ここはどこ?私はだれ?【臨3】

それでは五日間の旅行に出ますのでその間に宿題を出しておきます。
よく調べて回答して下さい。

なお、1900生さんには解答権がありません。なぜなら一緒に行って写っているからです。コメントも禁止します。ブチブチつぶやいたらカンニングと見なし退学と致します。

では五日間、これを保たせて下さい。

7 thoughts on “ここはどこ?私はだれ?【臨3】

  1. 米手様、行ってらっしゃい。
    でも、ごめんなさい、この線は乗ったことが無いのですが、すぐに判ってしまいました。
    H本線のE駅から分岐する、F機関区の8620が活躍していた路線ですね。
    1972年に現在の終点である駅まで開通するまではこのK駅が終点でした。前方のトンネルが終着駅方面になりますね。

  2. 米手様がガッカリされるといけませんので、私も遅ればせながら参加させていただきます。13日から14日に日付が変わる頃、お題の写真を拝見して、山深い川沿いの閑散路線と目星を付けました。三江北線も候補にあがりましたが、転車台の存在から「乙訓の御老人の甥御」さんの仰る路線が浮かびました。まあ、時間はたっぷりとあるので、検証は明日にしようとのんびり構えていました。ところが、副会長殿の素早いコメントを読み、シマッタと後悔しましたが、後の祭りです。
    せめて8620の運用でも調べようと思ったのですが、よほど人気のない路線だったのか、当時蒸気機関車撮影に使った資料を見ても載っていませんでした。辛うじて弘済出版社の「SLダイヤ情報」に、ダイヤだけが出ていました。2往復の貨物が運転されていたようですが、8000番台の列車番号なので毎日の運転ではなかったのかもしれません。しかも途中の城下町までの運転で、この駅までは単機で回送され、転車台で方向を変えていました。ずいぶん効率の悪い運用ですが、そもそもの建設目的を考えると、それも無理のない話かと思いました。
    8620がいた頃には訪問する機会に恵まれませんでしたが、平成になってからC56のイベント列車が走り、地域色のキハ52に終点まで乗車したことがあります。この駅から先は長いトンネルの連続で、乗ったというだけでした。
    高校時代に、この駅の転車台上で撮影された8620の写真を「ヨシジ」からもらったのですが、「乙訓の御老人の甥御」様、「ヨシジ」を覚えていらっしゃいますか?

    • 紫の1863様
      「ヨシジ」、覚えていますとも。彼とはよく撮影行を共にしました。彼がこのE線に行ったときは単独行だったと思います。私はその時は倉吉線に行ったような気がします。

      • 乙訓の御老人の甥御様
        今出川・丸太町・白川線が廃止になる夜、錦林車庫でお会いしましたが、「ヨシジ」とご一緒でしたね。貴殿と私の並んだ写真が出てきました。彼の誘いに乗って京都駅へC57を見に行ったのが、鉄道趣味に足を踏み入れるきっかけでした。

  3. 米手作市様
    旅行からお帰りになって、お許しを頂けましたら、この駅の新旧対比記事を別途投稿することに致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください