障があったのか、早い時期に鉄棒は取り外され、軸箱の突起のみが最後まで残っていました。台車が良く解る画像が市電記念館掲示にありましたので借用させていただきました。トラックアンカーはどのような機能を期待して取り付けられたのか知りたいものです。
     3001型と同じ車体に、鋼体化や標準化で改造された2601型は、種車の釣り掛け板バネ台車ながら114輌も製造され全路線を走りまわった。3001型と見かけは変わらないが、足元は革靴と下駄ほど違い、乗り心地や走行音の違いを乗客は判っていたんでしょうか。

  3. 大阪通信員様
    トラックアンカーについての解説と写真、ありがとうございます。
    でも、よく解りません。トラックアンカーとは写真に見える「横棒」のことで、防振装置と考えて良いのでしょうか?吸着電磁ブレーキとは別物で、このブレーキはかつて横軽で使われていたEF63のブレーキのようなものですか?なんで市電にこんなブレーキが必要なのか分かりません。おしえてgoo!

    •  トラックアンカーは私も聞き始めで、関画伯の画像とメモからは、ご指摘のとおり「横棒」と推定されます。ダンパーまがいのものなんでしょうかね。
       電磁吸着ブレーキは非常制動をかけたとき、空気制動とは別に車輪間のレール幅で40センチくらいのソリ状の専用ブレーキシューに通電され、それが電磁石となってレールに引っ付いて車体を止めるというものです。非常制動をかけたときは前面窓下にある角型のストップランプが点灯しました。後部のみが点灯か前後ともに点灯したのかは考えると睡眠不足になります。自動車が増えてきて軌道敷内はみ出しなどの接触事故対策で素早く停車できるよう装備されたのでしょう。
      それにしても3001型の横棒のついた台車の写真を見ると、市電の台車とは思えない重装備でしょう。
       ほんまに3001型は、ええ市電でおました。

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