私の鉄道趣味の大先輩に「中村進一」さんという方がおられます。京都市電を中心に鉄道全般の写真を撮っておられる方です。最近は貴重な写真があちらこちらの展示会やアーカイブで展示されていますのでご覧の方も多いと思います。
そんな中村さんの写真資料が立命館のアーカイブに収蔵されることになりました。
そこで中村さんにお願いして『ここどこ?わたダレ?』のタネにできそうな写真を貸していただこうと思い、お願いしました。
お宅へお伺いしたら既に用意して下さっていましたが、なんと段ボールに二箱もあります。車を取りに帰ってお借りして来ましたが、整理がたいへん!中村さんはお付き合いが広いためいろんな方から写真を贈られています。ただ全くデータがありません。そこで優秀な探偵の皆さんにお願いです。
整理が付き次第ご覧頂きますが、写真の車輌のわかる限りの情報を教えていただきたいのです。
機種・場所・時期などのほか特筆すべき事があればそれもお願いします。
では、その【予告編】をご覧下さい。
ご無沙汰しております。しばらく狸寝入りを決め込んでおりましたが、毎日楽しく拝見しておりました。
しかし、どえらいモンを出してくれはりましたねえ。せっかくのご好意を無にするわけにはいきません。のんびりしているのも今日までで、あつかましくも参加させていただきます。39のナンバーは東武の蒸機でしょうか? だとすれば、これは日本鉄道が6輌購入したシャープ・スチュワートの2Bテンダ機5650形で、1898年に製造されたと資料に載っております。昭和40年代初め頃まで使われていたようですが、詳しくは知りません。また、撮影場所もさっぱりわかりません。中途半端で申し訳ありません。
待ってました!
当会の名探偵、よろしくお願い致します。
私も見たことはありませんが、架線の下を走るB型テンダー機関車と言えば「東武」しか思い当たりません。同時期の同僚機と思われるのがあります。
三岐鉄道丹生川駅近くにある貨物鉄道博物館に保存されていますよ。
三岐鉄道に移籍したのですか?
三岐鉄道の貨物鉄道博物館の写真です。1966年に引退後は東京の昭和鉄道高校で保存されていたようです。
wakuhiroさん、どですかでんさん、
ありがとうございます。たしか国鉄ではB50型と称していましたね。
もう一枚のと合わせて「東武鉄道」と言うことにしましょう。
撮影場所や時期は不明でしょか?
今後とも、こんな調子で解明をお願いします。
39・6・36の3両が揃えば、これは東武鉄道でしょう。しかし、6の後ろに見える木製デフのC11は、初めて見ました。昭和20年日車製のC11 2でしょうか?その後ろの丸窓の機関車も気になります。主連棒が外された36から推察して、撮影時期は昭和37年以降ではないでしょうか。
ですが、ここでイチャモンをひとつ。国鉄B50形は6700形を加熱式に改造したもので、5650形の36・39とは別物です。生意気なことを言ってすみません。
この先どんなお宝写真を拝見できるのか、期待に胸をときめかせております。貴重な写真を公開していただき、ありがとうございます。
紫の1863様
ご教示、ありがとうございます。
私はB型のテンダーはB50と思っていました!
お恥ずかしい限りです。でも、こうして教えていただけるのもデジ青の効用です。これからもお助け下さい。
「東武の鉄道車両90年の歩み写真集」(昭和62年、東武鉄道編集発行)にはシャープスチュアートは蒸機廃止まで活躍とあり、更に昭和36,38年に館林機関区で撮った写真が載っています。ということから、館林を基地とした単線電化区間は館林から先すべてですが、長大な貨物列車それも無蓋車ばかりというのがヒントになります。佐野線は積み荷の石灰製品の性質から雨を嫌いますから有蓋車が多い筈、となると伊勢崎線で利根川でを採取した砂利運搬列車と見ます。
只、ここから先は写真から得られるヒントが少なく場所は特定出来ないのが不甲斐ないです。見苦しい写真ですが昭和40年11月葛生にて、ナンバーが39と見なせるようなので・・・・
村樫四郎様
貴重な写真と情報をありがとうございます。
撮影は昭和40年頃、東武伊勢崎線、と言うことにします。
以後、しばらくお付き合い下さい。
関西人の小生にとって東武鉄道は遠い存在ですが、昭和40年代初め頃テレビから流れてきた「走る走る東武、乗ろうよ東武のロマンスカー」のメロディーは今もはっきりと覚えております。
しつこく調べてみたのですが、貨物列車の撮影場所はさっぱりわかりません。しかし、廃車体が写った2枚は業平橋ではないでしょうか。朝日新聞社の「世界の鉄道 別冊 蒸気機関車100年」に、2-BテンダやC11 2がずらりと並ぶ写真が載っていました。ナンバープレートは外され、解体待ちのようです。架線柱の形状や背後の白っぽい建物、傾いた鉄路柵と地面に並べられたレイルなど、一致する点が色々と見つかりました。撮影は1963(昭和38)年11月とありますので、多分この前後ではないかと思います。
ありがとうございます。
業平橋とします。
今回は写真が全般に亘り、しかも年代が広く、サイズもまちまちで手こずっております。でも、面白い写真が多く、紫の1863さんや河 昭一郎さん、村樫さんのお力をお借りしなければならないようです。
毎日寝不足です。昼寝をしていますが・・・
米手作市様
アノ~、小生、『ヘッポコ電車屋』なんですけどぉ~(笑)
正直言ってSLについてはサッパリで、関西(立花)在住時にトカセの西端でC59、C62、D51、D52、D62等をチラ見していた程度です。
後に高槻に転居して『吹』を知り、他にも8620や9600が有った事を知った位でした。
いわんやSL界でもディープな私鉄のSLとなれば、全くお手上げでスミマセン。
河 昭一郎様、
後から国電がドッサリ出てきます。
その節はご解説をお願い致します。
中村様の作品は、葛生の東武の古典ロコ、1966年まで走っていた佐野線の貨物列車の写真だと思います。
電車王国の関西では考えられない、昭和40年代の大私鉄の輸入蒸機の存在には何とも言えない時代のギャップを感じますが、関東平野に伸びる大私鉄・東武の大らかさを感じて、微笑ましく思いました。
たぶん機関車不足で、電関を製造せずに古典ロコを使い回していたのだと思いますが、空制を付けて、戦時中くらいにテンダーを嵩上げして増炭。英国人が見たら眉を顰める元は美麗な4-4-0の姿には、可哀想にも思えますが、よくこの時代まで頑張っていたのだなの感銘も残ります。
比較的後年まで走っていたので、動画も撮影されているようですので、リンクで貼っておきます。
K.H.生さん
お久しぶりです。
動画投稿ありがとうございます。
39号は有名だったのですね。
走行動画は始めて見ました。
ありがとうございます。
私が鉄道趣味を始めるのは数年後で、カラーブックスの廣田尚敬さんの蒸気機関車を読んで、古典ロコと輸入蒸機に強く惹かれたので、東武のロコには憧れを持ちました。
1965ー70年の6年程の間に、動力革命が起こり、九州の片田舎にもその波が押し寄せました。
まだ少年でしたが毎年変わる日常の風景には、目を丸くしていたものです。